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●裁判員制は冤罪を生み出さない?

「怒れる12人」という歴史的めい作映画があります。陪審員室での出来事を描いた酷い作品です。 法廷ものの映画やドラマを観る度に、陪審員制って怖いなぁとしか思えません。冤罪の可能性が異様に高くないですか? アメリカは国の成り立ちからして、「みんなで決める」が重要なのかも知れません。この金科玉条を守るためには、多少の冤罪にも目をつぶろうということなのでしょう。 僕は法的な専門的トレーニングを受けていない人間に裁かれるのは真っ平です。裁くのもいやです。 日本では裁判員制というのが導入されようとしているようですが、プロに任せりゃいいじゃないですか。なぜ素人をいれるのですか?そんなことして得するのは誰ですか? 前提となっている知識が間違っているかもしれません。よろしくご教授ください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • sawai197
  • ベストアンサー率39% (164/415)
回答No.12

#3です。再度失礼します。 冤罪が増えるかどうかという問題もさながら、無作為で選ばれた7人ぽっちを判決に参加させるだけで、期待されているような「国民に開かれた裁判・法律」になるのか大いに疑問です。みんなの意見を聞くように形だけ整えたからいいでしょ?って感じがします。 医療業界が閉鎖社会だからといって、医師以外の人間にメスをもたせようと思いますか?医療ミスが多発しているからといって、医師免許をもたない人間に手術されたいと思いますか? 「国民の意見を取り入れる」というなら、個々の裁判でなく、立法段階にすべきだと思います。 すみません。前回の回答以上に回答になっていませんが「反対派」の意見があまりにも少ないので参考にと思いまして…。

その他の回答 (15)

noname#10925
noname#10925
回答No.16

#10です。 補足ですけど、裁判員制度は、これまでの刑事裁判が原則裁判官3人で構成されていたものを、裁判官3人+裁判員6人で裁判をする制度です。 裁判の過程で、証拠をすべて調べたのち、事実を認定し、有罪か無罪か、有罪だとすればどんな刑にするのかを裁判官と一緒に評議し、評決することになります。議論を尽くしても全員一致の結論が得られない場合は、評決は多数決により行われるのですが、その多数意見には、裁判官、裁判員のそれぞれ一人以上の賛成が必要とされています。少なくとも裁判官一人が賛成しなければならないのですから、そんなに無茶苦茶な結論にはならないはずですよ。 それから、裁判員には、禁固以上の刑に処せられたことのある人、起訴されて裁判中の人、逮捕又は拘留されている人、裁判所が不公平な裁判をするおそれがあると認めた人はなることができません。 プロの裁判官の質と量を増やしてはどうかとの意見ですが、裁判官は一般的に高給なので(そうでないとみんな弁護士に流れちゃいますよね)、国家予算の観点から、裁判官をやみくもに増やすことはできません。 裁判官の質の向上については、裁判所というのは閉鎖的な世界ですから、どうしても官僚的な判断がされがちになってしまいます。そういう問題点が現在いろんなところで指摘されています。裁判官の質を向上させたくても、国民があまりに司法に無関心だと、そういう努力や法改正がなされなくなってしまうのですよ。一般に、国民が司法に無関心だからこそ、司法改革を公約に掲げる政治家なんていませんよね。 裁判官だけに裁判官の質の向上の方策を任せておくと、どうしても自分に都合のいい方向へと走ってしまいます。民間化されていない国営企業が非効率な場合が多いのと同じことです。 裁判員制度は、国民の司法への興味と理解を促して、よりよい司法制度の形成を目指す役割も持っているのです。

CageAnoe
質問者

お礼

palepinkさんありがとうございます。 みなさんの御意見を拝見していると、司法はもうどうしようもない状態みたいですね。 >医療業界が閉鎖社会だからといって >医師以外の人間にメスをもたせようと思いますか?(@#12さん) 素人にメスを持たせなきゃならないほど、、、。残念です。

