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輪廻とキリスト教
輪廻転生という考え方は、仏教のもののようですが、キリスト教にも 輪廻という考え方はあるのでしょうか? キリストは死んだ後1度蘇ったという話を聞きますが、それとこれとは 関係がないのですか? 教えてください。 もし、キリスト教にそういう考えがないとしても輪廻を信じる人は いるものですか?聖書以外にある信念は信じてはいけないものなんですか?
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キリスト教の事は余り興味がなかったのでうろ覚えなのですが、 輪廻という考え方を持っているキリスト教は存在していたと思います。 どこだか忘れてしまったのですが、聖書の中にも輪廻を表している所があると聞いた事があります。 多分、エドガー・ケーシーは、輪廻の話をしている可能性は高いと思います。 多分、エッセネ派とか言う所だったような気がするのですが、大分昔に読んだ本に書いて有ったのでほとんど覚えていません。 確か、死海写本も関係あったような気がするのですが。 多分が続いてしまってすみません。 ※日本エドガー・ケイシーセンターのURLを見直して見ました。 やっぱり、輪廻の概念を持っているようです。
- 参考URL:
- http://www.eccj.ne.jp/
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- Umada
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yama-daさんこんにちは。お返事が遅くなりました。 私自身100%輪廻転生を信じている訳ではありませんが、前出「前世療法」などを通じてその考え方の面白さには惹かれています。私なりに現在理解している姿は次のようなものです。 ---- 1. 輪廻とは「何かに縛り付けられてぐるぐる回るだけの苦行」ではない。時と場所を変えて何回も生まれ変わりながら自己の魂を磨いていく主体的な行為である。 2. ある人生とその次の人生の間には「中間生」とでも呼ぶべき時期がある。そこではそれまでの人生を点検し、問題は何で、自分の魂を磨くためには次の人生はどのような場所でどのように送ればよいか、「カウンセラー」の助言のもと決定がなされる。 「中間生」は非常に居心地のよい場所らしく魂はそこへ留まりたがるらしいのだが、1.の「魂を磨く」行為は現実の人生でしか行えないため、再び地上(地上という言い方が正確かどうか別として)へ下りていくことになる。 3. 人生は神様が気まぐれでが決めているのではなく、全て自分が決めているのである。自分が誰でどのような境遇にあるかは全て自分の選択である。他の誰の選択でもない。 4. 「グループ転生」という考え方がある。ある人生で深い関係があった人とは次の人生でも何らかの関係を持つことが多い(「魂のグループ」などと呼ばれる)。前世では親子であった関係が、次の人生では友人であったり、おじ-めいであったりと役割は変わる。 次の人生で巡り会うのは良好な関係であった同士とは限らない。いがみあった関係であれば、次の人生では宥和できるようそのお互いが努めることになる。それを昇華できれば一つの「業」が解消され、魂は一つ高い段階に進んだことになる。 このほか、特定のものに心を強く惹かれるような場合(絵を書くのが好き、○○国の風景には心が和む、など)、今の人生以外でもそれらと深く関係があったことが多い。 5. それぞれの人生の間での考え方の統一は必ずしもなされているわけではない。ある時は仏教徒であったり、またある時はキリスト教徒であったりということは普通に起こり得ることである。 上記のような個々の人生での自我と別に、人生全体を束(つか)ねる「高位の自我」というものが存在する(高位の自我の考えは、全ての人生を通じ一貫している)。現世の自我はその一部が投影されているに過ぎず「高位の自我」の持っている能力のうちの一部しか使えないが、2.の中間生では「高位の自我」が「自分」そのものとなる。 ---- このほか「(その人にとっては)一度きりの人生なら輪廻を信じる意味は何か」の質問を頂きましたが、私なりの解釈で申し上げれば5.が回答になると思います。「その人」の指す内容が「その一度の人生における自我」であれば確かに一度きりで、その人生が終わってしまえば意味の無くなる事象ですが、「高位の自我」にとってみれば永遠に続く「自分」の中の、不可分な事象なわけですから。 「このできごとは過去生の何と関係があって、今自分はなにをすべきで、それによって次の人生がどのように決定されるか」と考えれば決して「一度きり」ではないと思います。 この辺のは人の考え方ですからどれか一つに決める必要もありませんし、また上記についてはそれが正しいのか確かめようもありません。 ご興味がお有りであればぜひ、ご自身でそれらの文献を読んでyama-daさんなりの解釈を見つけられることをお勧めします。
