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歴史上の「桜井の駅」などのいわゆる「駅」とはどんなものか教えて欲しい

現在の駅というのは鉄道の乗客の乗降場所であるが、昔の「駅」というのは歴史上いつごろに存在した名称で何のためにあり、どんな場所に分布し、そこにどんな人員が配されていたのか、質問者は最近歴史上の資料の中で次のような内容の部分があった。菅原道真が冤罪で大宰府へ送られる途中「明石の駅」に立ち寄り「駅長」との会話のくだりである。本当に駅長と言う職名?が有ったのか、又何か行政上の支所のような物か教えて欲しい。

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回答No.2

辞書をそのまま引用します。 駅(えき、うまや) 律令制で、中央と地方との連絡のため街道筋の三〇里(約16キロメートル)ごとに置かれた設備。馬・人夫をそろえ旅人の便をはかった。 駅長(えきちょう、うまやのおさ) 律令制で、駅家の長。駅馬・駅船のことをつかさどり、終身の任で、課役は免除された。

ryu-ran
質問者

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早速有難うございました。大変参考になりました。長らく疑問にしていた事が大分分かりました。 教えてgooを支えるメンバーってすごいなあーと思いました。感謝!

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  • fitzandnao
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回答No.1

駅馬  えきば  古代国家が主要街道に設置した駅と駅を結ぶ  通信交通手段として駅に置かれた馬。 <大化2(646)年>  正月元旦、『改新の詔』発布。   この詔の中に第二に「伝馬・駅馬」の設置が宣言されている。 <天武天皇元(672)年>  6月、『壬申の乱』勃発。   開戦直後に大海人皇子は高坂王から駅馬を使う駅鈴の奪取を企図する。   これは飛鳥方面における近江朝廷側の通信網を制圧する目的もあったと思われる。 <大宝元(701)年>  8月3日、『大宝律令』制定。   「駅馬」制が規定される。  中央集権国家としての政府が地方に対する通信網・交通網であり、  統制手段として極めて重要な制度である「駅制」を支えたのが駅馬であった。  大路(山陽道)に設置された駅には二十頭、  中路(東海道・東山道)の駅には十頭、  小路(山陰道・北陸道・西海道・南海道)の駅には、  五頭の駅馬が配備されていた。

ryu-ran
質問者

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