回答No.15

あえて、無学の者が、違った視点で答えます。 回答とは呼べないでしょうけど・・・ 質問者さんと同じ意見の人が結構いると思います。 「こいつ、気に入らない」 「こいつ、気持ち悪い」 なんて理由で量刑が重くなったり、後の人生がめちゃくちゃになる被告人が出るでしょう。 精神障害者・知的障害者は大変です。人々のイメージする「おかしな人」なんて少ないです。 精神障害をよそおって量刑を軽くするという手段をとる「健常者」の被告人がいます。 もちろん、それが基で差別や人権侵害になります。 マスコミでの扱いによって、有利不利が出るでしょう。悪人とされれば「こんなやつ殺して当然」とあおり、事前に不利な条件になるとか関係ない問題で差別されるとか、あります。 三浦和義氏なんか、おかしな報道で不利になった部分もあります。容姿や態度なんて関係ない問題です。 松本サリンの河野氏も、犯人と決め付ける報道です。「おかしい話」も、「テレビや新聞が言う」だけで真実になるのです。 しかも彼らは「選ばれたもの」というわけでもなく、真実をありのまま言うということもないでしょう。社長と自分の名誉が目的です。 裁判官にふまじめな人がいるのでしょうが、少なくても「法にもとづいて」やっていると思えば、それなりに見えます。感情的な話にどっぷりつかった状態の人が集まるとどうなるでしょう? もちろんおかしな判決が出てはいけないのですが、裁判官は「国民審査」がありますね。しかし、報道されませんので機能していません。まずこちらをきちんと問題視しないといつまでたっても何も解決しないでしょう。マスコミが自分の思い通りの社会にしたい一心でごまかしているとしか思えません。 そのうち、公開処刑をすべきとか、変人だから殺して当然、なんて社会を求める時代になるでしょう。

noname#11083
noname#11083
回答No.14

>一般人よりは明らかに法的判断能力が高い(プロ)であろうと思うのですが。専門バカであることは皆さんの指摘されるとおりでしょうが、なぜその解決方法が一般人(アマチュア)の参審なのか理解できません。 高度な法的判断能力が必要な部分については、裁判員制度導入後も、引き続きプロ(裁判官)が担当しますよ。そうではない事実認定の部分に国民が参加するのです。 >アメリカの法廷ドラマを観ますと、非常にドラマチックです。しかし法廷でドラマ?そんなもの要りません。 それは、アメリカでは法廷が生活に身近なものだから、ドラマのネタになりやすいだけで(日本じゃ裁判官に興味示す人なんてあまりいませんから)、状況は一般人でも裁判官でもよく似たもんですよ。 特に裁判官は忙しくて一人三桁の事件を常時抱えており、事件を早く処理しないと自分の査定に響くため、どこまで細かく事件がみれるかというと、限界があります。勿論裁判官にもプライベートライフがありますし。 多分、一度民事裁判でもご自身が当事者になって経験されれば、私の言っている意味がわかっていただけると思いますが。

CageAnoe
質問者

お礼

crystal-clearさん、こんにちは。 ●現状の裁判制度に問題があることは理解できました。 ■国民を裁判に参加させることのメリットも理解できました。 → それでも裁判員制度がベストだとは思えません。 ●裁判官の質と量が問題のようですね。 では裁判官の質と量を改善すればいいのではないですか?質の高い裁判官と検察官と弁護士を増やせばいいことです(結果としてアメリカのように裁判が増えることは、甘受してもいいと思います)。 ■国民を参加させることのデメリットについては殆どの方が言及されていません 犯罪者、たとえば奈良の少女殺害犯や、福岡の4人殺害して取調べ中に脱走した犯人は、犯罪を起こす前なら裁判員になれるのでしょう。そんなこと許せますか?何らかの理由で被告になったとき、裁判員席に座っている連中が、そんな奴らかもしれない。それを受け入れると? 当事者のつもりで考えてごらんになれば、ぼくの疑問を分かっていただけると思います。このあたりにお答えいただきたかったのですが、、、。 わからず屋ですいません。 何度もありがとうございました。

noname#8642
noname#8642
回答No.13

#8のsuzycatさんに同意です。裁判官というのは法律知識のある官僚にすぎません。彼らが一番重視しているのは社会秩序の維持であり、個々の事件の被害者や加害者の人生なんて気にしていません。気にしていられないほど夥しい数の事件を扱っていて、たとえ冤罪が出ようともその可能性が低ければいいといった裁き方しかできません。 実際に自分が冤罪で起訴されたら、そしてベルトコンベアにのった仕掛品のようにプロに機械的に「処理」されたら…。 判断に参加する人は、そして裁判機能を監視する人は多いに越したことはありません。

CageAnoe
質問者

補足

みなさんたくさんのご回答ありがとうございます。 今の司法に問題が多々あるということは、皆さんの回答でよく分かりました。それを解決するためには、司法府に任せておいては駄目だという意見も、百歩譲って認めます。 しかし僕は、法曹の人間が特殊な人たちだと理解した上で、それでも一般人よりは明らかに法的判断能力が高い(プロ)であろうと思うのですが。専門バカであることは皆さんの指摘されるとおりでしょうが、なぜその解決方法が一般人(アマチュア)の参審なのか理解できません。 ●プロをより高いレベルにしていく、という選択肢はなぜ選ばれないのでしょうか。 アメリカの法廷ドラマを観ますと、非常にドラマチックです。しかし法廷でドラマ?そんなもの要りません。粛々とストイックに法的判断をしてもらえばいいのです。金曜日の裁判は判決が早い(陪審がみんな速く帰りたがるから。来週に持ち越したくないから)とか、そんな制度より、今の枠組みでより良い法曹にしていくべきではないのですか。 ●問題は冤罪の可能性、この一言に尽きます。 今までたくさんの冤罪事件があったことも事実です。しかし素人が入ることで、冤罪が減るということは無いと思うのです。帝銀事件なんか素人の出る幕だとは思えません。 すいません素人考えですけど、やっぱり分かりません