お礼
Umadaさん、お返事ありがとうございました。詳しく書いていただいてとても感謝しています。 >3. 人生は神様が気まぐれでが決めているのではなく、全て自分が決めているのである。自分が誰でどのような境遇にあるかは全て自分の選択である。他の誰の選択でもない。 このくだりが私はとても関心を持ちました。おもしろいですね。 Umadaさんのご意見はUmadaさん自身が考えた末に出したものですもんね。 私も色々本を読んで自分なりの考えを持ちたいと思います。こういう話は正解が無いですものね。 自分以外の人がどのような意見を持っているのか調べている所だったのでたくさんの方の意見が頂けて感謝しています。 ありがとうございました。
- gould09
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>できないこと・できそうもないことは望まない、という事にもなってしまうのですか? 説明は難しいですね。 自分の意味しているのは反対です。 今、自分が何か出来るのは所は今しかありません。 自分の心が家に帰っていても、何も出来ません。 今、出来ることは歩くことです。 できそうもない事を実現しようと望んだ時でも、自分が出来ることから始めると言うことです。 >私の理解力がないので そんなことはないです。 自分のわかりづらい説明に、ポイントを押さえた回答をもらえてうれしいです。
お礼
gould09さん、何度もありがとうございます。 確かにgould09さんのおっしゃる通りですね。 自分ができることから始める、当たり前の事のようで実は難しい事だったりするんですよね。 最初は「後ろ向きなのかな?」と思いましたが、とても前向きな歩き方ですね。 私もgould09さんのように着実に希望に向かっていきたいと思います。 ありがとうございました。
- hebikera
- ベストアンサー率33% (48/142)
>hebikeraさん自身が輪廻に関してどのような意見をお持ちなのか教えていただけますか。 私の考え方は輪廻とは少し違うかもしれませんが・・・ 私の死後、私の体を構成していた物質はあるものは土に帰り、あるものは水に溶け、あるものは大気に散ります。そしてそれらが再び他の生物の体を構成することで私はこの世に生命として「蘇る」のです。 また、同様に私の「魂」(別に呼び名は「気」でも「エネルギー」でもよいのですが)も私の死とともに体から拡散していき、森羅万象の源になる、と考えています。 これが私の輪廻についても考えでもあり、宗教観でもあります。 参考になれば幸いです。
お礼
お答えを催促して申し訳ありませんでした。ありがとうございます。 hebikeraさんのご意見は「そういう考え方があったんだ」というように私の考え方に新風が巻き起こった(?)感じでした。 確かにその通りかもしれないですね。どこかに帰ることでまた何かの源になる、ってすばらしいことですね。 10年程前、とある偉い方に「全てのものは滅びていく(形が無くなり、忘れ去られること)。その中で決して滅びないもの を一生かけて見つけなさい」と言われたことがあります。なんだかその質問を解く鍵になりそうです。 ありがとうございました。
- gould09
- ベストアンサー率33% (196/589)
>体と気持ちが同じ所に・・・ わかりずらい表現をしてしまったようなので少し補足します。 体と気持ちが同じ所にいないという状態は、 どうして、もっと早く歩けないのだろうとか、何でまだ家に着いていないんだろうと考える事です。 このときには、今自分のいる場所と自分が望んでいる場所が違っています。 体と気持ちが同じ所にいる状態は、 急いで帰っているのだけれど、地面を蹴っている足の感覚とか腕の感覚、回りの景色を感じながら帰る事です。 この時は、今以外の場所には自分の気持ちは有りません。 つまり、現在の自分の状況と自分が望む状況にずれがないと言う事です。
お礼
何度も気にかけて下さってありがとうございます。 >現在の自分の状況と自分が望む状況にずれがないと言う事です。 それもまた、難しいことですね。でも面白いなぁと思います。(不謹慎ですいません。) 何故そう思うのでしょう?私の頭にあまり無い考え方だったので、どうしてかがすごく気になっちゃいます・・・(?_?) できないこと・できそうもないことは望まない、という事にもなってしまうのですか? 私の理解力がないのでgould09さんのお気に触ったら申し訳ありません。でも興味深いご意見ありがとうございました。
