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自殺と他殺
自殺を完全否定する人はかなり多いですが、同様に他殺を完全否定する人はそれほど多くないように思います。 自殺と他殺で、受け止め方に大きな差がでる理由を知りたいのですが。
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分かりやすく言い換えていただいてありがとうございます 改めて回答させていただきます 問題の解決の手段として有効かどうかという視点で考えてみました この場合「自殺」が否定される理由として 「死んでも問題が解決しないから」あるいは「自殺以外の解決法があるから」 といった理由が考えられます 他殺の場合(大いに議論の余地はアリアリなんですが) 「他殺によって解決するから」あるいは「他殺以外の手段では解決できないから」 と考えられそうです(死刑や戦争については、そもそも「殺人」と考えていない事も予想されますが…) 問題を解決するための手段として場合によって、有効性に差があるのでは…と思います 見当違いでしょうか?お考えお聞かせください
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- Row
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ANo.6で回答させていただいた者です。 私はNo.3欄での補足とお礼を拝見した上で、 自殺・他殺の肯定否定は、個人の信じるものや環境と言った背景によって左右されるものであって、 どんな受け止め方が一般的であるとは確定できないという趣旨で、回答させていただいたのです。 それもご質問の趣旨とは違ったようですが、 No.7のお礼欄で仰られていることと、No.3のお礼欄の方だけを見て解釈すると、 「自殺を完全否定しながら他殺を肯定する」という 一派、または個人に対しての質問ということになる用に感じます。 こうなると、私などは憶測でしか回答できなくなりますし、 そういった考えを持つ方がご質問を目にして、回答してくれるのを待つしかなくなってしまうのではないでしょうか。 No.8のhambaagooさんのご意見のように、一度このご質問を締め切って、改めてご質問を立ち上げて、 タイトルも「自殺を完全否定しながら他殺を肯定する」という考え方をする方が目に留めやすいようなものを、 推敲なさって見るのも、良いかもしれませんよ。
お礼
アドバイスありがとうございます。 >こうなると、私などは憶測でしか回答できなくなりますし、 殺人鬼の心理を分析した本は、大抵は殺人鬼でない人が推測して書かれていると思います。 場合によっては、当事者でない方が冷静に心理を分析できることも多々ある、と受け止めております。
- SCNK
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他殺は刑法にある殺人罪を構成するからでしょう。自殺は、幇助を除けば罪になりません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私がお聞きしたかったのは、自殺は必ず否定するが他殺(含 死刑・戦争)は否定しない時もある、という人の心理でした。
- hambaagoo
- ベストアンサー率30% (8/26)
hqs454さん #1です もう一回新しく質問しなおしませんか?誤解されたまま回答されるのはhqs454さんとしても不本意でしょうし、私もたくさんの方の有意義な回答を拝見したいですし… 改めて、デュルケムやバッシュレールの自殺の類型から、回答へのアプローチを考えなおしています たびたびの回答、失礼しました
お礼
アドバイスありがとうございます。
- CageAnoe
- ベストアンサー率53% (128/240)
自殺を否定している人は、それを倫理的な観点から否定しているように思います。「親からもらった命」「神から授かった命」を勝手に失くしてはいけない、ということではないでしょうか。 それに対し他殺を否定している人は、論理的にそれを容認してしまうと、自分に害が及ぶことも認めなくてはならなくなる、というきわめて感情的な要因によるのだと思います。 単純に言えば、「他人の自殺」は自分には関係がないことですが、「他人の他殺」は自分の問題になりうる、ということではないでしょうか。 私には自殺を否定する人が多いとは思いません。ただ口にしても誰からも責められはしないので、それを口にする人をメディアなどでも見ることが多いのでしょう。だから大勢いるように思うのでは? 「他殺を否定する人がそれほど多くない」、というhqs454さんの認識が、どこからどのように生じたものかは想像がつきません。 しかしもし仮にそうだとしたら、「今更わざわざ否定しなくてもそれは常識」だと、思っている人が多くて、その人たちは当たり前のことをわざわざ声高に主張する必要がないのでは?
