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食育について~私たちはいのちを食べている~
小学校の子どもに養豚場の視察をさせます。 このブタさんたちが生まれて7ヶ月でお肉となって私たちの食卓にあがるという現実をみて、子ども達はとてもショックを受けると思います。 ただ、私たちもいのちを食べて生きている、ということを実感させたいと思っています。 大人同士だと話をしやすいのですが、子どもに分かりやすく話すにはどうしたらよいでしょうか。
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慎重に、出来るだけ慎重に その子供たちより親の反応のほうが怖いです いくつくらいの子供たちかわかりませんがそれなりの年齢、小学校高学年ならある程度理解するでしょう 食肉処理する現場ではないでしょうから世話する方たちの話などを聞かせるのが良いと思います しばらく豚肉を食べられなくなる子供なんかが出てくると思いますがそれも経験だと思いますのでそこでまたよく話し合いをされると良いと思います 見せる側に立つことがありますのでこんな感じです 初めて本物の牛、豚なんか見ると大きさに驚くようです
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- overtone
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会社の行き帰りに良く考えてみました。 前に長々と色々と書きましたが、 なんで、質問者さんの答えになってないんだろうって。 養豚場の豚は、生まれたときから食べられるため 途中で殺される豚と言うことを抜いていたからです。 食物連鎖とは言っても、生物の本に出てくるのとはちょっと違うんだと思います。 家畜と言う概念そのものが、動物を人間の意のままにして道具として使うと言うことになるんだと思います。 道具でも、一緒に苦労したりする犬や馬などなら まだ 情が移り 擬人化もできそうですが、養豚場の豚となると、殺されて人間の役に立つわけですから。 うまく言えませんが、養豚の見学では いのちを食べていると言うことは 教えられないのかもしれません。 殺されるために生きている動物の いのちの尊厳を認めるのは どう切り口を持って考えればよいか 思い当たりません。(生物学的な意味でのいのちなら わかりますが・・。) 難しすぎますね・・・。 しばらく(数年?)考えてみます。 考えが及ばないのに、いろいろと書き込んでしまい申し訳ありませんでした。
お礼
毎日豚と付き合っていると情はうつりますよ。出荷は寂しいものです。 「家畜」として生まれてきたとしても、それは人間がそう言っているだけであり、豚自身は食べられる身だと思って生まれてくるわけではないので、私は生きているものとして同じいのちだと思っています。 大人でもこれだけ悩むんですから、子どもに何が正しいのかなんで言えたもんじゃないですね。同じ人間同士でも例えば鯨のように捕獲するな、なんて言い分もあるのですから。 子どもも十人十色ですからそれぞれが感じたことに正直に受け止め、私なりの考えを言ってみたいと思います。何度もありがとうございました。
- overtone
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お釈迦様が出家される以前のこどもの頃、 「耕された畑から虫が出てきた。するとその虫を、小鳥がついばんでしまった。そして、今度はその小鳥が、大きな鳥に追われていった。」そういう風景を見て、生と死の不条理を思ったという話。があります。 大人同士でも、話は難しいと思います。 こどもでも 難しいと思います。 がんばってください。 ====================== 人間も荼毘にふさなければ、虫に食われ 土に返るわけですが、この話は 小さなこどもにはやばいかもしれません。 自分のこども(小5)には、 「お前が順調に育ってくれれば、俺はそれほど死ぬのは怖くない。だって、お前が俺の分身だし。それに、もし生き物が死ななかったらどうなる?そう 生き物だらけになって困っちゃうよ。俺は お前と一緒にいて楽しいから、お前もこどもができたら楽しいだろうな。なら、俺がどの時点かで死なないと困っちゃうよね。孫くらいの顔を見たいけど、まぁ 順番に 死ねるなら幸せだよ。俺が死んだら、ホントは燃やさないで埋めて欲しいんだよね。そしたら 虫なんかが食べてくれるじゃん。散々、いろいろな生き物を食ってきてるからね。地球の生き物の一部だって実感できそうな気がするよね。って その時は 死んでるんだけど・・。」と 何度か話したことがあります。 (別に 「子供を作れなかったら ダメだぞ」といってるつもりは無いんですが、こどもは どう受け取ってるかはわかりません・・。) 『いのち』は 連鎖して行くもの と 言うことを伝えると良いのかもしれません・・・。 「葉っぱのフレディ」も連鎖をテーマにしていますよね。 これらは、「寿命」なので 養豚場とは 観点が違いますね・・・。