キリスト教については既に皆さんが十分な回答をなさっているので、仏教について、少し補足。 輪廻転生というのは、仏教の考え方ではありません。(仏教以前からの)古代インドの思想です。 仏教というのは、輪廻転生を所与の前提として、それを否定・超越したところに意義があるのです。 ちょうど現代人が、物理法則を前提として、それを超越した空中浮遊を信仰とするのと同じです(?)。 つまり、仏教以前のヴェーダの思想は、現世の「生」を肯定し、死後も、より良い「生」に転生することを目標としました。 しかし、この論理は、ヴェーダの司祭者(バラモン)の権威が及ぶアルカイックな共同体の中でしか通用しないフィクションでしかありませんでした。なぜなら、実際、生きることは辛いことだからです。 都市化が進みバラモンの権威が低下する中、仏教は「生」は苦であるという認識の元に成立しました。 つまり、現世は苦である。それは、死んでも逃れられない。なぜなら、死んでも転生して、また苦しい生を生きねばならないからである(六道輪廻)。 この苦しみから逃れる唯一の方法が、「解脱」なのです。(話が長くなりすぎるので、ここでは解脱とは何かには触れません) ちなみに、キリスト教では最後の審判で救われることにより、苦しい生から逃れることができます。
お礼
<輪廻転生というのは、仏教の考え方ではありません。 えっ、そうだったんですか?!知りませんでした。 現世は苦である・・・輪廻は迷いの世界を生き変わり死に変わること、と載っていました。 仏教では今では転生するということは苦しみから逃れられないということでしょうか? 輪廻転生という言葉は一種の希望に満ちた使われ方をしているのだと思っていましたが違うのですね。 もし生きることが苦であるなら、喜んで転生したいと言う人などいないのでしょうか。でもそれは人それぞれですね、きっと。 うーん、とても参考になりました。ありがとうございました。
- artist0
- ベストアンサー率24% (92/378)
>artist0さんは魂や霊、輪廻について考えをお持ちですか? 霊については、興味があります。 霊感が強い人には五感以外の(?)何らかの感覚で感じ取れる、 写真に写る、霊が人にとりつく、など不思議な現象が解明される のを楽しみにしています。
お礼
何度もすいません。お返事いただけて嬉しいです。 科学で証明できないことはまだまだありますもんね。私も色々な不思議なことが解明されればすばらしいと思います。 お話参考になりました。ありがとうございました。
- gould09
- ベストアンサー率33% (196/589)
輪廻と言う考え方は、自分にとってはかなり前から当たり前の考え方になっています。 ただ、その事を人に話したことはないです。 信じない人と議論する気もありません。 人それぞれですから、信じない方が今の生をきちんと生きられる人もいると思います。 転生したいと思った事はありません。 今は、目先の事で精一杯なので先のことを考える余裕がないのだと思います。 もう一つの理由は、今この瞬間にいられるようになりたいと言うのが自分のやりたいことだからです。 例で話してみると、家に帰ろうと急いで歩いていたとします。 この時、自分が努力するのは1cmでも気持ちが先に行かないで、今いる所と気持ちが同じ所にいられればと思っています。 自分の経験では、自分の体と気持ちが離れれば離れるほど苦しくなります。 >もしかしてキリスト自身が輪廻を唱えていたという可能性もあるのでしょうか。 エドガー・ケーシーが正しければ、確かそんな話しもあったと思いますが忘れてしまいました。 多分、エドガー・ケーシーの死海写本の本に確か書いて有ったと思います。
お礼
お返事を催促してすいませんでした。でも答えていただけて嬉しいです。ありがとうございました。 gould09さんは輪廻を信じているんですね。とても参考になりました。 体と気持ちが同じ所に・・・というお話はとても興味深いですね。だけど、とても難しそうです。 エドガー・ケーシーの本読んでみます。 ただ、人の生の人生観を聞けたことはとても良い経験になりました。ありがとうございました。
- artist0
- ベストアンサー率24% (92/378)
宗教について詳しいわけではありませんが、 復活後のキリストは spirit というのでしょうか、 霊的な存在のようです。 というのも、第一コリント一五・四四に 「肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。 肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである」 という記述があるようなのです。
お礼
