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和訳の重要性(授業で・・・)
英語を学ぶにおいて和訳というのは基本中の基本だとは思いますが、『和訳なしに英文を読んだだけで意味が完全に理解できる』としたら、どうでしょうか?つまり、英文を読む→日本語に置き換えて考える→理解する→和訳をノートに書く・・・というのではなく、英文を読む→英語から直接理解・・・これが可能な場合、その和訳をわざわざノートに書く事は大切なのでしょうか? 個人的な考えとしては、複雑で理解しにくく、英文だけでは不明な場合は単語を調べたり文の構造を調べたりした上で和訳を書き出す。そして、単純で英文をひと通り読めば分かるものは特に和訳を書き出す必要はない・・・と思うのですが。どうなんでしょうか。
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#13です。 和訳は喩えるなら 自転車の補助輪や水泳のビート板みたいなものと考えてください。補助輪をつけた自転車で悪路を走ったり、ビート板で200メートルのプールで泳ぐよりも、自転車なら 平坦な道を補助輪をつけずに走ったり、水泳なら水深の浅いプールで10メートルくらい泳ぐことを覚えた方がいいですね。英語もこれと同じです。 つまり、最初は和訳しますが、あまり難しい題材は避けて少しずつ和訳しない方法が望ましいでしょう。 和訳に頼る学習は、加算不加算名詞の識別、時制やアスペクトの観念など 分かりにくい部分が沢山出てきます。
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- cortona
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英文和訳をチェックする仕事をしたことがあります。翻訳した人の ほとんどが英語で有名な学校の卒業者や帰国子女だったので、 あまり誤訳はないだろうと思っていました。でも実際にチェックしてみると、 何故この構文を間違える?などと首をひねることもありました。 速読や会話においては、ある程度のスピードが要求されますので 大意をつかめば十分でしょう。 ですが、十分に理解するためには、やはり書くことが重要だと思います。 書くと、あやふやな部分がよく見えますよね。簡単に思える文でも実は奥が深かったりします。一番長く接したのが日本語である以上、本当に理解してるかを判断する方法は、やはり日本語に直すことではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 有名な学校の卒業者や帰国子女の方々が意外にも誤訳が多いのですね。 >書くと、あやふやな部分がよく見えますよね。 確かに、実際に書き出してみると 「あっ、こんな所間違えてた」 みたいな事ってありますね。しかし、英語特有の言い回しを日本語に無理やり訳すのはどうかと思う面もありまして・・・・・難しい所です。
次元の違う話を一緒にしているような感じを受けます。 英文をそのまま理解できて目的が果たせれば、それ以上必要がないことは自明の理です。英米人はそうしています。日本人でも英字新聞や雑誌を読む場合、或いは観光パンフレット読む場合は和訳などしません。つまり自己責任で動ける社会人には翻訳は不要です。 和訳が問題にされるのは、日本人が英会話に弱いために 教授方法を論じる時です。待ったく言語構造が異なる 英語と日本語では和訳は不可欠です(教育として)。 英語だけで生活する人には不要に思えるかも知れませんが、和訳が出来ない英語力では日本人として平均以下になります。つまり、人の役に立たない語学力ということになります。 同じ論調でいえば逆も真なりでいつ使うか分からない、90%以上の人は仕事で使うことのない英会話に膨大な時間を費やすのは無駄だということになりませんか。 帰国子女や駐在員経験者(英語を専門としない)で帰国後、英語(その他の言語も含む)でまともな通訳が出来ない、つまり人の役に立たない人を何人か知っています。彼らは日本語訳が出来ないからです(日本語が出来ないともいえます) あなたが学生なら和訳は重要だといえます。訓練の一環としてまた将来の実用英語(話すだけではなく)として必要になります。
お礼
回答ありがとうございます。申し遅れましたが学生です。 やはり和訳は大切ですよね。毎日授業の予習として和訳をやっています。しかし、文字を見ないと話せないような感じにはなりたくないので・・・英会話の途中でもわざわざ日本語に変換して考えるような癖は付けないで、自然な流れの中での会話を目指したいのです。現在は日常会話なら特に支障はないですが、もっと自分の意見をスラスラと即席でも言えるような(前もって「こう話そう!」と用意するのではなく・・・)形を目標としています。その場合、和訳は和訳で、会話は会話で別々に訓練すれば良いのでしょうか?
