確かに釈尊は初期の段階ではマントラ(咒)を禁止していましたが、後に歯痛止めや毒蛇除けの咒の使用を認めました。弟子たちの現実的要求は認めざるを得なかったのでしょう。
釈尊在世中であるならともかくとして、そうでないならば釈尊が行ったであろう、瞑想の実践こそが修行ですが、そのプロセスの一つとしてジャパ、つまり聖音であるマントラを繰り返し唱えるという「念誦法」という瞑想(観法)が行われるようになりました。また念仏も「仏を観相し念じる」という瞑想であり、その一つとして「仏の名を口にする」、そして特に阿弥陀如来の念仏が重視されたので「念仏=南無阿弥陀仏」と認識されるまでになりました。現代人が仏教徒のシンボルのように思っている数珠も、本来はバラモンがジャパを行う際に用いていた道具を取り入れたものです。仏画でも羅漢(小乗)は数珠を持たないが、菩薩(大乗)は持つ。数珠は大乗仏教の修行を表しているといっても過言ではないでしょう。
つまり仏教は“世間的なおまじない”であったマントラを、仏教修行の一つとして完成させていったのではないでしょうか。そしてその功徳のひとつに“世間的な望みも成就する”のですが、通俗的にその一面のみが強調されたのでしょう。
また“釈尊は云々”と述べる人たちには、一つのバイアスがかかっているようにも思えます。つまり近代仏教学というものが「仏教の哲学化」を目指していた。そうであれば初期仏教が正当で、大乗は亜流、密教に至っては堕落、という認識がなされていました。また通俗受けする“仏教学者”と称する人たちは未だにそんな仏教観を持っているようにも思えます。そこで釈尊の言葉の一面性だけを取り上げて、「これこそ正当仏教」と吹聴しているようにも思えます。しかし釈尊といえども当時のインドにおける神話的世界観・歴史的背景などの影響を全く受けていないとする方が不自然でしょう。逆に言えば神話性を否定し、合理性・哲学性のみを強調するのも仏教の神話化ではないかとの考えもあります。初期仏教においても多種多様な信仰・思想が混在していた。しかし仏教の大道さえ見失っていなければ、それは仏教なのです。
釈尊も言われたでしょう。「法を灯明とせよ」と。
なお、釈尊在世中のインドの多文化性から初期仏教の姿を探る良書として、名古屋大学名誉教授で現在、真言宗智山派管長・智積院化主である宮坂宥勝先生による『ブッダの教え スッタニパータ』(法蔵館)があります。
参考
『ブッダの教え スッタニパータ』(宮坂宥勝・法蔵館)
『般若心経の新世界 インド仏教実践論の基調』(宮坂宥洪・人文書院)
お礼
どうも有り難うございました。近いうちに是非よんでみます。