アドバイスありがとうございます。 聖書の抜粋でしょうか、なんだか意味深い文章ですね。 キリストは肉体が復活したわけでなく、魂が見えたということでしょうか。 artist0さんは魂や霊、輪廻について考えをお持ちですか? もしあれば教えてください。おねがいします。
- Umada
- ベストアンサー率83% (1169/1405)
私は宗教学の専門家ではありませんが、ryuitiさんの紹介されている「前世療法」(原題"Many lives, many masters", Brian Weiss, 山川紘矢/山川亜希子訳、PHP研究所)、「前世療法2」(原題"Through time into healing", Brian Weiss, 山川紘矢/山川亜希子訳、PHP研究所)に、その辺の事情がある程度書かれているので紹介させて下さい。 1. 1981年ギャラップ社の調査で、アメリカで輪廻転生の考えを受け容れている人は23%。その後シャーリー・マクレーンの"Out on a rim"が出てからは35~40%にまで上がったと言われる。(「前世療法」、訳者あとがきより) 2. 紀元4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教となったとき、新約聖書にあった輪廻転生の記述が削除された。紀元6世紀には宗教会議で輪廻転生が正規に異端であると宣言された。(「前世療法2」、49ページ) 3. 上記宗教会議以前の初期キリスト教時代には輪廻転生を信じる教派がいくつも存在した。(「前世療法2」、49ページ) 私自身は1はともかく、2と3は読んでいて新鮮な驚きがありました。もしご興味があれば探して一度読んでみると面白いと思います。 もちろんryuitiさんの指摘のように「何が正統なキリスト教であるか、それはキリストの教えと一致しているのか」という点には気をつける必要ありですね。
お礼
アドバイスありがとうございます。 詳しいお話が聞けてとても嬉しいです。 現代では3~4割りの人が輪廻を信じているというお話、正直びっくりしました。 そして4c頃の時代で聖書に輪廻の話が載っていたということは、もしかしてキリスト自身が 輪廻を唱えていたという可能性もあるのでしょうか。 人生は一度きり、という言葉をよく聞きます。魂が生まれ変わるとしてもその人にとっては 一度きりの人生なら輪廻を信じるという意味は何なのだろうと考えてしまいます。 Umadaさんのお考えを教えていただければ嬉しいです。 もしまだご覧になっていたらよろしくおねがいします。
- ryuiti
- ベストアンサー率22% (42/185)
キリスト教と一口に言っても、多種に分裂していて、どれが本当の古来からのキリストの教えかわからないというのが今のキリスト教だと思います。ですから、同じキリスト教の中には転生を信じている教派もあるかもしれません。 確かにキリストは一度死んで復活しています。イースターがそれですね。だからといってみんなが転生するとは考えていないかもしれません。それにキリストが生き返った話も実際確かめる方法がないので、あくまでも言い伝えだと思います。そこでキリスト教の国アメリカ人達はどう考えているかというと、精神科医の書いた「前世療法」という生まれ変わりを内容とする書物がベストセラーになったり、かつてはエドガ-ケイシ-(ノストラダムスより有名)という霊能者が転生を語っていてこの霊能者を信じる人は転生も信じていたのではないでしょうか。
お礼
早速お返事ありがとうございます。 本当にキリスト教にはたくさんの派閥(?)があるようですね。 政治と宗教を混同したものや、国によって違うもの、教会なんかも色々ありますもんね。 私はキリスト教徒ではないのでほとんど聖書に対する知識がないのですが、イースターの日というのは キリストが復活した日ということで祝福をするわけですか?他にも何か特別な意味はあるのですか? 輪廻を信じる人は意外と多いかもしれない、ということですね? ryuitiさんが輪廻に関してどのような意見をお持ちなのか、もしまだご覧になっていたら教えてください。 ごちゃごちゃ言ってすいませんが、よろしくおねがいします。
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お礼
アドバイスありがとうございます。 早速URLをのぞいてみました。 エドガー・ケーシーって、名前は知っていましたがどういう考えなのか全然知らなかったので とてもおもしろかったです。 ホームページの内容は、まさに「そうそう!私もそう思う!」ということが書かれていました。 gould09さんは輪廻を信じますか?また、転生したいと思いますか? もしご覧になっていたら教えてください。よろしくおねがいします。