- bericom
- ベストアンサー率26% (9/34)
>英文を読む→英語から直接理解 これは非常に理想的な形だと思います。 しかし現実問題、ある程度の年齢に達し、日常的に日本語しか使用していないととても難しいと思います。 英語を日本語に訳す作業を抜かし、英語を英語として理解する、というのは我々が日本語をそのまま理解していることと同じものだと思います。 いきなり英語をそのようにすることの出来る人は少ないのではないでしょうか。 日本人が英語を学ぶ上で、その過程を踏む日本教育は解らないでもありません。 しかし英語を英語として理解するのと英語を日本語に訳す、という二つの能力は異なります。 英語を理解し、話すだけならば、その過程は必要ないかもしれません。 英語を日本人に説明するためには絶対に必要な過程だと思います。 ここは日本のため、こういう能力はあった方が良いのかな、とも思います。
お礼
回答ありがとうございます。 やっぱり日本の中で英語を学ぶには、翻訳能力が少なからず必要になるのでしょうか。まぁ、 「この部分は英語では分かるけど日本語では説明できません」 というのでは困りますからねー。
- appleapple
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ご質問の感じでは、全訳をノートに書く必要はないと思います。 ただ自分でわかったと思っていても、勘違い、誤解というのがあります。簡単だと思って適当に頭で処理したが、実際は違っていたという場合です。 それを授業で解消できるのであれば、全訳を書くという作業は必要ないでしょう。 しかしこの昔からのやり方で英語力をつけた人はたくさんいます。馬鹿にできない方法です。
お礼
回答ありがとうございます。 >自分でわかったと思っていても、勘違い、誤解というのがあります。 確かに、和訳を書き出してみる事でここが実はこうだったなぁ・・・とかを客観的に見る事ができますしね。決して足蹴にする事のできない作業だと改めて思いました。
- Kurouto
- ベストアンサー率28% (96/338)
I agree with what you think! 私は、5年間アメリカに住んでいました。 そして、私が一番苦手なことは和訳です。 自慢ではありませんが、TOEFL620点です。 普通に会話もできますし、英語ではもう困りません。 ですが、翻訳となると話は別です。 日本の英語の授業はまるでみんなを翻訳家にさせたいみたいなものが多すぎです。 英語を聞いて日本語に置き換えて理解するという作業は英会話の中ではまったく無駄です。 だから私はノートに書くことは無意味だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 >日本の英語の授業はまるでみんなを翻訳家にさせたいみたいなものが多すぎです。 ・・・確かに一理あります。 そうですね。英会話に関しては、『書く』という作業よりも『聞く』『話す』が重要になりますからね。
- esistdas
- ベストアンサー率33% (104/306)
> 英文を読む→英語から直接理解・・・これが可能な場合 可能じゃない場合が少なからず認められるために、また日本語という「目に見える形」を生徒の理解度の客観的な判断基準にしやすいために、和訳が求められているのだと思います。 各人の理解の仕方は様々ですので、理想として「英文を英文のまま理解」することは必要かと思いますが、それに従わない現実がありますよね…
お礼
回答ありがとうございます。 確かに、和訳という形で生徒がどのような考え方をしたか判断しやすくなりますね。その人の頭の中でどんな風に処理しているかが一目瞭然になりますし・・・・・そういった点から和訳を課すのかも知れません。
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お礼
再びありがとうございます。 非常に分かりやすい例えですね。確かに、いつまでも補助輪付きで走っている訳にもいきません。 >和訳に頼る学習は、加算不加算名詞の識別、時制やアスペクトの観念など 分かりにくい部分が沢山出てきます。 これが苦労するんですよねー・・・・・完了形の訳も過去形の訳も似たり寄ったりになってしまって。日本語での表現に限界を感じた瞬間でした;;