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おしえていただけませんか。よろしくお願いいたします。
二月四日ごろと言えば、まだ寒いさかりである。寒いさかりに立春だと言って、春の到来を感じ取るということは、これからの若い人たちには、もうすでに困難になってきたかもしれない。私たちでも、小学読本で「三月、四月、五月を春という」と習っていたし、温暖の季節を春というのだとすれば、それはそのとおりに違いないのである。はじめて歳時記を読んだとき、立春から春だという約束は、ずいぶん日本人らしい気の早さだと思ったものだ。だが寒いさなかを春だと言って気持ちをやすめることを、私は今では納得したい気持ちである。冬という季節が長すぎるのは、どうにもやりきれないのである 質問(1) 「立春から春だという約束は、ずいぶん日本人らしい気の早さだと思ったものだ。」このセンテンスの意味は私にとってちょっと難しくて理解しにくいです。ご存知の日本人に詳しく説明してほしいです。 質問(2) 「だが寒いさなかを春だと言って気持ちをやすめることを、私は今では納得したい気持ちである。」というセンテンスの意味は詳しく説明してくださいませんか。よろしくお願いいたします。
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noname#67192
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noname#14748
回答No.2
お礼
教えていただきましてどうもありがとうございました。助かりました。