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思わずある感じがわいてくる時の「受け身」と「被役」
いつもお世話になっております。 大学時代の日本語の教科書の中に、受け身と被役をそれぞれ説明する時に、このような二つの例文があります。自然な日本語なんでしょうか。 1.両親からの手紙を読むと、国のことが思い出されます。 2.目の前のすばらしい景色に感動させられました。 思わずある感じがわいてくる時に、「される」(受け身)も「させられる」(被役)も使えますね。普通「される」の方が多用なんでしょうか。思わずある感じがわいてくる時の受け身と被役の使い分けがよく分かりません。もしご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。宜しくお願い致します。 日本語を何年間も勉強していますが、まだまだ文章がうまく書けません。質問文の中で不自然な表現がありましたら、それも併せて指摘していただければ助かります。 以上宜しくお願い致します。
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二、2についてですが、 これは自発とは違います。 自発は「自」とあるように、「自分の内部の変化」にのみ注目した表現で、 「外からの影響を受けて」ということには関係ありません。 「使役受け身」は反対に「外からの働きかけ」に注目した表現です。 二、2のような表現をなんと呼べばいいのかわかりませんが、因果関係を表す文で、外界の出来事の結果、感情・思考が起こったということを表しています。 「思いがけず」というのは「それまで思ってもみなかった」と言い換えればわかるでしょうか?外界の出来事を原因としてそれまで存在しなかった感情・思考が起こったということです。「原因」に焦点があります。 構文も違います 自発: (【動作主体】には)【動作の対象】が【自発動詞】 感情・思考の原因を表す使役受け身文: (【動作主体】が)【原因となる出来事】に【使役受身動詞】 使われる動詞も違います。 感情「驚かされた・びっくりさせられた・がっかりさせられた・悩まされた・感動させられた」など 思考「考えさせられた・反省させられた」など。 彼らの結婚には驚かされました。 彼のいい加減さにがっかりさせられました。 夫のいびきに毎晩、悩まされています。 今回の事件をきっかけに、自分にとって何が本当に大切かを考えさせられました。 感情を表す動詞は、自動詞に替えても意味が同じです。 彼らの結婚には驚きました。 彼のいい加減さにがっかりしました。 夫のいびきに毎晩、悩んでいます。 使役受身文のほうが原因を強調しており、使役受身文では「【原因】に」が必ず必要です。
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awayukiさん、こんにちは(先日はありがとうございました)。 掲載されている文は二つとも自然な日本語だと思いますよ。ここでは、特に、1. の文を素材にして考えて見ます。まず、文末の「述語」がどういう形になるかは、「主語」によって変わってきますのでそれを図にしてみます。上段の関係図は、「力」の流れのようなものを表します。その下のA,B,C は、それぞれの要素が主語になったときの「述語」の形です。 手紙 ――→ 「わたし」 ――→ 国のこと ・→ ←・ B-1: 思い出す C:思い出さ"れる" (think of) (be thought of) ・→ ←・ A: 思い出させる B-2:思い出させ"られる" (make me think of) (be made to think of) 「両親からの手紙を読むと、"国のことが" 思い出されます。」 この文を上図のA,B-1,B-2,C の形で言い換えて見ましょう。 もとの文はC の形です。 B-1: 両親からの手紙を読むと、"わたしは" 国のことを「思い出します」。 A: "両親からの手紙は"、わたしに国のことを「思い出させます」。 B-2: 両親からの手紙を読むと、"わたしは" 国のことを「思い出させられます」。 C: 自発、A: 使役、B-2: 使役受身(被役:わたしは知りませんでしたがそういう文法用語があるんですね)ですね。で、awayukiさんのご質問は、B-2 と C の使い分けですね。それは図にあるように、主語を何にするかということに拠ります。「国のことが」でしたら「思い出される」ですし、「わたしは国のことを」でしたら「思い出させられる」です。 「自発」というのは、「自分がそうしようと思っていないにもかかわらず自然にそうなってしまう」ということです。