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英会話の内容
英国人である友人が、「日本人の場合、英会話が流暢だと内容が空疎だな。」といいます。確かにその傾向は非常に強くあるように思います。皆様のご意見をお聞かせください。
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- hakkoichiu
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No.7です。 補足有難うございます。 1)空疎の意味よく分かりました。 お笑いください。 日本語もよく分からないのに外国語にほんの少しだけ手を出しています。 下手な外国語を書いたり話したりしていますが、かっこ良いとは思いません。 未だにブロークンで何時も恥かしく、何時になったら、常に誤解無く真意が伝えられるようになるのか見当もつきません。 2)English through picturesIII には1ページに絵と百語ぐらいの文が書いてあります。 言葉の概念がおぼろげに理解出来る気がします。 興味があるので、絵本ですが何度も読み返しています。 仰る通り、いい年をして幼稚な部分が確かにあります。 時々自分自身の幼稚さに気づき、反省しています。 3)英語を通してスペイン語を学ぶ ロマンス語群から英語になった言葉があり、文法も似ているところもあるので予想していたほど難しくない方法と感じています。 4)すみません、説明不足でした。 失礼なことですが、一般的に必要の無い時にやたらと外国語を使う人のことを思い出して単なる伝達手段云々と言いました。 ここで発言している人々を指しているのではありません。 極端に言えば、言葉はその国の文化、歴史、事情等そのものと理解しています。 本欄でいくつか新しく得るところがありました。 質問を立てられた方、回答された方、皆さん有難うございました。 欠礼、不適切な表現があれば御免なさい。
>センター以外の試験も含めて英語で受験されなかったのでしょうか。 私は仏文科を志願していたので、2次試験もフランス語で受験できました。でも、最初の2年間は欠伸が出るほど退屈でした。 >「英文解釈教室」は確かに受験用の参考書としては優れていると思います。でも、vanvanusさんは単に受験用の参考書でなく、それ以上のバイブルのように賞賛されていますが、私にはよく分かりません。この参考書は受験だけでなく、読解力を養うにも悪くはないと思いますがね。私の場合は 安西徹雄氏の「翻訳英文法-訳し方のルール」という本が非常に為になりました。 >外国語Aを外国語Bで学ぶ場合、両者の遠近は問題ではないでしょう。 大いにあると思いますよ。幾ら英語が出来ても 英語で韓国語を学習すると能率が悪いです。英語のブラッシュアップにはなりますが。でも、フランス語やスペイン語だとむしろ日本語よりも まどろっこしくなくピンと意味が掴めたりすることもあります。
補足
まず、「解釈教室」についてですが、ぜひ訳文だけでも通読されるといいと思います。英文読解法というものとは異なるものを発見されると思います。 安西氏には確か「読解法」とでも略される本があったと思います。これもよい本です。 外国語ABの遠近を私が問わないのは、A→メタラング→Bというコースを辿るとすれば、Aの種類は問わないし、もしそうでないとすれば、構造が大きく異なる言語については学べないことになりはしないかという疑問もあります。
別の質問でも書きましたが、私は天邪鬼でして センター試験の外国語でフランス語を選択しました。英語よりもずっと簡単でした。難易度的には高校入試の英語よりも少し難しい位でした。ですから、ある意味 穴場とも言えるかもしれません。それでも 私は1問だけ間違ってしまい、満点を逃して残念でした。 そういうわけでして、私は受験英語というものを 真剣に勉強していません。 「英文解釈教室」という参考書も 姉から貰ったものでして、さらっとしか読んでいません。 hakkoichiuさんも私と同じように 「外国語Aを外国語Bを通して学ぶ」という方法を取っているようですが、 この効果はそれを実践している者しか分からないし、説明するのも難しいです。この方法が最も威力を発揮するのは 外国語Aと外国語Bが非常に似通っている場合です。メタラング云々は私もまだ発展途上段階なので割愛するとして、 外国語Aのブラッシュアップは見逃せないと思います。ただ 外国語Aのリーディングの量をこなしても これは受動的なインプットに過ぎませんが、外国語Bを外国語Aで学習すると、外国語Aが活性化され、運用能力の向上に繋がります。 私の場合(hakkoichiuさんも似ていると思いますが)、 外国語Bの習得が最終目標ではなく、中間目標、或いは手段に過ぎません。
補足
センター以外の試験も含めて英語で受験されなかったのでしょうか。 それはともかく、「英文解釈教室」を一度熟読されるといいと思います。きっと何かが変わると思います。場合によっては、訳の日本語だけ読むということでもずいぶんと変化があると思います。 外国語Aを外国語Bで学ぶ場合、両者の遠近は問題ではないでしょう。近ければそれは同一の語になっていきますからね。外国史を専門にしていると、何よりもメタラングが必要ですが、それは「解釈教室」を読むことがかなり有用だと思います。 そして、Aの運用能力ですが、これはこれでまた非常に難しい問題がありますね。慣用表現に頼らずに表現できる人は非常に少ない。
- hakkoichiu
