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神の本当の目的

僕は、エホバの証人と聖書を勉強している学生です。 先日、神が人間を作った目的について考えていたのですが、聖書には人間を喜ばせることが目的だと書いてあります。 しかし、どうも僕は「神が自分への崇拝を求めて」人間をつくったのではないかと思うのです。 そして、聖書もキリストも悪魔も、「自分への愛情を源とする濃い崇拝行為」を望んで用意した壮大な「ストーリー」なのではないかと思うのです。 僕の聖書研究司会者は、「矛盾点がある」というのですが、それがどこか分かりません。だれか教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ranx
  • ベストアンサー率24% (357/1463)
回答No.6

Masato aさん、質問する相手を間違えていますよ。 神様のことは神様に聞かなくっちゃ。

Masato_a
質問者

お礼

その他の回答 (5)

noname#4470
noname#4470
回答No.5

そもそも我々人類が最終的な目的かどうか解らないですね。まだ宇宙ができて数百億年しかたっていないのにこの後、数百億年も人類が繁栄するはずないでしょうね。私にいわせれば人類が滅びた後ちがう生物が知能を発達させ、我々よりもましな生き方をするかも知れないし。我が世の春と栄えた恐竜たちは滅びましたが、それでも一億年以上は持ったわけです。あるいは、違う星ではどうでしょう。宇宙では多くの水が確認されました。水は生物発生の絶対条件です。地球以外にも生物が発達する可能性も高いわけです。 問題は聖書が神がこれほどまでに巨大な宇宙を作ったのに「地球限定」で書かれていること。人の体を宇宙に例える事があります。あなたの体には60兆もの細胞があり、それらが不思議な原理で体を構成し、トータルとしてあなたの意志があります。あなたのその一つの細胞にとってみれば、あなたの体は宇宙であり、あなたの意志は神の意志ともいえるでしょう。その細胞はあなたのために働き、崇拝しているかも知れません。でも、あなたはその細胞に意識を集中させることすらできず、 怪我でもすれば、自分の体を守るるために外科的に(輸血せずとも)斬ることもあるでしょう。人間の存在など神にはどうでもよいのです。滅びても痛くも痒くもありません。  「聖書に書かれているから正しい」というのは間違いです。聖書がどのように編纂され、省かれ付け加えられたか、その宗派専用聖書もあるわけですから。 キリスト教があれほどまでに多くの宗派に別れているのは「聖書の解釈の仕方がそれほどできる」という証明です。  もし、自分の思っていることに疑問を感じたならば、むしろ反対の立場の情報を積極的に取り込み、冷静に判断することです。  科学、他の宗教、哲学、それを勉強して自分の信じているものが変わらなければよいし、あらたな発見であらたな境地へ向かうかも知れません。

Masato_a
質問者

補足

>数百億年も人類が繁栄するはずないでしょうね。 地上が楽園に変えられるそうですよ。よかったです。 >水は生物発生の絶対条件です。 前から思っていたんですが、この理論って適当です。 実に視野がせまい!! >「聖書に書かれているから正しい」というのは間違いです。聖書がどのように編纂され、省かれ付け加えられたか、その宗派専用聖書もあるわけですから。 いいえ、聖書は信頼できる書物です。 しかし、僕は、聖書はエホバが考えた物語だと思います。 神は万能なのでかかれたとおりに物事を運ぶこともできます。

  • nabayosh
  • ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.4

矛盾点というより、逆に質問させてもらってもいいですか? 「『神が自分への崇拝を求めて』人間をつくった」のならば、神というのは人間がいる前には誰も崇拝しなかったのではないですか? 崇拝されないような神は神とはいえないのでは。 つまり、崇拝され、支配者となるために人間を作り、そして神となりえたのではないでしょうか。 「『人間を喜ばせるために』人間をつくった」というのもちょっと変ではないですか? まず、人間という概念を神はどこから引っぱり出してきたのでしょうか。 ものがある前から名前が存在しているのはちょっとおかしくないでしょうか。 信じている人には何を教えても無駄といいます。 しかし、矛盾があると感じているのなら、ソクラテスの助産術のように、誰かとの対話によって解決するのが早道ではないでしょうか。

Masato_a
質問者

お礼

>「『神が自分への崇拝を求めて』人間をつくった」のならば、神というのは人間がいる前には誰も崇拝しなかったのではないですか? そのとーりですね。 しかし、生命が地球だけだとも分かりませんよ。

回答No.3

あなたは遠藤周作の「深い川」に出てくる日本人修道士のようですね。 矛盾が有るというより教義に外れているのではないでしょうか。 「神が自分への崇拝を求めて人間をつくった」これでは専制君主が神を名乗るのと同じではありませんか? わたし自身は無神論者なので聖書、ことに旧約聖書にはまるで暗く聖書の言うところの神については何も知りません。 ただキリストの受難はキリストの罪人も含めた人間への愛が行動原理なのではないでしょうか。 そう考えるとキリストが「自分への愛情を源とする濃い崇拝行為」としての教えを説いて歩いたとは思えないです。 「汝の隣人を愛せ」で言い尽くされるように自己愛ではなく自己犠牲がキリストの教えだと思うのですが如何でしょう?

Masato_a
質問者

補足

ありがとうございます。 僕は、キリストが神であるとは思っていません。 だから、キリストが崇拝行為を受けることはいけません。 神はエホバです。 それで、エホバがイエスを利用して自分への愛を高めようとしたのだとお思うのです。

回答No.2

●人間が聖書を書いた。(普遍の事実:人間がなければ聖書の存在自体がない) ●聖書もキリストも悪魔もそして人間も神から見て並列。(Masato_aさんの説) 神が聖書を書いたならあなたの説もあるかもしれません。 聖書は人間が書いた(本として著した)ものだから、あなたの説は矛盾する。(正確には矛盾する可能性がある) 説を貫くには、『その壮大なストーリーの中で、人間が聖書を書いた』と既成事実化することでしょう。 疑問があれば補足とかに書いて下さい。

Masato_a
質問者

補足

人間が書いても神が書いても、万能の神なら大して差はないと思うのですが。 つまり、神が人間に聖書を書かせたんです。

  • motokiohb
  • ベストアンサー率24% (14/57)
回答No.1

こんばんは。 ぼくが思いますに、「神が人間を作った目的」という概念の前に、「人間が神(という概念)を作ったこと」に気づいたときに、「矛盾点がある」と理解できるのではないでしょうか。

Masato_a
質問者

補足

しかし、基本的に僕は神が人間を作ったことを信じていますし、また事実です。

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