お礼
ご回答ありがとうございます。 >自殺を否定している人は、それを倫理的な観点から否定しているように思います。 そうですね、私もそう思えています。自殺を罪(sin)と捉えるから否定するのだと思います。 >それに対し他殺を否定している人は、 自殺は必ず否定するのに、他殺は同様の受け止め方をしない人の心理が、私の質問の本旨でした。 >「他殺を否定する人がそれほど多くない」、というhqs454さんの >認識が、どこからどのように生じたものかは想像がつきません。 例えば、日本では、死刑を肯定する人の方が多いわけですから、割合でいったら、他殺を肯定する人の方が多いように感じました。 ただ、これはあくまでも感じ方なので、他殺を肯定する人の方が多いんだぞと、強く主張するものではありません。 他殺を肯定する人は少ないという考え方の人がいたら、その考え方に異を唱える気はありません。 「自殺を否定する人は多いのか少ないのか? 他殺を肯定する人は多いのか少ないのか?」ということが質問の本旨ではありませんので、もし今後回答を下さる方がいましたら、No3のお礼欄に目を通した上で回答を頂けると、喜ばしく感じます。
- Row
- ベストアンサー率26% (249/938)
日本には「責任を取って自ら命を絶つ」と言う行為が、 武士道として尊ばれていた時期がありました。 宗教的な伝承でも、他者のために犠牲となって命を絶つ行為が、尊い行いとして伝えられている例があります。 このように、「自殺」は必ずしも「完全否定」されているとは言い難いと思います。 また、戦争などによる「他殺」の場合は、一部の政治的な考えを持った人物以外の、 戦場に立つ当事者(兵士)にとっては「やらなければやられる」という瀬戸際の選択でしかなく、大多数の人は戦場以外ではやはり他殺を否定するのではないかと予想できると思います。 戦争反対の運動が各地で起きていることから考えても、「他殺」が必ずしも「肯定」されているとも思えません。 つまりは、見る角度(立場・時代・環境など)によってこの二つの「死」は 肯定も否定もされているのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問の本旨は、No3のお礼欄で述べていることです。
- water-cooled
- ベストアンサー率14% (76/538)
自他二元論に立てば、自分を殺せば他者はいないも同じだから、自殺は完全否定するという論理はあってもよいと思います。 ただの遊びですが。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- hambaagoo
- ベストアンサー率30% (8/26)
#1で補足を要求した者です hqs454さんが「殺人」ではなく「他殺」という表現を用いた意図が分かりました ありがとうございます すいませんが、説明していただけますか ●「他殺」という表現の場合、事故死も「他殺」に含まれると考えますが…OKですか? 一般に「事故死」は「殺人」とは区別されて考えられます そのためhqs454さんのように「他殺」という表現で考えるのに慣れていません 「他者の生命を奪う事」と言う意味で理解しましたが… ●この問いの「他殺」において…死ぬ、あるいは殺されるのはヒトでいいんでしょうか?「殺人」「人殺し」と言う表現が見られないので、ひょっとすると「生命を奪う事」すべてが「他殺」に該当するのでしょうか? ●日本ではいくつかの自殺を、美談・悲劇として受けとめる例があります 「悲恋の末の心中」・「抗議としての自殺」・「秘密を守るための自殺」など (尊厳死・安楽死についてはまだ日本では広く認識されていないかもしれないので除きます) これらの例では、一般的に完全否定されていません 真剣に回答いたしますので、ぜひ補足をお願い致します
お礼
質問内容を誤解が生じにくくなるように書き換えてみました。 自殺(近い将来の死がほぼ確定している安楽死の類は除いて)は必ず否定するのに、他殺に関しては否定しない時もある(死刑・戦争等)人がいますが、そういう人はどういった理由で、違う受け止め方になるのか教えて下さい。
補足
>事故死も「他殺」に含まれると考えますが…OKですか? 殺意がないものは含みません。 >ひょっとすると「生命を奪う事」すべてが「他殺」に該当するのでしょうか? 質問文では「自殺」と並べて「他殺」を用いておりますので、人間以外の生物に関しては該当しません。 >これらの例では、一般的に完全否定されていません 自殺を完全否定する人は、それらのことも否定されると思いますが。一般的にと言われていますが、例に挙げられた自殺を肯定できる人は、少数派だと受け止めますが。
- umibouzu64
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>自殺を完全否定する人はかなり多いですが、同様に他殺を完全否定する人はそれほど多くないように思います。 そんなことを考えている人がいるのでしょうか?「他殺を完全否定する人は多いが、自殺を完全否定する人はそれほど多くない」ということじゃありませんか?前提自体が間違っているように思います。
お礼
死刑・戦争を容認することと、他殺を完全否定することは両立しないと受け止めますが。
- hambaagoo
- ベストアンサー率30% (8/26)
補足してください 自殺は絶対にダメだが殺人は時と場合による、ということで良いのしょうか… そういった考えの方が本当にたくさんいるのでしょうか? 死刑に反対する人などは「死刑は殺人だ」と考えているようですし、キリスト教徒は「中絶は殺人だ」と考えています…いかなる場合も「殺人」はいけないという人たちは、場所にもよりますがたくさんいます 自殺を完全否定する根拠…宗教上の理由以外に完全否定する根拠は見当たりません 安楽死はもちろん、尊厳死も広い意味では自殺でしょうし…それを否定するのは非人道的な発想だとも思います 質問者さまのいう「自殺と他殺で、受け止め方に大きな差」について具体的に補足していただけるとありがたいです
お礼
>キリスト教徒は「中絶は殺人だ」と考えています… 中絶は否定しても、戦争という名の殺し合いは容認できる人が多くないでしょうか。
補足
>死刑に反対する人などは「死刑は殺人だ」と考えているようですし、 日本では、死刑に反対している人は少数派だと思いますが。 これでよろしいですか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「死んでも問題が解決しないから」あるいは「自殺以外の解決法があるから」 >といった理由が考えられます そうですね、そういうふうに考えて自殺を否定する人もいるかも知れませんね。 ただ、私が個人的に思うこととしては、他人が己の問題を解決するしないに関して、強い関心を持つことは(否定とか容認という観点で)、それほど一般的なことではないような気がします。 例えば、御経を唱えることで世界平和を実現できると信じて、一日の大半を御経を唱えて過ごす人がいたとします。それが実現不可能なこと、有効性がないことと思えても、その人の努力を否定する気にはなりません。哀れに感じることはあるかも知れませんが、自殺に対してはある種の憤りを持って否定する人であっても、御経で世界平和を目指す人に対しては、やりたい人は勝手にやって下さい、と受け止める人が多いような気がします。 また、別の見方をすれば、苦しみから逃れたいと思って自殺した人は、死によって苦しみから解放されたとも見なせますので、ある意味、問題を解決したと言えないこともないと思います。 >問題を解決するための手段として場合によって、有効性に差があるのでは…と思います 初めに申したように、問題解決の有効性という観点で、自殺を否定される人もいると思います。が、個人的には、それとは違う観点で否定しているケースもかなりあるような気がしてなりません。