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ラファエロの「アテネの学堂」について!
ラファエロのアテネの学堂という作品についての質問です!アテネの学堂がバチカン市国にあってはいけない理由があるらしいのですが調べてもなかなかその理由というのがわかりません。もしルネサンス期のことに詳しい方ぜひご意見を参考までにお願いします。
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「アテネの学堂」がヴァチカンにあってはいけないのですか? ……初耳です。 理由は知りませんが、ちょっと考えてみました。 もし「ヴァチカン市国」に「アテネの学堂」があってはいけないのだとしたら、それはキリスト教カトリックの総本山だというヴァチカンの性質上でしょうね。 「アテネの学堂」の中に描かれている人物は、古代ギリシャやローマの賢人たちです。 キリスト教が誕生したのは一応西暦のはじめ。(実際に西暦が定められたのは元年ではなく後世ですので、イエスキリストの誕生にはずれがあるそうですが)キリスト教がローマで公に認められたのは313年のミラノ勅令。 しかし「アテネの学堂」に描かれているアリストテレスやソクラテスはキリスト教の誕生するずっと前の紀元前の人たちです。紀元前4百年とか3百年とか。もちろん彼らはキリスト教を信仰していたわけではありません。キリスト教の前身となったユダヤ教を信仰していたわけでもありません。 彼らはギリシャ・ローマの人ですから、たぶん信じていたのはゼウスだかユピテルだかそんなところだと思います。多神教です。 キリスト教はもちろん唯一神の宗教ですし、アリストテレス、ソクラテス、プラトン、ピタゴラスなど現在でも通用するような賢い人たちの思想はキリスト教の教義とあわないところももちろんあるわけですよ。無理にあわそうとするからいろいろ矛盾が出てくるわけで……。 ギリシャ・ローマ時代の思想などはヨーロッパの学問や考え方の基礎になっています。だから彼らは尊敬されていて、「アテネの学堂」のように大きく描かれたりするわけですが。基本的にはキリスト教の教義と相容れないものだと思いますね。 なので神を賛美する「神の家」である教会に、神様(ヤハウェ)と関係ない人たちの絵が堂々と描かれているのは「おかしいぞ!」ということではないでしょうか。 でもキリスト教カトリック(ヴァチカン)がヨーロッパを支配するようになった(キリスト教を中心に社会がまわるようになった)中世、学問は発展するどころが衰退してるんですけどね……。神を讃える以外の芸術もあり得なかったですし。 ギリシャ・ローマ時代が見直されるようになったルネサンス期で、長年題材にされなかったギリシャの神々が描かれたりするようになったわけですが。 まあ、こんな財産をヴァチカンが手放すとは思えません。 個人的な意見です。あまり信じないで下さい。
お礼
丁寧な説明ありがとうございます。とてもわかりやすいです。今までは哲学とバチカンという観点からいろいろ調べていたのですがなかなか理由という理由にはたどり着けずじまいでした。ito_613さんのアドバイスで新しい見方ができました。私なりにもう一度宗教的なところに着目してかんがえてみたいと思います。