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死ぬとどうなるのでしょうか?(再掲)

以前も質問した者です。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1166732 何だか、途中で締め切った形になってしまっていたので、再質問したいと思います。 皆さんの考えを、お寄せください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kigurumi
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回答No.5

人間は自我があるからこそ「死ぬとどうなるのか」と考えると思います。 ドキっとしたとき心臓が痛いと感じるので、心臓のところをハートマークで表現しますが、その器官が考えているわけではなく、性欲すらも下半身ではなく脳が処理して心臓や下半身に伝達して行動に移させています。 つまり頭のCPUが処理した結果を心臓に伝達して、「びっくりしたぞ」と指令がきたので、「ドキっとなって心臓が止まるかと思った」(死ぬかと思った)となりますが、実際は脳が滅びることで死んだことになり、自我も消えることになると思います。 「いや 人間には肉体の他に魂というものもあり、肉体が滅んでも魂は存在し続ける」という人もいますが、実際何度か死に掛けたことがある体験者から言わせると、無い です。 自律神経がメルトダウンし、あらゆる器官が低い状態になり、意識を失うという体験を時々します。(^_^;) 呼吸停止。視覚・聴覚・触覚 いろんな器官がメルトダウンしました。 幸いにも毎回意識が戻っていますが、そのメルトダウンした間、わたしはどうなっていたかというと、生命を勝手に維持する器官がかなり低迷しており、その状態では脳の活動もスリープ状態です。 従って苦しいとも悲しいとも辛いとも楽しいとも、そんなもの無いんです。 ましてや自我が無い状態なので、別の肉体を捜すことも無かったのです。 「いやいや 死後数日しないと魂は活動を始めないから」とか言う人もいて、マジやばい この人・・・とか思ったりします。 (その方面のビジネスをやっている人で、儲かるから一段と声を上げる→人を恐怖で操り財布のひもをゆるめさせるビジネス) 魂(脳=意識)が一時停止しても、肉体が滅んでいなかったので、やがて自律神経が働きだした時、脳が活発に動き出し、意識することを再開してくれた。 もし、脳がある一定を超えた酸素不足状態になり、だいぶ死滅してしまったら、肉体は自我(脳の部分で作っている)を喪失してしまい、意識を失う前と後が繋がらなかったと思います。 脳にダメージがあり、過去の記憶を無くしてしまうと、その人は新しく生まれ変わったことになるのかというと、、、そういう表現はしますが、死亡していないし、記憶は無くしても自我は失っていないので、死後もなお生きているとは思いません。 中には死にかけた時お花畑があり三途の川が流れていて、そこで祖先の出合い帰れと言われたと言う人がいますが、脳内麻薬のせいだと思います。 http://ntv.naver.co.jp/go.php?url=http%3A%2F%2Fwww.ntv.co.jp%2FFERC%2Fresearch%2F19970803%2Ff1129.html 自殺したらどうなるのかですが、死んだら思考する部分も消滅するので、もう何も感じとることはなくなります。 人間の生は一度きりでそれは限りがあります。 人間の生を無限とする思想はありますが、あくまで思想でしかない。 理論上では今頃は宇宙に移住するのがはやっているハズでした。 しかし人間はその分野は苦手なので実現どころかメドすらたっていない。 しかしミクロの世界へは結構得意分野だったようで、脳の研究が進んでいます。 脳内マップというものがあり、どの部分が刺激されると快楽を感じたり、恐怖を感じたりするのかわかってきました。 熱い・冷たい など感覚の部分も脳のどの部分かわかてきました。 DNAの研究も進んできており、クローン人間も可能かもしれません。 しかし、、、、、 老衰する人のDNAでクローン人間を作ったとして、果たしてそのクローン人間は、老衰する人の経験を記憶としてとどめ、老衰した人のかわりに残りも永遠に経験や記憶を蓄積していけるのかというと、私の思考ではノーです。 それは別の人物、別の人の人生となってしまうと思います。 「自殺した人はどうなるのか」 支配者が国民を生かさぬよう 殺さぬよう 利用しつくしたいとき、「自殺すると地獄に落ちる」と国民を洗脳する言葉だと思います。 宗教はそれぞれの時代の支配者に利用されてきただけで、支配者がその宗教の言うことを信じていたわけじゃあない。 利用価値があるからそれを利用して勢力を拡大していき、人々を制圧してきたのだと思います。 支配者って国民あってこその支配者。 誰もいなければ支配者じゃない。 だから税を徴収して、宗教で人の生き方を鎖でつないで、奴隷として働かせたがるのだと思います。 そしてそれに洗脳された人が、自殺する人を「自殺すると地獄に行きます 」と言いますが、止めているつもりで、実は人を恐怖に落としいれ鎖でつなごうとしているにしかすぎないと思います。 (極悪人の常套手段 しかし本人は罪悪感が無いので、平気で何度でもやります) 死後の世界を概念で作り出して効果があることもあります。 例えば難病でもう命が無いとわかっている人が家族に「先に行っているから お前達は自分の生をまっとうしてくれ。天国で会おう」 去る人の最大限の思いやりと希望に満ちた消滅です。 家族も「死んでは駄目」と鞭打つより 去る人の気持ちに添い遂げ 自分も「そうね もし天国というものがあるのなら また遭えるわね」と喪失感を和らげ後追い自殺をしなくなるばかりか、喪失した後も、期待を心に秘め生きつづけることができる。 生は一度きり。 ゲームじゃないから良くない人生だからとリプレイはできない。 だからこの生の希少価値が上がる。

noname#19664
質問者

お礼

詳しい回答ありがとうございます。 最後の言葉が印象的でした。 確かに生の価値は上がりますね。

その他の回答 (22)

