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「薫陶を受ける」

「薫陶を受ける」の意味がつかめません。 辞書には「(良い香を焚いて薫りをしみこませ、粘土をこねて陶器を作るの意から)すぐれた人格で人を感化し、立派な人間を作り上げること」 「作り上げること」を「受ける」とはどういうことですか?? 今までは、「感慨を受ける」という意味か、「教えを受ける」というような意味で受け取っていましたが、辞書を引いたら逆に分からなくなってしまいました…。 どなたかスッキリさせて下さい!!

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回答No.10

■momo_0729さんが、補足の欄で質問なさっている「改めて薫陶を受けた」という言葉の意味について。 ■抜粋引用された日記のシチュエーションを理解していきましょう。 ■つまり、この日記を書いた「ある経営者」は、誰かから「アドバイス」を受けたわけですよね。この経営者が「薫陶」と言っているのは、この「アドバイス」のことですよね。#5さんがおっしゃっているように、この経営者は、そのアドバイザーに敬意を表して、「薫陶」という言葉を使っているわけですよね。 ■さて、「改めて薫陶を受けた」というのは、どうやら、「どうして人間は働くのかといった『職業観』」について、この経営者自身も「普段言ってるつもり」だったが、実は「正しく伝えきれていない」ということに、このアドバイザーの言葉に触れて気付かされた……ということではないでしょうか。 ■そして、このアドバイザーの言葉の中で、この経営者に「なるほど」と思わせた注目すべき部分は、きっと、「世の中すべての事が自分で出来るものではない。99%は他人任せ、自分に与えられた残りの1%の責務を懸命に果たし、この事に喜びを見出すのが職業観だ」という部分でしょう。 ■ここまでをまとめますと、「改めて薫陶を受けた」というのは、次のような意味ではないでしょうか。すなわち……「『職業観』を正しく伝えていないと組織は成長しないということは、以前から思っていたことだし、経営者として『職業観』を伝えてきたつもりだったが、優れたアドバイスをお聞きして、自分の伝え方に甘さがあったことを教えられた」という意味。 ■「薫陶を受けた」というのは、単に「感じた」とか「認識した」とかいう意味ではなく、皆さんが指摘されているように「優れた教えを受けた」という意味です。 ■ついでに、garamondさんが「印象を受ける」「感慨を受ける」という表現について#7・#8でご指摘になっていることに関して、「改めて」私の見解を述べさせてください。(あくまでも、私の見解であって、絶対的なものではないと思います。) (1)「影響を受ける」「教育を受ける」「薫陶を受ける」「感慨を受ける」「印象を受ける」という表現は、すべて正しい表現です。 (2)これらの言い回しに「受ける」という言葉が使われているのは、これらの言い回しが「他から『何らかの影響力』が及んでくること」を含み持った言葉だからです。 (3)ただ、【A「影響」「教育」「薫陶」】と【B「感慨」「印象」】とは、言葉の性質が違います。 (4)【A】は他動詞的意味合いを持った言葉ですから、「影響を受ける」「教育を受ける」「薫陶を受ける」という言い回しは、まさに受身的な表現です。 (5)【B】には他動詞的意味合いはありません。よって、「感慨を受ける」「印象を受ける」には受身的な意味は希薄です。 (6)他動詞的意味合いが希薄な【B】の方は「感慨を抱く」「印象を持つ」といった言い方が可能ですが、他動詞的意味合いの強い【A】の方は「抱く」とか「持つ」とかいう動詞にはなじみません。(「影響を抱く」「教育を持つ」などとは言いません。) (7)なお、私は、これらの言葉が他動詞的意味合いを持つ言葉かどうかについては、あくまでも現代日本語における用法で判断しています。問題となっている「~を受ける」「~を抱く」「~を持つ」という言い回しは日本語だからです。言葉の由来(中国語)にまで遡ると、どんな言葉も他動詞的な意味用法を持ってしまいます。(たとえば、もともと「死」という語にも、「死ぬ」という自動詞的意味だけでなく「死なせる・殺す」という他動詞的意味がありますが、現代日本語ではもっぱら自動詞的な意味でしか使われません。)私の感覚では、「印象」という言葉は、日本語では他動詞的意味合いが希薄な言葉の方に分類されます。だからこそ「印象を持つ」という言い方が成立するのだと思うのです。

momo_0729
質問者

お礼

すごくよくわかりました!! 丁寧なご回答をありがとうございます・・・!