「C:思い出さ"れる"」は、ですから「両親からの手紙を読んでいると、そのつもりがなくても故郷の風景や友達のことなどさまざまなことが自然に心のうちに浮かんでくる」ということです。 ですが、これはもともとは「受身」の意味が母体になっているのではないかと想像します(つまり「自発」は「受身」からの変化形と捉えておくといいかもしれない)。なぜなら、いつも、思い出される対象が主語となり「~が思い出される」という文になっており、「私」が主語になって「わたしは思い出される」とは殆ど言わないからです。「わたし」を入れるとすると、「わたしには~が思い出されます」が一般的だと思います。 The country is thought of by me.という「受身」の意味が基本にあるのですが、そこから「私の意志にかかわらず、the country が自然に心の中に浮かんでくる」というニュアンスが生まれたのかなと思いました。ですから、変な英文ですが、敢えてその感じを訳すと、The country is "being" thought of in my mind "without my will".みたいな感じでしょうか。 現代日本語での「自発」は「れる・られる」によって表されると辞書には説明されていました。ですから、C についても、B-2 についても「自発」は「れる・られる」の部分が担っていると見ておけば混乱しないですむと思います(ちょっと便宜的な考え方ですが)。また、先ほども考察しましたように、もともと「自発」は「受身」の意味から来ているように思われ(というより「自発」はおそらく「受身」の一部)、両者の境界は曖昧なところがあると思います。 「せる・させる」の使役は殆どmake と同じと捉えて差し支えないと思います。「命令的」な意味合いになることもあれば、単に「効果を及ぼす」という意味合いのこともあり、その「影響力」が好ましくない場合もあれば、好ましい場合もあるわけです。先の回答者さんが「命令」という説明をされたのは、その力の及ぼす「方向」ということを分かりやすく説明するために用いられたものと推測します。もちろん「感動させられた」の中の「使役」は、「無理やり」ということではなく、「素晴らしい景色」の持つ力によって「おのずと」心が大自然に対して開かれて行くということであって、大景観の持つ力を「好ましきもの」として自分の中で捉えていることは明らかだと思います。 あっ、それで問題の核心が見えて来ました。「自発」というと、私などは今まで、C の例しか思い浮かべることは無かったのですが、C も B-2 も共に「自発」表現であるという前提に立てばその違いはこういうことになります。C の例では、心の中に思い浮かべられる(ここは受身の意味です)「対象」を主語にして、それが「自然に」心の中に浮かんで来る、ということを「受身」の文型によって表現しており、それが「自発」のニュアンスを持つようになった。 B-2 の例では、その心の中の現象を引き起こす直接のきっかけとなった「原因」を、「使役」の動作主として意識することで、それによって「わたし自身が」が感動させられたと表現する。つまり、「働きかけてくるもの」と「わたし」との関連を表現することで、「おのずとそう感じた」という「自発」を表す。 C は心の中のキャンバスと言う「現象」面に着目した「自発」表現、B-2 はそういう現象が起こる「機構」面(メカニック)に着目した「自発」表現。「機構」を説明するから、make に相当する「使役」の助動詞が必要になる。このようなかんじでしょうか。文のつくりが変わってきますので、「主語」も異なってくると言うことになりますね。 2. の例文については説明を省きますが、先ほどの図では、B-2 に当たることは明らかですね。注意しておきたいところは、「感動する」という動詞は「目的語」を取れません。「~を思い出す」という言い方はあっても、「~を感動する」という言い方は無いんです。ですから、「感動する」の場合は、C に当たる言い方は無く、必然的にB-2 (または、A, B-1)の言い方になります。 簡潔にお答えしたかったのですが、ご質問の内容がかなり難しいものでしたので(文法的に)、やむを得ず長くなってしまいました。皆さんの回答と重複するところも多く、文章が煩雑になってしまった点ご容赦ください。
お礼
いつもお世話になっております。(先日はお役に立つことが出来て、大変光栄に存じます。) 関係図の説明でご丁寧に説明してくださって、大変助かりました。文脈がとてもはっきりしていて、よく理解できました。大変いい勉強になりました。 「被役」はおそらく中国語の訳文で、「使役受身」が正しい日本語の表記だと思います。ご迷惑をお掛けしました。 ご親切に心よりお礼を申し上げます。