回答No.23

情として 死と生を司るものにとっては 輪廻転生は するものとされるものの 立場の逆転 を冥想ことにより 相互の理解が深まるとすれば 重要な思想となる.  

回答No.22

確かに何かを受け継ぐとき 螺旋をイメージするものはあるが 遺伝ねぇ... 家系的遺伝 人類的遺伝 生物的遺伝 輪廻. どう”言う”のが一番いいのだろう.      

  • yoh001
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回答No.21

midori0808さん、こんにちは。 他の方に回答した内容とほぼ同じですが、再掲させて頂きます。 僕は、輪廻転生を、 比喩としてらせん階段をイメージして次のように考えます。 まず、大きく長い、らせん階段を頭にイメージします。 そのらせん階段を遠い所から横から眺め、 縦まっ二つに切る壁を設定します。 そして、 壁で仕切った一方がこの世、もう一方をあの世とします。 さて、midori0808さんも僕も、 今、この世の側の、らせん階段を一歩一歩登っています。 人それぞれ登ってる階も、登るスピードも違います。 行く手に、壁面が見えてきました。 更に近づくと壁にドアーがあります。 ドアーには「死」と書いてあります。 自分の意思とは関係なく、くぐる時がやってきました。 さて、「肉体」を脱いでくぐります。 くぐってから、なにげなく閉じたドアを振り返ると 「霊界へようこそ!ご誕生おめでとう。」と書かれています。 そして、霊界での暮らしが始まります。  物質界では生命は下着として霊体を纏い、  上着として肉体を纏っていました。  (物質界での生命体 = 霊魂 + 霊体 + 肉体)  霊界では、生命は下着の霊体だけを纏っています。  (霊界での生命体  = 霊魂 + 霊体)  物質界は、  心(霊魂+肉体意識)の状態が  様々な人(生命)がいっしょに暮らし、  体験学習をし、苦楽を味わって心の修行をする場です。  霊界は、たくさんの階層の世界があり、  物質界から移行(死)した時の、  その生命の心のレベルと同じ  他の生命達といっしょに暮らす世界です。  物質界は自分が想ったことが実現するのに  時間がかかりますので、ゆっくりしていられます。  反面、これは、  心の因果律の法則が理解しがたい理由でもあります。    しかし、霊界は自己の想ったことがすぐ現実となる世界です。  「皆んな仲良く!」と思っている生命は、  周りもみんなそういう生命達ばかりですから、  これを天国というのでしょう。  反対に、自分中心で喧嘩ばかりする生命は、  自己の周りもそのような生命ですから、  これを地獄というのでしょう。  霊界では心が変わらない限り  その環境から逃げることができない!  なぜなら、自己の想念がそのまま環境だからです。  霊界へ移行する時の、  その生命の心のレベルで行く先がかわるのですから、  物質界での死ぬまでの修行が大切なわけです。  物質世界での地位、名誉、財産は全く関係がありません。  霊界は、僕達地球人にとっては、  直前の物質界での心と行いの反省の場です。  また、霊界は自分と同じレベルの人達ばかりで、  他との違いがあまり無いため、  なかなか気付けず学習内容は乏しいのです。 さて、先ほどの霊界での階段をまた登っていきます。 時を経て・・・、 また壁があり、ドアーがあり、「死」と書いてあります。 霊界での「死」の時です。 くぐる前に、導師の指導を受け、 これから始まる物質界での人生の計画を練ります。 細かに計画する人も、大雑把に計画する人もいます。 これが物質界での「運命」とよばれるもので、 もちろん物質界での自由意志による変更は可能です。 他の生命と固く誓い合い「宿命」にすることもあります。 そして、定めた両親の下へ、 「死」とかいてあるドアーをくぐります。 肉体を着ます。 これは、 肉体の意識(DNA)を霊魂に加味することを意味します。 「オギャー!」(肉体に閉じ込められるのイヤだ!) 物質界への誕生です。 振り返ればドアーには 「物質界への誕生おめでとう!!」と 書かれていたのでしょうけど・・。 肉体の両親の満面の笑顔で迎えられ、 霊界の記憶は忘却の彼方へ・・。ニコニコとなります。 以前の物質界での記憶や、霊界での記憶は、 今回の肉体での修行の邪魔になるため、 潜在意識化に埋没されます。 僕達は今は、 あの世とこの世を繰返して進化してゆく段階にある生命体なのです。 もちろん、人間での経験の前は、 midori0808さんも、僕も、 遠い昔、原始生命体や動植物の体での経験も経ています。 その経験の概略は潜在意識に記憶されているようです。 人間の修行レベルも様々ありますが、 それが終わってもまだ上のレベルが無限に続きます。 僕達は魂(心)の進化のために生きる永遠の生命です。 長くなり失礼しました。

