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勉強する人としない人の逆転現象はいつ?
学校で勉強する人はなんだか、人として小さいように見えて(あくまで推測)勉強しない人はなんだかふてぶてしかったり、勉強する人をいじめたりすることがあります。勉強している人はいつもイライラしている感じがあり、しない人は人あたりがよかったり?いい子であったような気がします。あくまで気がするだけですが、 それが、社会に出て30歳ちかくになると、高校の時に勉強しなかった人は鬼畜野郎みたいな人格の人やねたみそねみの塊の人など碌な人間がいません。ぶっちゃけ人間の屑に近い人たちばかりです。 逆に学校で勉強していた人たちは素晴らしい人格者になっています。 あくまで傾向ですが、この逆転現象はいつおこったのでしょうか、 また、どうしてこうなったのでしょうか?よろしくお願いいたします。
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面白い発想ですね。 あなたの言う素晴らしい人格者とは、どんな人のことを言うのか分かりませんが、(一般的には、誰もが認める尊敬に値する人)勉強が出来るだけでなれるとは思いません。 もちろん人生勉強や良い指導者に巡り合うのも必要です。 これは逆転現象でなくて、自然になりえたものでしょう。 努力した者へのご褒美です。 頑張る人には、頑張っただけの、頑張らない人にはそれだけの価値しか与えません。(もし、それが反対だったら、遊んでた方がいいですよね。)
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ずいぶん乱暴で、まとまりがないにも関わらず、興味を引かされました。それゆえ、参戦させていただきます。 素直に学習する人と、学習しない人がいるのは事実です。 しかし、学習する人々は性格的にも能力的にも1種類と思いますが、学習しない人は、2種類あり両極端のように思われます。 学習しない人の多くは、頑張っても簡単には、学習の結果が出ない人たちです。 そういう人は、確かに、30歳くらいになると、学習の結果が出せる人々と比べると、積み上げてきたものの差が大きくなってしまいます。(鬼畜野郎とは大袈裟すぎますが。) ただし、少数派かもしれませんが、学習して得られるものの小ささがはじめから見えている人もいて、そういう人たちもほとんど勉強しません。勉強すれば何でも分かるのですが、彼らにとって、高校での学習程度のことは、退屈なゲームに過ぎないのです。 この後半で掲げた学習しない人々目立たないでも成績はトップグループにいるのです。ですから、学習してトップクラスの成績を残し続けた人と、一流企業の研究所で同席することがあるのですが、学習能力に頼ってきた人は、そこで行き詰まります。 学習して、能力を発揮するのですから、人の考えはますますよく理解できるようになっているのですが、自発的な考えが出てこないのです。学習してトップになった人は、あたかも不良のように見えた、高校時代に学習しなかったい人の、手足となって生きるしかないのです。 僕が見ている限り、そういう学習する彼らが、素晴らしい人格者になっているとは思えません。社会のリーダーや権力者にとって、都合の良い人間になっているのです。要領よく、社会の価値観からそれずに、生きているだけです。社会の価値観を外すのが、怖いので、踏み外せないだけです。 こういう人々は、公務員社会や教職員の社会などでは、そこそこ評価されるでしょう。 また、頑張っても結果を出せない、学習しない人は、勉強に頼った学習でなく、経験や直感、人当たりなどの、学校の勉強では学びにくい方面の能力が必要な職業に就くでしょう。 ただし 全体的には、学校での勉強をしてきた人たちのほうが、少しだけお得に収入を得られるように、社会はできています。 ですから 勉強をしたほうが 得ではあっても ストレスからくる 人格のゆがみなどを考えると なかなか 簡単には 結論が出ないように思います。 収入格差などが多少あるものの、ストレスなどを考えると、一生逆転しない、と私は考えます。
- selm_mles
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気のせいでしょう。勉強しない程度にもよるのかもしれませんが。 少なくとも、私の知ってる百人近くの人達はそんな傾向ありません。 ダメな奴はダメだし、良い奴は良いです。勉強云々に関係なく。
- tenten48
- ベストアンサー率23% (144/606)
面白い質問ですね。 なるほど、と思い書き込んでいます。 確かに貴方がおっしゃられるようなことってありますね。 それをいつ?と聞かれると明確にはできないのですが、おそらく「それぞれの人生の岐路」ではないでしょうか? 勉強をしている人というのは頭でっかちのように見られます。学生時代などはまさにそのように映るでしょう。 でも彼らの場合は、人生の先輩である「先生」に質問をしています。その中で「先生」という人たちは勉強だけではない、人生訓話もしてくださいます。そして彼らは、「先生からの話」としてそれを勉強としてまた捉え、学習し詰め込んでいきます。 そして壁にぶつかったときに、その訓話を思い出し、乗り切り、人生の糧にしていくのだと思います。 ではしてない人はどうでしょう。 もちろん人にもよるのですが、貴方があげたような人の場合は「聞いてるふり」をして聞き入れない。 あくまでも「自分の考えで世界が回る」と勘違いしている人たちかと思います。 若いうちはそれで許してくれますが、常識を身につけなかった人たちは大人になって、非常識が通じず、またすり合せるという事も覚えても学んでもいませんから>ぶっちゃけ人間の屑に近い人たちばかりです<と相成るのではないでしょうか。 勉強する人というのは何事においても「学習する」力のある人たちなのだろうと思います。 人間関係でも然り。 あくまでも個人的一意見ということで。 もっと他にもいろんな人がいますから、ね。
勉強ができるできないって、人格には関係ないと思うよ。 もちろん社会に出て学歴がある方が有利だし、勉強はできた方が良いに越したことはない。 でも勉強ができるのと仕事ができるのはイコールじゃないし、 いい大学出ていい会社に勤めてても、仕事のできないやつはいっぱいいるし、人とのコミュニケーションもできない奴もいる。 勉強ばっかりしてきて、いい大学入ってデビューして失敗するやつも多いしね。 学のあるプライドが高い人は、他人を妬む傾向もあるけど、 学がない人間も自分にはないものを妬む傾向だってある。 世の中色んな人が居るんだよ。 勉強ができても出来なくても、素晴らしい人格者はいる、またその逆もしかり。
- mapponew
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逆転現象は、勉強を嫌いか、好きか、したか、しなかったか。の頃から始まります。小学校入学から始まります。 そして、どちらも将来就職してサラリーマンとなった場合。顕著に事実として現れます。勝ち犬と、負け犬です。 勉強していなかった人は、一般職として入社ですが、勉強してさらに大学出身となれば、幹部候補として入社し、最初から初任給に大差があります。高卒者は、入社してからのスキルにより幹部への登用がありますが、せいぜい課長とまりです。 大卒者はさらにスキルアップで取締役に挑戦できます。 同じ年齢なら、最低倍額の相違が給与で出るでしょう。 僅かに、これらの原理が働かないのが、自営業です。 自営業は、学歴・学識にとらわれません。先見の明があり、決断力と、人遣いの巧みさで巨万の富を築くことが可能です。 人物の偉大さのバロメーターの最右翼が経済力です。 どんな人非人でも、大金持ちであれば、皆平身低頭します。 貧乏人で、一般人に頭を下げさせられるのは聖人君子だけですが、生存中は、誰からも馬鹿にされて相手にされないのも本当のことです。