お礼
養豚をたずさわるものとして、今回の視察受入では回答していただいた内容までのことは考えていません。 (もちろん、肥育して、と畜まで経験している者として個人的に思うことはたくさんありますが) 食物連鎖の観点から、実際のくらしの中からみえてくるつながりをさぐっていこう、というテーマを視察前にもとうかと思っています(このへんのお話の上手な方がいるので)。ありがとうございました。
- overtone
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揚げ足を取るわけではありませんが・・・。 >このブタさんたちが・・・ ペットは食べません。食肉用に飼育された豚を食うわけですよね? 表題では「私たちは」 ですが、文中では「ただ、私たちも」となっています。 食物連鎖を考えるなら「私たちも」となりますよね? 「いのち」と抽象的に書かれていますが、魚の卵や植物はその対象になりますでしょうか? けちをつける訳ではありませんが、焦点が定まっていないような印象を受けました。 何も考えていなくて「きゃーかわいそう」的な保護者からのクレームはどう応えるかは別にして、もう少し大人にしっかり説明できるレベルにしないと その人なりに考えている保護者の期待には応えられないのでは?
お礼
ありがとうございました。 このような取り組みは初めてで、いろいろ勉強しているところです。 その一つとしてこの場をおかりして質問したまでで揚げ足をとられたなどとは思いません。 書き方次第で人にどのような印象を与えるか、ということが一番勉強になりましたね。
- mock
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7才と5才の子どもがいます。 だんだん成長してきて、生きてる、死んでるなどに興味を持つようになりました。 先日も、そんな話になり、ステーキは何の肉?牛肉。 イクラは何の卵?鮭。玉子は?鶏の卵。と教えたら、最初は「えーっ!!」と大騒ぎ。 イクラや玉子を食べようとして、魚やヒヨコにならないか?など質問攻めにあいました。 しかし、肉は動物だけど、米や野菜も生き物だと教えました。 そして、自分たちが食べている豚や牛も、植物を食べていること、動物が死んだ後、植物の肥料になることも教えました。 結局、生き物を殺さずに食べられるものは、牛乳と水じゃないかなんて話になって…。 でも、それだけじゃ、自分たちが食べるものがなくなって、死んでしまうよね。 だから、何かを食べると言うことは、その命をもらっているということだから、決してムダにせず、残したり、遊んだりしないで、感謝をしながらおいしく食べることが一番いいことなんだと説明しました。 かなり穴だらけの説明だとは思いますが、難しく考えるとかなり哲学的になってしまうと思います。 実際にブタさんを見てしまったら、かなっりショックだとは思いますが、それが罪であるという考え方を植え付けてはいけないと思います。
お礼
ありがとうございます。食物連鎖のしくみをこどもたちにやさしく伝えられたらいいなと思います。 スーパーで売られている食材と、自然の循環の営みがなかなか結びつかない子供たちが多いと思いますが、おっしゃるようにあまり難しく考えずにやってみたいと思います。 子ども達は、野菜の収穫は大変喜んでいるんですけどね。動物はやっぱり悩みます。 最後の一文をこころに留めておきたいと思います。
お礼
ありがとうございます。実は総合学習で、給食の食べ残しを豚の飼料にしています。(私は教師ではなく、現場よりです) 先日、写真で給食がエサになる様子を見せたところ、最初の質問が「この豚はたべられるの?」でした。 そして「働いている人もこの豚をたべるの?」という質問もありました。 その場では簡単に私たちはいろんないのちをいただいて丈夫なからだをつくっているんだと伝えましたが、 「みんなならどうする?」と聴くと、ほとんどが「かわいそう」、「食べない」という答えでした。 対象は全校児童ですが、視察に行く学年はしぼっていません。先生方ともよく相談してみます。