回答No.20

率直に申し上げて死んでも自分の意識は持続しています。そのために困ったことにもなります。何故なら、この世にいたとき以上の意識、考え方、思考力以上の認識ができないからです。 ここに学びの原点があります。この世で何故一生懸命に努力して学ぶ必要があるかといえば、認識力を向上させるためです。 認識力が向上してくると、洞察力などが向上して、目に見えない意識(心)の世界観が理解できてくるのです。俗に言う矛盾が矛盾でなくなってくるのです。 悩みや苦悩のほとんどのケースが、目に見えない抽象的な精神世界を理解できないところの矛盾に原因があるように考えられます。生・老・病・死の四苦と言って逃れることのできない人生の疑問でもあります。 一般的には唯物主義と、唯神(心・精神)主義とも言いますが、心の世界を理解できるように即ち目に見えない抽象的な世界観をどこまで信じようとするか...に尽きると思います。 考えたり思ったりしている存在が人間ですが、その「認識力」は悟りとも言って永遠の課題でもあります。永遠の課題ですから、生命も永遠に与えられて修行(あの世とこの世を転生輪廻)しているのです。 死んだと思っても、自分の個性としての意識、思考力は死ぬことができないのです。これは真理で人間の意識や理解の程度で変えることができないのです。 目に見えない意識の世界観が、理解できてくればくる程人生のあらゆる人間関係、動物、植物、鉱物などあらゆる現象が実に「合目的的」に創造されていることも理解できてきます。 世の中には必ず、真理を理解できている人間も存在していますから、そのような方々から素直に学ばれたら理解できると思います。 「人生は一冊の問題集」なのです。正直に生きる以外に方法はないのです。この世での出来・不出来は、死後あの世で精算されます。誰もが逃れることができない仕組みになっています。 ごまかしは一切ききません。ですから大昔から迷ったときには自分の良心に聞きなさい。自分はごまかせないと言うことです。正直に生きると言うことはそういうことです。それが死後全部精算されますから。

noname#19664
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は大学が哲学科だったのですが、回答者様が仰られたようなことは大学で学びましたが、一つ、疑問があります。 私は人間だけを特別扱いするつもりはないのですが、そうなるとやはり動物や植物も輪廻転生するのでしょうか。 そう考えると、輪廻転生は、人間が考え出した観念に過ぎないのでは、と思いますが、いかがでしょうか。

  • tenketu
  • ベストアンサー率11% (1/9)
回答No.19

あの世へいきます。 ただし、いきなりあの世にいくのではなく、その間に中間地点があります。言葉で表現しにくいのですが、簡単に言えば、「ゆめのようなところ」。死んだ人の魂はまずそこに移動し、しばらくの間居続けます。やがてはあの世へ行きますが。その「ゆめのようなところ」では物理的な法則が成り立っていません。 で、一旦あの世に行ってしまえば戻ってこれない。 ただしあの世については何もわかりません。もしかしたら「無」かもしれません。

noname#19664
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「ゆめのようなところ」にいる間は生きているのですか?死んでいるのですか?

回答No.18

脳は、電気化学的な反応により神経回路が活動しているものなので、死ぬとこれが停止し、生まれる前と同じ状態、すなわち無意識になるのではないでしょうか? midori0808さんはなぜ、死ぬとどうなるか、というテーマに関心をお持ちなのでしょうか? midori0808さんご自身は、どのようにお考えなのでしょうか?

noname#19664
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 死ぬとどうなるか、というのは、永遠のテーマではないかと思ったからです。 私は唯脳論を読んでから、それを信じています。 つまりFutu-nohito様と同じ考えです。

回答No.17

死んだ後のことなんて宗教に任せればいいんじゃないですか? 想像のしようもありませんしね。 現実的には「意識がなくなる」ってのがあるんでしょうね。意識がなくなるのは怖いです、私は死を恐れています。。依怙地で固まった考えですが、死なんか受けれませんよ、私は。

noname#19664
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 宗教もいろいろなことを述べているし、なんだか生きている人のこじつけみたいな感じなので、皆さんのご意見を聞きたかったのです。 意識がなくなるのが怖いですか? 意識がなくなったら怖いという感情もなくなると思いますが。

回答No.16

喜びや 哀しみや 嬉しさや 楽しさや 怒りや 甘さや酸っぱさや そんなものが入り混じりながら 今を  

noname#19664
質問者

お礼

まとめてお礼させていただきます。 回答ありがとうございます。 これはzenzenzen様の哲学でしょうか。

回答No.15

今 を生きられる.

回答No.14

むだと思う. 死んだらむだ. 死んでもむだ. だからこそ生きられる.  

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