その他の回答 (9)

  • garamond
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回答No.9

済みません。補足のチェックが遅れました。 なるほど、示して下さった日記での使い方を御覧になれば、すっきりしないとおっしゃることはよく分かります。このような用法は一般的ではありませんね。 ここでは「改めて教えられた、教訓を得た」という意味のようですね。確かに「薫陶を受ける」=「教えられる」でいいのですが、「薫陶を受ける」は先生が教え、生徒が教わるというとき、お互いに「教えよう」「教えてもらおう」という共通認識がある場合が普通のように、私は感じています。ですから、今回ある人からアドバイスを受けて、そこからしかじかの教訓を「自分なりに汲み取った」ということを指して「改めて薫陶を受けた」というのであれば、ちょっと不自然な感じがします。 「いつも適切なアドバイスをいただき、偉大な教育者の薫陶を受ける思いがする」といった表現ならまだわかりますが。もちろん、人様の文章のアラ探しをしようというつもりではありません。

  • garamond
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回答No.8

お詫びと訂正。間に合えばよいのですが(入力が遅いので)。 #4,#7 です。 前の回答の最後の部分で、「いい印象を持つ」が正しくないように書いてしまいました。 質問者様、#6 さんにご迷惑を掛けてしまいました。 次のように訂正させてください。 「印象」は「人の心に刻みつける」また「そうして刻みつけられたもの」といった意味を持ち、「…な印象を与える/受ける/持つ」などと使われますが、もともと「与える」という他動詞的な用法に由来するので、「感慨」とは少し類を異にするように思います。 よく考えずに投稿してしまい、申し訳ありませんでした。

momo_0729
質問者

補足

何度もすみません。なんか補足から色々また疑問が出ているような気もいたしますが… (「感銘」と「感慨」の違いはスッキリしました♪)。 多分、yumehirakuさんのおっしゃるように、使い慣れていないのでスッキリしないのだと思います。 ですが、スッキリしないのに知ったかぶりして使う事もできない厄介な性格なのです。 しつこくて申し訳ありません。 最初からコレ↓を載せればよかったのかな?と今更ながら思うのですが、 下記、先日読んだ、ある経営者の日記の抜粋です。 ---------------- さて、今回アドバイスを受けたのは、どうして人間は働くのかといった 『職業観』を正しく伝えていないと組織は成長しないという話題。 一時的に大きくなる事はあってもそれは単に膨張であって真の成長ではないというのだ。 世の中すべての事が自分で出来るものではない。99%は他人任せ、 自分に与えられた残りの1%の責務を懸命に果たし、この事に喜びを見出すのが 職業観だと、改めて薫陶を受けるが、なるほど僕は普段言ってるつもりだけで、 伝えきれていないのかもしれない。 ---------------- 私はこれを読んで、彼は、 「世の中すべての事が自分で出来るものではない。 99%は他人任せ、自分に~この事に喜びを見出すのが職業観」だと、 改めて感じた、というように理解しました。 「改めて」とあるので、元々そう思っていたけれど再認識したという事? でも、「薫陶を受ける」とあるので、今まではちょっと違う考えだったけれど、 アドバイスに感化され(もしくは感銘を受け)、この職業観に辿り着いたということでしょうか? 今回は、この職業観が正しいかどうかは別として、 彼が「改めて薫陶を受けた」という意味について、教えて下さい。 日本語って本当に奥が深いですね。(私がややこしくしているだけ?) みなさま、もう少しお付き合い下さいませ。 「薫陶(を受ける)=○●」みたいに、置き換えれると一番理解できそうなのですが~! あとちょっとでわからないのです。 今、私の頭の中では、「薫陶を受ける=教えを受け、感銘を受ける(感化される)」 という感じです。