6番です。 こう書くともっと分かりやすい? > 目の前のすばらしい景色に感動させられました。 【書き換え】 目の前の風景が「どうだ、オレは素晴らしいだろ? 感動しろ!」と私に命令してきたかのように思われた。 私はその命令に素直に従うかのように感動した。
お礼
とても理解しやすい書き方で、よく分かりました^^ 本当にありがとうございました。
> 『二・2』についてもう少し説明していただければ非常に幸いです。 『二・2』も基本的には使役受身ですよ。 命じてくる対象に人格がない場合、 結果として、自発のニュアンスが出てくるだけです。 >目の前のすばらしい景色に感動させられました。 景色があなたに「感動しろ!」と命じてくる (=働きかけてくる)わけです(使役)。 その結果、あなたは景色によって、感動するわけです(受身)。 しかし、景色が意思を持って命じるわけはないので 「まるで景色に命じられたかのようにふらふらと (=自分の意思を越えて)」感動してしまう、ということです。 また、その「景色」は、命じてくるほどの力を持っていると いうニュアンスも含まれます。 この「まるで命じられたかのように、自分の意思を越えて」が 「思いがけず」のニュアンスです。 ほかの2例も同じです。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございました。 理解できるようになりました。 本当にありがとうございました。
- shangyan
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こんにちは 1は受け身ではなく「自発」です。「自然とそうなる」という意味で、目の前で起こった出来事や、その場で浮かんだ考えをそのまま伝えるときに使います。 自発は主に感覚・知覚に関する動詞に使われます。動詞に「(-a)れ」がつくものと、「見える」「聞こえる」のような動詞があります。 例)思われる、思い出される、案じられる、待たれる、見える、聞こえる。 (【人】には)~が【自発動詞】 と使います。 2,「させられる」は「被役」(「使役」の間違いかと思われます)ではなく、「使役受身」です。 「使役受身」は「自分の意志でなく他の人が強制してそれをする」という意味を表します。動詞に「( s)aせられ」をつけます。 【動作主体】が【強制・命令する人・物】に【使役受身の動詞】 例) 医者に苦い薬を飲まされました。 彼は上司に無理やり酒を飲まされました。 学生たちは先生に校庭を走らされました。 これらの例は「望んでいないにもかかわらずした」ということを表しています。 例文の「目の前のすばらしい景色に感動させられました」ようなものは、「思いがけず」という気持ちを表しています。
補足
ご回答してくださった皆さん、早速のご返事ありがとうございます。NO5の方の補足欄をお借りして、補足させていただきます。 先日、「この映画に心に強く打たされた」はネイティブな皆さんに「この映画に強く心を打たれた」とご親切に添削していただきました。そこで、当スレッドのようなことを考え始めました。 NO5の方のご明察とおり、「被役」は「使役」の間違いではなく、「使役受身」のことだと思います。以下は私の知識の整理です。頭の中で、いまこうなっています。『●』で表記された文は例文として本の中にあります。 一。「れる、られる」 1.受け身 2.可能 3.自発(感覚・知覚に関する動詞) ●両親からの手紙を読むと、国のことが思い出されます。 二。「使役受身」 1.使役<ー>使役受身 医者は私に苦い薬を飲ませました。<ー>医者に苦い薬を飲まされました。 上司は彼に無理やり酒を飲ませました。<ー>彼は上司に無理やり酒を飲まされました。 先生は学生たちを校庭を走らせました。<ー>学生たちは先生に校庭を走らされました。 2.自発 ●目の前のすばらしい景色に感動させられました。 ●人々の自立更生、刻苦奮闘の革命的精神にわれわれは深く感動させられました。 ●こうした好意には全く感激させられました。 『一・1』、『一・2』、『二・1』の理解はまったく問題がありませんが、気になるところは『一・3』と『二・2』です。『一・3』と『二・2』は全部自発ですが、区別がよく付けません。 NO5の方のおっしゃったおっしゃった「自分の意志でなく他の人が強制してそれをする」は『二・1』に属すると以前は思いまもしたが、『二・2』までもこんな意味を持たせるのでしょうか。「望んでいないにもかかわらずした」は『二・2』までも指すのでしょうか。また、「思いがけず」という気持ちはどんな気持ちなんでしょうか。『二・2』についてもう少し説明していただければ非常に幸いです。宜しくお願い致します。
- syota_june
