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仏教での意味の「縁起」とは?
「縁起」とは仏陀が見つけた、普遍妥当性のもった真理である。 とは、わかるのですがあまり詳しくわかりません。 よろしかったら、教えてください(><) お願いします。
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- BLUEPIXY
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>何かを例にだし、よって原因が結果であるという。とすればいいのですね?! 言われていることがさっぱりわかりません。 仏教で言う所の「四諦」って知っていますか? 仏教の発端として、苦があって、苦を克服する(?)にはどうすればいいかということですが、 "苦"とは何か、どうして"苦"が生ずるのかということの観察の結果として、 "苦"を取り除くには、その原因となるものを"滅"すればいい。 "苦"の実体とは何か、 あらゆるものを根源的に突き止めていくと 永遠の存在としての実体を持たないものである。 というような"観察" まあ、おおざっぱにいうと、こうしたものが仏教的縁起の法と言えるのではないでしょうか 原始仏教的「縁起」、大乗仏教的(空の思想的)「縁起」についての考察としては、 中村元氏著講談社学術文庫『龍樹』にとても良いものがあります。参考にされると良いかと思います。 私的には、原始仏教的仏教の方が好きです
- kjn
- ベストアンサー率47% (43/90)
縁起とは、例えばAさんがBさんを見るときに、なぜ(原因)AさんはBさんだと認識することができるか(結果)?ということについて考えてみましょう。Bさんの顔や声や服装や、これまでBさんと会ったことがある経験、もっと細かくいえばAさんの目が見えるということ、耳が聞こえるということ、Bさんが自ら「私はBです」と名乗ることなどなど、様々な要素が重なり合って初めてAさんはBさんを「Bさんだ」と認識することができるのです。そしてそれによってBさんはAさんの中で存在するのです。 同様に人が死んだり、悪いことが起こったり、子供が生まれたり、色々な現象は様々な要素が重なり合って起こっていると考えられます。 このように色々な縁が寄り合って起こることを縁起といいます。これは相対性理論にも少し似ているところがあるのですが、仏教では縁起だけでなく「空(くう)」という思想を表裏一体で学びます。空というのは、そのようにすべての物事が色々な要素の集合によって初めて存在することができるのであれば、そもそもそれ自体では存在し得ない=存在しないということなのです。本来は何も存在しないから欲望や憎しみに対する執着を振り払うことができるはずだ、と考えるわけです。縁起と空は切り離して考えることができず、縁起を悟るためには空が、空を悟るためには縁起が必要になるのです。 ※仏教といっても国によっても違うし宗派もたくさんあります。まったく違った説明をされる方や、これは間違えているという方もいるかとおもいますが、あくまでも私が学んだことの範囲でお答えします。
- BLUEPIXY
- ベストアンサー率50% (3003/5914)
簡単には、 物事には、その原因があって結果があるということ でいいかと思います。
お礼
回答ありがとうございます(><) まとめるとすれば、何かを例にだし、よって原因が結果であるという。とすればいいのですね?! ありがとうございました^^
補足
回答ありがとうございます。 表裏など、切り離すことができない、関係性があるってことですよね? あと、「ご縁」は必然性はない、人と人のと出会い、ですが、「ご縁」と「縁起」はイコールではありませんよね?? で、「運命(仏教にはこの言葉はないのですが、使わせていただきます)」は、生まれたときに既に人生が誰かによって決まっている、と習いました。 これは「縁起」とはイコールで結んでもよいのでしょうか?? 知っておられましたらお願いします。