  • garamond
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回答No.7

#4です。 #6さんの最後の部分に関連して補足します。 御質問の中にあった例のうち、「教えを受ける」はごく普通の言い回しで、特に問題となるところはありません。 たとえば、「医師の診察を受ける」の場合、話し手に対して「診察」という行為をしてくれる「医師」が存在します。 初めの回答では触れませんでしたが、「感慨を受ける」は、私としては少し奇異に感じました(すみません)。 #6さんがおっしゃるように、自動詞の場合、「感動」「感激」、「憤慨」「慨嘆」などの行為をするのは話し手自身であって、誰かが話し手に対してしてくれることではありません。ですから、これを「受ける」と言うのは、少し違うのではないか、というわけです。 やはり、「感銘を受ける」「感化を受ける」のように用いるのが普通で、「感慨」の方は、「感慨を新たにした」「感慨ひとしおである」「ひとしきり感慨にふけった」「いささか感慨なきを得ない」など、話し手自身について言う言い回しが自然だと思います。 また、「印象を受ける」については、私は#6さんと少し違い、普通の言い方だと思っています。 「印象」を「感想」に似た使い方で、「彼に対していい印象を持っていない」と言う人がいますが、私個人は、正しい表現ではないように感じています。 「印象」はやはり「他人の心に刻みつける」というのが本来の意味で、「試験官ににいい印象を与えた」「あまり乗り気でないような印象を受けた(=与えられた)」のように使うのがよいのではないかと思います。

回答No.6

■皆さんのおっしゃっている通りだと思います。ちょっと違う切り込み方をしてみましょう。 ■momo_0729さんは、「影響を受ける」「教育を受ける」という言い回しには、抵抗を感じないのですよね。 ■「影響」「教育」を辞書で引いてみてください。 ■私の手元にある辞書には、「影響」は「力や作用が他のものに及んで変化や反応をひきおこすこと」と出ています。ということは、「影響を受ける」という表現は、「ひきおこすこと」を「受ける」という言い回しの表現です。 ■「教育」は「知識や技能を教えて身につけさせること」と出ています。ということは、「教育を受ける」という表現は、「身につけさせること」を「受ける」という言い回しの表現です。 ■これらの表現は理解できるのに「薫陶を受ける」という表現には違和感を感じる……というのであれば、それは、きっと、momo_0729さんが「薫陶」という言葉にまだなじんでいないからで、なじんでくれば、「薫陶を受ける」は「教育を受ける」と同じようにスッキリした表現に見えてくると思うのですが……。 ■ぜひ、「薫陶を受ける」という表現にも慣れ親しんでください。 ■なお、これらの表現に使われている「受ける」という言葉は、#2さん、#4さんが端的にご指摘になっているように、他から「はたらきかけ『られる』こと」、つまり「受身」を表していると考えて差し支えないと思います。 ■ただ、momo_0729さんの質問文中の「感慨を受ける」というのは、やや質的に違う表現です。「影響」「教育」「薫陶」が「他動詞的な意味(=他に対してはたらきかけるという意味内容)を持つ言葉」であるのに対して、「感慨」は(他からのはたらきかけが及んできた結果であるにはちがいないのですが)言葉自体には「他動詞的な意味」が無いからです。「印象を受ける」なども、そういう表現です。

