戦国時代の軍制(部隊の編成)では馬は各部隊に知行に応じた頭数を割り当てており、馬上何人と呼びました。 馬を飼える身分ですから上級武士で指揮官に当たります。
従って騎兵といえるものは各部隊毎に分散して組み込まれていてこれを集団として運用するには無理があり、特別に乗馬部隊を編成して訓練しなければなりませんでした。
当時馬は高価で多数揃えることは財力のある者でなければ出来ません。 また馬の産地が近いかどうかも影響しました。
山之内一豊が良馬を見つけて高価な為諦めようとした時、妻が隠していた持参金をだして購入させ、馬揃えで信長の目にとまり、出世の糸口となった話は有名ですが、それ位入手が難しい時代でした。
従って身分の高い部将がその指揮下の馬上を集めてせいぜい十数騎の集団を編成する位で、集団突撃しても威力はしれています。
武田の騎馬軍団も戦闘時は下馬した乗馬歩兵というものでした。
伊達の乗馬鉄砲隊は領地が馬産地であり、多くの鉄砲を集め集団で行動する訓練をして、接近して乗馬のまま停止し発泡するという戦法をとったのが有名に成ったものです。
従って各大名家でも同じような事情で数十騎程度の騎馬隊を編成は出来たでしょうが追撃戦のような場合を除いては活用出来なかったと思います。
騎馬武者の武器は多く短槍ですから槍騎馬隊と呼ぶことはできますが・・・
お礼
堂に入る解説ありがとうございます。