noname#11083
noname#11083
回答No.11

そもそも裁判が一般人に公開されるようになったのは、密室裁判を防止するためです。 日本の裁判は、比較的最近まで法廷で傍聴者がメモをとることさえ許可されてませんでしたが、これも許可されるようになりました。 権力を誰かに与えるだけでそれをモニターする機能が働かないと、人権がないがしろにされる可能性があるのです。 裁判員制度や陪審員制度は、民主主義下の人権を考える上で一歩進んだ制度だと私は思っています。

noname#10925
noname#10925
回答No.10

客観的にみて、先進国で国民が裁判に直接参加する制度を有していないのは、もはや日本だけです。司法への国民の参加がそれだけ有意な制度であるから、大多数の先進国がそれを採用しているということです。 裁判員制度には賛否両論があるのでしょうが、これだけは客観的にみて確かだと思います。

回答No.9

専門ではありませんので、多少間違っているかもしれませんが、大筋はあっていると思っています。 まず日本の起訴便宜主義と、U.S. の陪審員制、司法取引 (Bargaining) が大きな違いでしょう。日本での提訴有罪率が異様に高いのは起訴便宜主義、すなわち有罪を取れそうにない事案は不起訴、起訴猶予、不処分と検察段階で決めてしまうからです。結果として、裁判所も、検察が起訴した以上有罪だろうと (公には認めませんが) 予断を持っているようです。本来であれば、刑事裁判では、無罪推定が大原則ですから、検察側が犯罪があった事実を証明しなければなりません。被告人側は、「なかったことを証明する必要はない」 のです。検察側の立証が不備であることを示せば、それで十分な筈です。ここで敢えて 「筈です」 と書かざるを得ないのが現状でしょう。U.S. ではすべて起訴した上で、犯罪事実の有無を陪審員が決める (量刑は裁判官専決です) のか、犯罪事実を認めるのか、これは被告人の意思で決まります。司法取引は、訴因の一部を認めるから (なら) 量刑を減らすことで合意する、と言う制度で、これが発展し、より巨悪を立証するために免責も可能です。 現在議論されている裁判員が有効に機能するためには、裁判員になる国民のレベルです。捜査段階の被疑者として報道された段階で、当該被疑者を犯罪人として認識する、無罪推定を受けるべき被告人を既に断罪している、程度の者が裁判員になった場合は、(ただしい意味での) ヒステリー状態に陥り、理論的な考察もせずに有罪の判定を下す恐れは十分に在り得ます。現在のように、何の根拠もない健康法が一定の視聴率を得るが故に放送され、さらに無意味な情報を撒き散らしている、ことの原因は、その視聴率を保証し、尻馬に乗って喧伝する国民がいるからです。このような者が裁判員になった法廷で、自らが被告人になったときを想像するとぞっとします。しかし、冷静に事実を分析できる、一般社会を熟知した者が裁判員になったとすれば、今のように半ば純粋培養され (一般社会を知らない) 司法関係者のみに裁かれるよりはましになるでしょう。 「怒れる 12 人」 についても、必ずしもその事実認定の過程に肯定的ではない意見もあるように、最終的には、当該裁判の裁判員になった者の資質により、現状より良い結果なり、悪い結果になるのではないでしょうか。ある意味 「素人の目」 は諸刃の剣です。質問者も、もし将来裁判員になったときは、冷静に呈示された証拠が犯罪事実を無理なく構成できるものかどうか、だけを考えて下さい。同時に、誰であろうと、被疑者、被告人の時点では無罪であるとの前提を忘れないで下さい。

noname#10903
noname#10903
回答No.8

裁判員制度といっても、裁判員だけで判断するんじゃなくて、裁判官が1~3名つくはずですよ。 だからまったくの素人だけで判断されるわけじゃありません。 「裁判官が日本を滅ぼす」というドキュメンタリーの本があって、日本の裁判官がいかに刑事裁判でお粗末な判断をしているかがルポされています。実際には、そういう本に書かれてるような変な裁判官ばかりじゃないと思いますが、官僚的な物の見方をする人が多いのはある程度事実じゃないかと思っています。 それに加えて、地裁では合議制といってもやっぱり裁判長(部長)の声が強くなるのは致し方ないだろうし、高裁は多くの地裁を統括し、恐ろしく多数の事件を抱えていて、もっと官僚的です。地裁の裁判官は一人で100~200くらいの事件を抱えているといわれているし、人の人生を左右することであってもやっぱりどれだけ丁寧に見れるのかというと限界もあります。 裁判員も7名もいるわけだし、変に偏った人は選ばれないよう事前にインタビューなんかもされると聞いていますから、それほど心配する必要はないんじゃないかと思いますよ。