  • aminouchi
  • ベストアンサー率46% (376/804)
回答No.5

momo_0729さんのお引きになった辞書は「新明解国語辞典」ではないかと推測いたします。 新潮国語辞典では次の様に説明されています。 「(香をたいてかおりをしみこませ、土を焼いて形を整えて陶器を作るの意。儒学の語)徳をもって人を教え育て上げること。父母や師の教育をほめていう場合に用いる語」 ここで注意していただきたいことは、momo_0729さんの場合も新潮の場合もいずれも「薫陶」という言葉の意味であることです。つまり、薫陶とは教える側の行為をさすのです。 「薫陶を受ける」というのは、「教えを受ける」とほぼ似た意味ですが以下の点で異なっています。それは他人から自分が誉められた時などに、「優れた人格を持った父母や師などに日常的に接したり、教えられたりしてその影響を受けた結果、私も(このように)まともな人間になりました」という意味で答える言葉であり、新潮国語辞典にあるように父母や師など自分が影響を受けた人や書物などを誉める言葉です。 ですから、普通の用法では「薫陶を与える」などとは言いません。なぜなら、自分のしている教育が立派である、とみずから宣言していることになるからで、儒教的にはそのようなことを言う人間には徳がないとされるからです。 もう一度言えば薫陶とは「立派な人間を作り上げること」ですが、主体(教育をしている側)が発することはないのです。ですから基本的に「薫陶を受ける」という受け身的な使い方をすることになります。

  • garamond
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回答No.4

この場合、「受ける」はそれほど重い意味(何かを授かるといった)は無いのではありませんか。 「被る」、つまり他人からある行為をされる、他人の行為が自分に及ぶ、ぐらいの意味合いで、「指導を受ける」「批判を受ける」などと同様ではないでしょうか。 要するに「受け身」的な表現の一種に過ぎないと思いますが。

回答No.3

「薫陶」を辞書で調べましたところ、確かに仰るように「作り上げること」を「受ける」とは……?と感じました。普段何気なく使っている言葉も、よくよく考えてみなければ、このような疑問を持つこともなく過ぎていってしまいますね。よい考える機会をこのサイトは与えてくれると思います。 さて、私は「受ける」の方を調べてみました。受ける→「うく」(受く、享く、承く、請く)が持つ意味「(他からふりかかってくるものを)抵抗せずに身に取る。受け止める。被る。授かる。……」等々とある中、「作り上げようとする恣意的な意思」を「受け止めて、授かろう」とすること。を指すのではないでしょうか。  「薫陶」という言葉の中には、教える側が教えようとする意欲・意思を持っていて、教えられる方もそれを受け止め、授かろうとする意欲・意思があって、始めて成り立つ関係を指すのではないかと感じました。  教える側、教わる側お互いが一つの道を極めようとする意思を持つということは「羨ましい」かぎりであります。本題から少し逸れてしまいましたが、私なりの解釈であります。

回答No.2

> 「作り上げること」を「受ける」とはどういうことですか?? 作り上げられた、作られた、ということです。 薫陶は「人徳・品位などで人を感化し、よい方に導くこと。」ですから、「薫陶を受ける」のはそれの「受身」ですよね。 「感慨を受ける」はちとニュアンスが違うようですが、お書きになったように「教えを受け」感化されるの意味で間違いないです。

  • noffihc
  • ベストアンサー率24% (24/100)
回答No.1

 こんにちは。  「薫陶」自体は辞書の意味通りに「作り上げること」になりますが、「薫陶を受ける」場合は「他人から」受けることになります。  そう考えるとお書きになってるとおりの「教えを受ける」の意味合いになると思いますが、いかがでしょうか?

momo_0729
質問者

補足

ありがとうございます。難しくてまだ何となくしか掴めておりませんが、ええとつまり、 薫陶を受けた。という文章は、 「(師匠の)優れた人格や教えに感化され、私も立派な人間になることが出来ました」 というようなニュアンスでよろしいでしょうか? 噛み砕いて言うならば、 「良いこと聞いた(教えてもらった)なあ。」 ということ? すみません低レベルで。。。。