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仏教
ぶっだは確か亡くなる直前に、自灯明法灯明って言い残しましたよね。 私が教えた真理と己を拠り所にして生きよと。 3つ質問があります。 1.法(=真理)とはどれのことを言っているのですか。 縁起と三法印と十二因縁の三つであってますか。 2.自分を拠り所とせよとのことですがこの場合の「自分」とはなんですか。 無我を説いているのに自分を拠り所にせよとはいったいなんなのですか。 基督教的な"自分"とは違うものなのはなんとなく直感ですがわかります。 人間の物差しに従うのではなく法に従って生きる「自分」のことを言ってるのですかこれは。 3.十二因縁が意味不明です。 ウィキペは苦が生まれて終わるまでの道筋と書いてますが抽象的すぎて意味不明です。 わかりやすく要約してください。 ここ最近ずっと考えていますがわけわかめです。
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- 3355Teach
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1 この「法」は縁生の事法であるダルマのことではなく、その基底にある縁起の理法であるダルミンのことです。 2 この「己」は、釈迦の説いた法を体得した出家修行者のことです。
- OYAZ1962
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仏教学者ではないので(2)の質問に限定させて頂きます。 無我というのは自分が無いという状態ではないのだと思います。言うならば我執のない自己ですか。 自灯明法灯明については、舟の例えで納得した事があります。 川の傍で暮らしていても、川を渡りたいと思わなければ舟は必要ない。川を渡りたいと思っても舟の使い方が分からなければ使えない。そして、川を渡れたならばもう舟は要らない。これが発心であり僧であり仏法である、と言う説話です。 仏教にも沢山の流派がありますが、禅宗に近い解釈でいくとこんな感じになると思います。 仏教(特に禅宗)は、「釈迦に会っては釈迦を殺し」などと言っちゃうぐらいなので、神の庇護を前提とする宗教では理解できないかも知れません。