江戸時代の春分点の観測方法
もしかしたらカテゴリ違いかもしれません、その場合は申し訳ありません。
旧暦で閏月はどうやって決めるの?という疑問から辿って、Wikipediaの二十四節気の項目をみたところ、以下のような記述がありました。
「そこで、中国では清朝の時憲暦から、日本では天保暦から、黄道を春分点を起点とする15度ずつの24分点に分け、太陽がこの点を通過する時を二十四節気とすることにした。これを定気法または空間分割法という。」
ここで質問なのですが、江戸時代に春分点というのはどうやって決めて(観測して)いたのでしょうか?
夏至や冬至は太陽の南中高度?を観測すればわかるように思えますが、春分や秋分の観測方法というのが、いまひとつわかりません。
もしご存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただけるとうれしいです。
よろしくお願いします。