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単語に切りますと 1、思い出さ/れ/ます。 2、感動さ/せ/られ/まし/た。 となります。 1について 「思い出さ」(五段活用の動詞「思い出す」の未然形) 「れ」(助動詞「れる」の連用形・働きは「自発」) 「ます」(助動詞「ます」の終止形・働きは「丁寧」) 2について 「感動さ」(サ変の動詞「感動する」の未然形) 「せ」(助動詞「せる」の未然形・働きは「使役(しえき)」 「られ」(助動詞「られる」の連用形・働きは「受け身」) 「まし」(助動詞「ます」の連用形・働きは「丁寧」) 「た」(助動詞「た」の終止形・働きは「過去」) と助動詞がたくさんあります。助動詞の働きは、中学生向けの「口語文法」の参考書・問題集を御覧になられましたら、理解できるかと思われますが、日本語を母国語として使っている人のほとんどが、上記のような文法的な意味を理解して使っているわけではないと思います。ですから、あまり細かく知ることよりも、間違いを恐れず多く文章を書かれたり、話されたりする経験を積まれる方が良いのかもしれませんね。 (以上、助動詞「れる」「られる」を意識して文章を書きました。「自発」「尊敬」で使っています)
- gagambo
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#2gagambo補足します。・・・といっても不完全ですが。 1:手紙は思い出すきっかけにすぎません。「国のこと」は自分の中にあります。 自分の内側にある物事や考えがわきあがることが、「自発」の「思い出される」です。 例文)戦争地域においては、身の危険が案じられます。 今は滅びた国々の遺跡を眺めるにつれ、当時の栄華が偲ばれます。 2:受け身の「させられる」なので、「すばらしい景色」に対して直接感動を覚えています。 「感動させる」のは景色で、「感動させられる」のが私です。 「感動する」を自発にするなら「感動されます」となります。(私には日常用法として違和感をおぼえます) 例文)(私は、)彼の偉業には驚かされました。 (私は、)お客さんのわがままに困らされました。 主語と述語を入れ替えるとわかりやすいです。 1は受け身ではないので、「させる」「させられる」の関係がなく、入れ替えることが出来ません。 一見すると「身の危険が」「当時の栄華が」が主格のようですが、 そうではなく、どちらも隠れた主語(私や僕など、その感情の持ち主)があります。 一方で2は、 「目の前のすばらしい景色が私を感動させました」 「彼は、その偉業により、私を驚かせました」 「お客様が、わがままにより、私を困らせました」 と入れ替えることが出来ます。 説明がへたですみません。
- gagambo
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こんにちは。いつもお勉強熱心ですね。 以下、私の個人的解釈&私見が入っていますので、ご了承ください。 (専門家でもなんでもありません) 1の「国のことが思い出される」という表現の「される」は、 受身の「される」ではなく、自発の表現であり、自分の中で「思い出される」感じが沸いてくるという解釈をしました。 もし主語が「手紙」であるなら、「私に思い出させる」という表現(使役)になりますよね。 そして主語が「私」であり、受身の表現にするなら、「思い出される」ではなく「思い出させられる」となります。 文にするなら、「私は、両親からの手紙を読むことにより、国のことを思い出させられます」って感じです。 これは使役の受身側ですから、被役というのでしょうかね? 2の「感動させられる」がそれにあたると思います。 中途半端なアドバイスですみません。 「思わずある感じがわいてくる」とはまさに「自発」だと思ったのでした。 うまく表現できないので、「自発」と「れる・られる」でもう一度調べてみてください。 参考になれば嬉しいです。
- starsha
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専門家ではないので的はずれになるかもしれませんが…。 まずは、「被役」→「使役」ではないでしょうか。 受け身:~が~に~される(受ける側から言い表す) 使役:~が~に~させる(させる側から言い表す) 例文は、 1.両親からの手紙は(私に)国のことを思い出させる。[受け身→使役] 2.目の前のすばらしい景色は(私を)感動させた。[使役→受け身] と言い換えることが出来ます。 “思わずある感じがわいてくる時”も、 主語に何を持ってくるかで変わるのではないでしょうか? (説明が下手で申し訳ありません。)
お礼
再びありがとうございます。 構文や例文などからご親切に教えていただきありがたく存じます。大変助かりました。使役受身文では「【原因】に」が必ず必要ですね。大変いい勉強になりました。 本当にありがとうございました。