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結界の本当の意味とは何ですか

昔、ある古刹のお寺を拝観した折、境内やお堂の中に何ヶ所か、仕切りを設けて人が入れないようにした結界がありました。案内して下さったお坊さんがちらりと、「本当の結界は全然違うもの」というようなことをおっしゃったことが気にかかっています。 辞書には、だいたい「神聖・清浄であったり宗教的に重要な場所を俗世界と区別して人の立ち入りを制限した区域」といった意味が載っています。このほかに歴史的にみて本来の意味があれば、教えて下さい。長年頭の片隅にひっかかっています。

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  • neil_2112
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回答No.3

日本では、どう歴史を遡ってもおよそご質問のような意味しかないと思います。 ただ、ぐーっと思いっきり遡ってみると(そのお坊さんのせりふの真意かどうかはわかりませんが)、界というのはかつてのインド仏教ではとても重要な概念で、いわば「修行僧の活動範囲」のような意味合いがありました。 ちょっと背景を説明しないといけないのですが、仏教の修行僧というのは一人で修行したわけではありません。常に「サンガ」という集団を作っていて、集団にとって重要なことはすべて全員参加の合議制で事を決めていましたから、個々人で瞑想する時間はもちろんあったにせよ、定例の反省会など必要な時には、必ず全員が集まるのが鉄則だったのです。 こういう、ひとまとまりになれる単位としての修行僧集団を「現前サンガ」といって、これには、必ず地理的な範囲が定められるものでした。誰それがメンバーである、ということ以上に、どの範囲がそのサンガに属するのか、ということが重視されたのです。 これが本来の「界」で、「どこどこの川からどこの丘まで」といった具合に、全員の了解のもとに設定されました。この行為が「界を結ぶ」、つまり本来の「結界」の意味です。 この「界」にはもちろん目に見える仕切りはありませんが、修行僧にとっては非常に重要なものだったようで、自分が界のどちら側にいるかは常に意識されていましたし、例えば「修行僧は金銭を持ってはいけない」という規則は、「界に金銭を持ち込んではならない」ことに等しかったのです。 日本仏教にはこういうことを定めた律が全くありませんから、インド仏教の「界」という概念はなんだかわからないものになっています。 ただ強いていうと、例えば東大寺の戒壇院のように受戒して出家者を生み出す場所が今でも「結界」になっているあたりに、少しそういう感覚の名残りがあるようにもみえます。 インドでも、小僧が受戒をして比丘(ビク)という正式なサンガのメンバーになるには、そのサンガの全メンバーが立ち会って承認するのが本来でした。ただこれも度重なるとメンバーの修行の妨げになりかねませんから、やがて、受戒に最低必要な人間を十人として、その十人で受戒のたびに小さな界を設定することにしたのです。つまりそうやって、界にいるサンガ全員参加のもとで受戒を行った、という建前を守ったわけです。戒壇院も、もともとこういう方便だった界がやがて常設の建物となり、全体が「結界」とされて今に至る、というふうに見ることができるのではないでしょうか。 今ではこういう「界」の概念はほとんど知られていないし必要もないことです。というわけで、ご質問の「本来」の意味が果たして上に書いたようなことかどうか、全く自信はありません。

noname#9874
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どうもありがとうございました。

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noname#38005
noname#38005
回答No.2

お寺なり神社のある地域(山など)が第一の結界、山門の内側が第二の結界、本堂の中が第三の結界、本堂の中でも祈祷修法をする場所には更に場所を仕切って注連縄や人形やお札を張り巡らしてある。 と書いてありました。 そこのお寺では、部外者が侵入できない為の結界だったのではないですか? その為、本来の結界とは意味が違うと言ったのではないでしょうか?

参考URL:
http://www.kumokiri.net/kouza/ten15.html
noname#9874
質問者

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  • m770
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回答No.1

 奈良県の大峰山(山上一帯がお寺になっており、修験場になっている)への登山道には、女人結界があります。  女性=不浄との大昔の迷信が宗教的伝統として1000年ぐらい延々と続いています。お寺の結界なのになぜか結界の入り口は鳥居だったりしますが。

noname#9874
質問者

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どうもありがとうございました。

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