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仏性とはどういうもの?

よろしくお願いします。 ちょくちょく“仏性”というのを耳にしたり目にします。法話とかで「誰でも仏の子で、仏性を持っている」というふうに使われていると思うんですが、これって具体的にいうとどういうものなんでしょうか。 それから、みんな仏性があるんなら、殺人をするような悪人の仏性はどうなってるんでしょうか。あと、動物とか植物にもある、というのも聞いたおぼえがありますが、そういうことはどうなってるんでしょうか。 哲学しかカテゴリーが思いつかなかってのでここに投稿しましたが、できればあんまり難しくない回答をお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • reindeer
  • ベストアンサー率50% (27/54)
回答No.3

 「あんまり難しくない回答」ということなので、なるべくわかりやすく「仏性」について説明できればと思います。あらかじめ言っておきますが、わたくしは特定の宗教・宗派に属するものでも、信仰を持つものではなく、宗教や仏教に関心を持って、ごそごそと学んでいるものに過ぎません。神社やお寺は大切にしたいと思いますし、人びとが信仰しているものには、それなりの敬意を払おうとも考えています。  さて、「仏性」とは、Fine21さんが指摘しているように、「仏になれる可能性」である、と定義するのが、もっとも支持を得られるものだと思われます。わたくしは、また別の視角から説明したいと思います。  「仏性」とは、「生命」と言い換えてもいいでしょう。ただしその「生命」は、自然科学が定義する生命現象とは異なり、「なんらかの意味を持った生命」、と言えるものだと思います。  なんらかの意味を持った生命とは、自己の生命以外の生命にかかわりをもって、そのむすびつきのなかで存在している、ということです。自己の生命は、他者とかかわることでさまざまな意味を生じ、他者の生命は、自己とかかわることでまたさまざまな意味を生じる。このかかわりが無限に拡がっていくなかで、自己の生命は意味を持つのです。  仏教では、人間だけではなく、動物や植物にまで「仏性」が備わっている、と考えます。あらゆる生命現象には「仏性」が備わっていると考えるのです。そうした生命は、人間や人間以外の生命とのかかわりのなかで、やはり意味を持って存在しているのです。遠い海で泳いでいる小さな一匹の魚でさえ、そのむすびつきの糸をたぐっていけば、地球に住んでいるすべての人にたどりつくのです。  「殺人をするような悪人」の生命にも、なんらかの意味があるのです。たとえ殺人者ではあっても、やはりほかのすべての生命とのむすびつきのなかで、その生命は意味を持って存在しているのです。  殺人という行為をすることは、その意味を見出すことができなかったとも解釈できるし、あるいは、殺人をすることそれ自体になんらかの意味があったとも解釈できるのです。この後者の解釈が自己展開していくことで、殺人を合理化する考えも生まれてきます。仏教もまた宗教であり、宗教には日常生活とは異なる視点での危険な考え方が必ずどこかに潜んでいます。  「殺人をするような悪人の仏性」という問題は、たとえば日本の親鸞(1173-1262)の「悪人正機」の説に、たいへんおもしろく興味深い考え方が示されています。  生命は、いま生きているこの世界だけではなく、生命として生まれる以前も、生命としての活動を終えた以後にも、意味を持って存在し続ける、と考えられます。  生まれ出た生命は、かたちを得て自己以外のすべてのかたちある生命とのかかわりの世界のなかで活動し、「死」という大きな衝撃を自己以外の生命に与えて一旦そのかたちある生命としての活動を終えます。しかし、その「死」によって、そして「死」の以後も、自己の以外の生命活動に意味を与え続け、その自己以外の生命からまたあらたな生命がふたたび生まれてきます。そのあらたに生まれた生命にとって、自分の誕生以前に生命活動を終えた生命は、生まれ出る以前の生命として意味を持つ存在なのです。  気が遠くなるような生命の循環と連鎖のなかで、意味のある生命としての「仏性」は、永遠に存在を続けるのです。  「仏になる」とは、死んで死後の世界で成仏する、といったことではなく、生きているときにも他の生命に意味を与えること、死んだのちにも、他の生命に意味を与え続けること、そういった生命のむすびつきのなかでの「与える」ことを言うのではないかと思われます。  以上のような意味の連鎖こそ、「仏性」というものの姿ではないか、と思われます。以上の説明を、具体的な生活のなかであてはめてみれば、またこれまでとは異なった見方・考え方で、世界を見ることが可能になるのではないでしょうか。  わかりやすく説明できたかどうか自信がありませんが、とりあえずご参考までに。身近なところから具体的に上記の考え方をあてはめてなぞっていけば、あるいはご理解いただけるのではないかと思います。

noname#17347
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 仏教の教えで縁起というのがありますね。これって世界中のすべてが関係しあって成り立っているということでいいんですよね。そうすると、縁起=仏性ということになりますか。 >たとえ殺人者ではあっても、やはりほかのすべての生命とのむすびつきのなかで、その生命は意味を持って存在しているのです 意味があるとかないとかいうのは、誰が判断するんでしょうか。縁起はなんとなくわかりますが、ほかのものと関係しているからといって、殺人をするような悪人がなんで悟りを開けることになるんでしょうか。そこがよくわかりません。

その他の回答 (12)

  • uuing
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回答No.2

歴史的な話しをしますと,かつては,仏に救われるのは,悟りの境地に達することの出来た人のみであるとされていました。 しかし修行したからといって,だれもが悟りの境地に達することが出来るわけではありません。 そこで,敗者復活ルールとして,個人レベルでできることを一所懸命にやれば救われる,ということにしたのです。 例えば日本人のほとんどは無宗教ですが,死んだら仏式の葬式をして「戒名」をつけますね(つけない場合もありますが)。 戒名は本来修行僧に与えられるものなのですが,近代の仏教では,存命中に仏門に入っていなくても,寺にお金を寄進することで戒名をもらうことが出来ます。 なぜなら,仏教では,生きること自体が修行であるので,存命中に得た金銭を仏に寄進するのは,仏に帰依して修行したのと同じこと,と考えるからです。 このルールの登場によって,善人だろうが悪人だろうが,みな救われることになりました。 しかしこれでは悪人が得ではないかということで,死後には閻魔による裁判が行われ,生前の行いが悪いと地獄に落とされ,悪人はそこで裁かれる,とされたのです。

noname#17347
質問者

お礼

仏性は、敗者復活のために考え出したルールということですね。犬や猫には仏性はないわけですね。 どうもありがとうございました。

  • Fine21
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回答No.1

こんにちは。 簡単に言えば、仏性とは「仏になれる可能性」のことです。 つまり、あなたも、私も、悪人も犬や猫も、 みーんな仏=悟りを開きし者となる可能性を 持っている、という意味です。 仏教は万物は流転し、輪廻転生を繰り返すという世界観を持っています。 いわば延々と繰り返されるトラックレースのようなものです。 ですから、今は犬かも知れないが、生まれ変わり、自らを 磨くことで仏になれる(可能性がある)、ということです。

noname#17347
質問者

お礼

そうすると、犬や猫は仏性があっても人間にならないと悟りを開けないんですね。犬はどうやったら人間に生まれ変われるんでしょうか。犬として何かいいことをするとか・・・・? 悪人でも悟りを開けるというのはちょっとよくわかりません。 どうもありがとうございました。

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