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どうして人間は恋をするのでしょうか?
素朴な疑問なのですが、どうして人間は恋をするのでしょうか? 実は自分も今まで沢山の人に恋をしてきました。 そして現在もキャラクターにですが、本気で恋しています。 自分なりの意見を述べると『恋をする事で自分を精神面でも肉体的にも変えるきっかけになるから恋をすると思います』 ◎何故、恋をするか考えた方はあまりいらっしゃらないと思うのですが、皆さんのご意見を聞かせて下さい。 お願いします。
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人間は、きわめて高度に進化し、精神構造も複雑になっていますので、恋愛感情も複雑ですが、やはり動物ですので、結局、基本的には子孫を残すためではないでしょうか。 でも、それだと同性愛の説明がつきませんが、やはり愛し愛されるのは、本能でしょうか。
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- jume
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楽園を夢見て。 楽園は旧約聖書の「エデンの園」のことです。それは、私たちの乳幼児期に比せられます。私たちはアダムとイブが楽園を追放されたごとく、親子の一体的な関係から引き剥がされます。それを取り戻そうとして、必ず失敗するのです。 恋愛にはまってしまう一群の人たちがいるそうです。アルコールに依存するように、彼らは恋愛に依存する。そこでは、恋愛は、その意味で一種の嗜癖です。 欲求は満たされます。しかし、欲望は満たされません。食欲や睡眠欲や性欲は欲求ですが、たとえば消費は欲望です。マネーが底抜けなのは、それが欲求ではなく、欲望に根ざしているからです。性欲は欲求ですが、恋愛は欲望に属します。 それら欲望の中心は空洞です。その核を成すものはすでに失われていました。あらかじめ失われたもの、要するにあの楽園です。楽園の存在は、それが失われた後に発見され、また欲望されるのです。しかし、それは失われているがゆえに、決して手に入らず、だから永遠に欲望され続ける。 その過程が人を育てるということは、当然あります。人は、親-子の楽園関係を失ってのち、言語の世界に生まれなおします。それが私たちの生きる術だからです。しかし、言語の世界に生まれなおせば(知恵の実を食べれば)、あの楽園からは追放される。私たちは、楽園のイメージではなく、現実的な言葉を介しての関係構築へと移行するのです。その新しい世界で、子供は、失われ、もはや手に入らない楽園を再び手にしようと、次々と他者との関係を築き、成長することでしょう。そのとき、最初の楽園イメージが虐待などで傷ついていたら、言葉世界への生まれなおしは上手くいくでしょうか。 恋愛を介して、私たちは、かつての楽園を再現しようとします。しかし、それは必ず挫折します。挫折しなければならないのです。恋愛から愛の関係へ、関係を作り変える必要があるからです。その意味では、恋愛と失恋は、常に必ず一対ものとして存在するといえるでしょう。失恋のない恋愛はない。その事実を否認すると、ストーカーの病理が現れるわけです。 この恋愛と失恋の弁証法が、確かに人と育てるといえるでしょう。 この考え方は、精神分析に影響を受けています。
- ruehas
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こんにちは。 ひとが恋をするのは、それは自分の欲求を満たすためです。 人間を含め、全ての生物の行動や情動の動機は、本質的には自分の欲求を満たすという目的に集約されます。 食事をするという行為は食欲という本能を満たすためのものですし、嫌いなものに近寄らないのは不安を解消したり、身の安全を守るためです。会社や社会で認められ、尊敬されたければひとは努力しますし、苦痛から逃れたいと思えばサボります。当然、結果には満足できるものとできないものがありますから、その経験は次ぎの行動の動機となります。 このように、人間の行動とは、本質的に利己的なものです。ですから、恋愛の動機もこれに例外ではありません。 多くの生物がそうですが、性行動とは、性的欲求を満たすためのものです。言うまでもなく、それは子孫を残すための本能ですよね。 他の動物でもあるとは思いますが、人間の脳は比較的複雑にできていますから、そこにはもう少し多彩な行動や感情が加わります。人間の場合、これが「恋」ですね。性行動にそのような多彩な行動や感情が産まれるということは、人間はその動機となる欲求がそれだけ複雑であるということです。恋愛というのは、そのような多彩な欲求を満たすための行為です。 より美しいもの、より優れたものが欲しい、独占したい。深い愛情で結ばれ、強い信頼感を得たい。孤独や不安を解消して幸福感を味わいたい。このように、恋愛の相手は性的な興奮だけでなく、自分の様々な欲求も満たしてくれます。 そして不幸にも、もしも思いが遂げられない場合、その欲望は募るばかり、正にはち切れるほどの思いを味わあなければわなければなりません。逆に恋の苦しみとは、殊更そういうものです。どうしてそんなに辛い思いをするのかと言えば、そこに現実というものが、自分の欲求を受け入れてくれないからなんですね。 基本的には性欲という本能に由来するものですから、恋愛の対象は異性なのですが、欲求を満たすという目的が果たされるならば、極端な話、まあ相手は異性や人間に限ったことではないとも言えるかもしれません。キャラクターに恋をするということは、それによって自分の欲求が満たされているということですね。 このように、恋とは異性に対する自分の欲求であり、恋愛とはたいへん利己的な行為です。 質問者さんは、恋愛は自分を変えるためにするものだと仰いますが、結局これも、恋をすることによって自分の精神や肉体を安定させ、成長させたいという欲求を満たすということに他なりません。極めて自分中心の、利己的な考え方ですね。 先に述べました通り、人間が生きてゆくための行動の動機というものは全てそのような利己的なものですから、この辺りは別に批判することではありません。これは当たり前のことです。 ですけど、ならば、それは相手も同じことですよね。 恋愛の相手も同様に、自分に対して満足感を求めてきていることは間違いありません。そして、それは何らかの形で満たされているはずです。ですから、恋愛というのは自分の欲求を満たすためのものであると同時に、それは相手の欲求をも満たしてあげることのできる行為であることを忘れてはなりません。相手の心を満たしていると自負するならば、それはまた自分の幸福感にも繋がります。 自分の欲求を満たすためだけであるならば、キャラクターに恋をすることもできます。ですが、そのキャラクターに幸福感を与えてやることはできませんから、ご自分がそれに満足感を抱くこともありませんよね。恐らく、精神的な成長もあまり期待できませんよ。 恋愛はひとの多彩な欲求を満たし、満足感を与えてくれるものです。ですから、恋をすると人生がばら色になってしまうんですね。
- happy_books
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本能・生殖以外に、理由を見つけるのは、難しい といえば、難しいですが、キャラクターなんかや 近づけない人と恋愛するのも、疑似恋愛と言えば、 脳みその誤解で疑似恋愛なのかなー。 人生の潤滑油ってのも、あるとは思いますよ。 たとえば、子供が産めなくなっても恋愛はしますし。 年をとっても、体がふれあう事で、ストレスも解消され ますし。
理由なんて無いです。 その人を本当に好きだから恋をします。 側に居たくて、笑いかけて欲しくて、好きでいて欲しくて一緒に居たいからただそれだけです。
お礼
回答して下さってどうもありがとうございました。 『子孫に残すため』や『本能』と言われればその通りですね! 納得させられます。