noname#41546
noname#41546
回答No.7

前提として、陪審制にしようが、職業裁判官だけで裁判しようが、冤罪の可能性は、ゼロにはなりません。また、陪審制を採用した方が冤罪が増えるか減るかも不明です。ただ、陪審制は世間の感情に流されやすくなる、とは言われます。例えば、○本被告の裁判なんかは、あっというまに有罪・死刑ということになりかねません。 冤罪を減らすには、誰が裁くか以上に、警察・検察のシステム改善が有効でしょう。例えば現在は逮捕・勾留されると、無理やり捜査機関の取調に付き合わされますが、これは逮捕・勾留の目的からはおかしなことですし、自白が強要される温床になっていると思われます。また、裁判にしても、裁判官の多数決で有罪か無罪かを決めている現状を、全員一致でない限り有罪判決を下させないことにすれば冤罪は減るでしょう。 ただ、冤罪を減らすということは、無罪放免される犯罪者の数を増やすということでもあります。バランスが難しい問題です。

  • naomi2002
  • ベストアンサー率44% (478/1075)
回答No.6

「法律家の常識は世間の非常識」 「良き法律家は悪しき隣人である」 などという言葉がありますね。 専門バカというのは、恐ろしいものです。なまじ余計な知識のない素人のほうが、物事の本質を見透せる場合も少なくないと思います。 職業裁判官のみで裁判する現行制度のもとでも、たくさんの冤罪事件が発生しています。 かなり昔の話ですが、「徳島ラジオ商殺人事件」などもその一例です。むしろ職業裁判官が裁判したからこそ、こんなバカげた判決を出せたのだと、私は思っています。 裁判員制度の導入は、そういう専門バカどもが変なことをしないように、一般人が監視するという意味で、有用な制度ではあると思います。 建前はともあれ、日本の裁判所は実際的には行政機関と変わりないと思います。例えば上級裁判所から差し戻しを受けた事件について、原審通りの判決をして突き返した裁判官などは、ほとんどいません。辞令1枚でどこに飛ばされるかわからない裁判官が、あえて最高裁の機嫌を損なうようなことは、よほど気骨ある裁判官でなければできません。こういう官僚的な組織に身をおけば、事なかれ主義に流れるのは世の常です。そして真実の究明とかより良い法秩序の構築といった高遠な理想よりも、単にレトリックをもてあそび、当たり障りのない判決文を書くことしか考えなくなるでしょう。 そういう淀んだ組織に風穴を開けるという意味でも、裁判員制度は悪くはないと思います。 英米では裁判官や検察官は、法曹資格をもつ人の中から選挙で選ばれます。しかし日本では、事実上行政官と変わらないような人が裁判をしているのです。そして「六法読みの六法知らず」のような人が、信じられないような冤罪をたくさん生み出してきています。 やはり、何らかの方法で裁判所に世間の常識を持ち込むことは必要だと思います。裁判員制度が最善のものであるかは疑問ですが、一つの試みとしては意義があると思います。 もちろん、問題も多々あります。 裁判員は選挙人名簿から無作為で選ばれますから、その顔ぶれは、まったく玉石混淆です。立派な人もいるかもしれませんが、無責任な人や偏見を持つ人もいるでしょう。また法知識があったり、弁舌の才がある人がいれば、裁判員団の多くがその人物に引きずられてしまうことも考えられます。こうしたことは、アメリカの陪審制度でも、しばしば指摘されていることです。 日本の場合、裁判員制度を定着させようとすれば、様々な問題があります。 まず第一に、現在の経済状況では、どこの事業所でも必要最小限の人数しか雇っていません。いきなり裁判に出席せよと言われて、仕事を休んですぐ行ける人など、どれほどいるでしょうか。大いに疑問です。 裁かれる人たちの気持ちという問題もありますね。 もし私が犯罪の嫌疑を掛けられ、起訴されたとしたら、やはり裁判員に対して不信の念をもつかもしれません。 何しろ、選挙人名簿から無作為抽出で選ばれた人たちですから、「なんで私がこの人たちに裁かれなきゃいけないの?」という気持ちになっても、無理もないと思います。 いろいろ書きましたが、正直言って、私も裁判員制度が良いのか悪いのか、判断しかねています。 ただ、現行の裁判制度では、どうしようもないと思っています。 そう思う人が多いからこそ、裁判員制度が導入されるようになったのだと思います。

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