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倶利迦羅紋紋という言葉について

ライフカテで質問したのですが、カテが不適切だったようなのでこちらに移してみました。 入れ墨のことを「くりからもんもん」っていいますよね? なんでそう呼ぶんだろう? とgoo辞書を見てみました。 >倶利迦羅竜王を彫った入れ墨。また、単に大きな入れ墨のこと。 と記述がありました。倶利迦羅竜王というのは不動明王のことらしいです。こういうのにまるきり知識がないのに質問して恐縮ですが、どなたか蘊蓄を傾けて下さいませんか。 倶利迦羅紋紋という用語が定着したのは、倶利迦羅竜王が入れ墨の文様としてよく使われるということでしょうか? それにはなにか理由があるんですか、強いからですか? 使われるようになったきっかけ、(面白い)エピソードなどありましたら教えて下さい。 よろしくお願いします。

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noname#126060
noname#126060
回答No.2

以下「密教辞典」から抜粋です。 ●倶利伽羅龍王● [(梵)kulikaクリカー(古力伽・矩里伽・句律伽):黒龍・尊勅] 倶利伽羅龍王剣とは、不動明王と外道(仏の道に外れる悪鬼)が争い、明王が龍となって外道の剣を呑み、仏法の守護者として従えた説話を元にする。 ●不動明王● [(梵)Acalanathaアチャラナータ(阿遮羅嚢他):不動のもの] 五大明王・八大明王の主尊。仏法に採り入れられたシヴァ神の異名。全ての仏・宇宙の中心である大日如来の教令輪身(教えの障害となるものを下し、また教えを受け入れ難い者を力で諭す時の姿)。 刺青(入れ墨と書くと、島流しなど刑罰としての意味になります。紋々は大阪での俗語。)の代名詞として使われたのは、 江戸中期、鳶や火消しなど命を張る荒っぽい職業人が、守護の意味+もろ肌脱いだ雄姿を見せるため神仏を背負ったのが始まり。 「火伏せ」と来ればふつう三宝荒神ですが、こちらはお姿がポピュラーでないため、より見栄えのする「炎の中に立ち倶利伽羅龍王剣を持った不動明王」が好まれるようになったという事です。

noname#84897
質問者

お礼

なるほど、おかげさまでだいぶ解りました。 お答えいただいて、どうもありがとうございました。 >入れ墨と書くと、島流しなど刑罰としての意味 はい、わかりました。失礼しました。 >紋々は大阪での俗語 そうなんですか、勉強になりました。 もともとは堅気の職人のものだったんですね。時代劇で火消しがもろ肌脱ぐのを見たような気もします。 長年の疑問が氷解してすっきりしました、ありがとうございました。

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  • sin90
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回答No.3

NO.1です。 >「倶利羅」って、「迦」の字はいらないんでしょうかねえ?  ごめんなさい、原文には有ったんですがコピーした時に消えちゃいました。しんにょうに点が2つついた字だったので認識しなかったようです。

noname#84897
質問者

お礼

わざわざすみません、ありがとうございます。 ↓では『伽』の字になってますね、音訳だからどっちでもいいんでしょうか。 不思議な語感の言葉だとずっと思ってましたが、今回質問してみてよくわかり、ほんの少~し賢くなれて嬉しいです(笑)。

  • sin90
  • ベストアンサー率23% (23/98)
回答No.1

 「倶利羅」(くりから)といえば、連想するのは「倶利羅紋紋」(くりからもんもん)であり、龍の絵が彫りこまれた刺青の大きな背中、丁か半かと賽をふる任映画の博打のシーンが目に浮かぶ。そこに描かれた龍は、人を威嚇するにあまりあるものといえるだろう。  倶利羅とは、サンスクリット語のkulikaの音写である。クリカはインドで八大龍王の内の一王の名であり、『陀羅尼集経』では鳩利龍王とも訳されている。倶利羅竜王は、岩上に直立する宝剣に火炎に包まれた黒龍が巻きついているさまで形象され、この竜王は不動明王の化身として特に崇拝せられる。剣と火炎は一切の邪悪、罪障を滅ぼすといわれている。    ところで、富山県小矢部市と石川県津幡町の境に「倶利伽羅峠」とよばれる峠がある。寿永二年(一一八三)木曾(源)義仲が平維盛の軍勢をその峠の南斜面にあたる深い谷に攻め落としたことで有名であるが、この倶利伽羅峠の名も、その峠に倶利羅不動を祀る堂が存在したことに由来している。  倶利羅竜王もその一つである八大竜王は、みな護法の善神として挙げられる存在である。中でも倶利羅竜王の形象に表された凄みは、仏法を護り、かつ一切の邪悪、罪障を滅ぼす力を表現するものであったといえるだろう。  しかしそれが、江戸時代にはいると、博徒(ばくと)[ばくち打ち]が背中に倶利羅竜王の刺青を背負うようになる。それは、倶利羅竜王を、仏法を護るものから一人の人間を護るものへ、邪悪や罪障を滅ぼすための力の表現が、他人を威嚇する力へと読み替えられたことを意味した。このことは、社会が、人間を中心に動き始めたことと表裏の関係にあるといえるだろう。  倶利羅という言葉から「倶利羅紋紋」しか連想しえない現実は、現実の社会が、その延長線上にある仏の世界を見失った、人間中心の感性の上に成り立っていることを象徴しているのである。 下記サイトより

参考URL:
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/206.html
noname#84897
質問者

お礼

うーん、なるほど、そうなんですか。たいへん勉強になりました、どうもありがとうございます。 自分で探せなくてごめんなさい、ひらがなで検索したから出なかったのかもしれない(笑、汗)。「倶利羅」って、「迦」の字はいらないんでしょうかねえ?

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