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No.1の礼の欄のご投稿拝見しました。 急所をついたことを仰る気がしました。 1)空疎。 両極端でいえば、 ー 目で見える、耳で聞こえる、匂いをかがれる、舌で味わえる、手で触れる、皮膚で感じられる、文字通り具体的なことについて話す。 ー 一方、空疎でない。 人生、宗教,政治等考えることが必要な話題。 こう言うことでしょうか。 もしそうならNo.2の方の考えと同じ点もありますね。 2)理解。 No.3-No.6のご回答、補足欄、礼の欄にも関係することですが。 頭の中で日本語だけで考えている知識は外国語で表現するのは難しいということではないでしょうか。 特に抽象的なことがら。 これを超えるには、例えば”English through Pictures Book I-III","Say it in English", "Thinking in English"等の本、レコードで訓練をつんでから(この段階を踏めば「殺人」は不要でしょう。)、大袈裟にいえば抽象的な分野の見聞きに入って行く。 こうすれば、頭の中に「日本語の知識庫」、「外国語の知識庫」と出来て何時でもどちらからでも引っ張り出してすぐに使える。 Bi-lingual...tri-,..multi-lingualとはこう言う知識庫を複数持っていることだと思います。 この複数の倉庫の在庫量が平均的に同量なのが理想に感じます。 そうなれば、日本人なら「梅干」と聞いたら唾液が舌下に出て来るような現象が、外国語を聞いても同じようなことがおこると思います。 偉そうなことを行っている私は未だその域には達していません。 3)外国語Aを外国語Bを通して学ぶ。 今、2)で言ったことと少し矛盾してお叱りを受ける覚悟です。 確かに外国語Bも進歩し、これに対して少しの自信もついた気がします。 質問者さんもご経験されたら納得できると信じます。 結論が遅くなりましたが、特に外国文化、事情に興味があれば別ですが、研究者、先生,指導者、通訳翻訳業でなければ、言葉は意思疎通の単なる伝達手段と認識することではないでしょうか。 結局取り留めの無い話になって質問者さん、ごめんなさい。
補足
「空疎」を簡単にいえば、幼稚園児あたりが「お母さんあのね」なんて話している内容ということでしょう。そして、その会話が英語であるが故に「格好いい」と思っているとしたら、ぜひ一度内容を考え直してみてほしいですね。 English through Picturesという本は知りませんが、題から言って絵と英語が書いてある、いわば絵本ですね。絵本は普通子供向けの本です。絵本が読める子供がかならず岩波文庫が読めるとは限らないわけで、この間のギャップはどう埋まるのか、そして、普通の大人は絵本なんか読みたがらないはずです。絵本は初期段階では必要だとしても、大人ならはやくそこから脱却したいと願うはずです。願わなければ精神的には未だに幼児だということになるでしょう。どうすればそこから脱却できるのかが問題です。 私は外国史が専門で、外国語は数多くやっている身ですが、外国語Bを学ぶとき、「ある言語A→概念→外国語B」という段階で考えているので、Aは別段何でもいいのです。 言葉をただの意思伝達手段と思うのは外国語では危険だと思います。私がイエメン人アリーと仲良くなった場合、イエメンに対するイメージはアリーによって作られる面が強いですね。であれば、アリーは「イエメン代表」です。アリーが精神的幼稚園児であれば、イエメン全体が幼稚園児に見られてしまう。それに、アリーが日本からエロ本だけを持ち帰ったとすれば、イエメンは日本から優秀なものを学べない。
この質問も とvanvanusさんとのキャッチボールみたいになって削除されるかもしれませんね。 「英文解釈教室」という参考書は私も持っていましたが、受験対策には私も妥当な参考書として受験生にはお勧めします。 >「英語→理解」の段階で必要な事項が何かというのが問題ですが 受験英語、英会話教室のレッスン、共にメリットとデメリットがありますね。受験英語は 高度な英語を学習しますが、アメリカでもイギリスでもあまり使わない 英語を標準としたり、本来の英語のスキルよりも ある種のテクニックが要求されますが、英会話教室で英語がペラペラになったとしても、会話の内容自体が 当たり障りの無い薄っぺらいものになりがちです。これが この質問とも関係があると思います。 私もはっきりした答えは分かりません。私の場合、英語は小3から勉強しました。初めての外国語を覚えるもには適齢期だと思います。私の結論として、最初の段階でダイレクトメソッドは能率が悪いが、学校の英語のような、文法的な解析と訳読を中心とした方法も、 一見合理的なようで 却って難しく能率の悪い学習方法に思えます。 >蒙古人は、中国からほとんど何も学ばなかった。 それは言えますね。しかし、蒙古人にとっての中国のプレゼンスは ある意味日本よりも大きかったでしょう。 それから、蒙古は中国(漢民族)よりも、チベットやウイグルの文化的影響が強いですね。また、ソ連があった時は 中国とよりもソ連との結び付きが強かったですからね。そして何より、蒙古人(モンゴル人)は古代から現在まで中国を嫌っている人が多いですね。
補足
二つの話題が出てきましたね。一つは「受験英語批判」とでもいうべきもので、もう一つは「モンゴル」です。 前者は非常に難しいと思います。そもそも、学ぶ場所も受験する大学も違うものを一括りにして語ることはできないですから。話を可能にするために、「解釈教室」が最も有効となる事態を考えましょう。一流とされる大学はかつてきわめて同書的でしたから。同書に対する意見を求めます。 「モンゴル」についてはこちらの専門分野に近いのですが、とりあえず前近代で考えれば、中国から何も学んでいないのが実情です。一方日本は同国から良いものを学んだ。悪いものは学ばなかった。律令を入れ宦官を入れなかった。それが可能だったわけを考えることはきわめて示唆に富むと思います。
中国語のリーディングだけを考えるんだったら、私の方法は不合理ですね。しかし、英語のブラッシュアップ及びプラスα効果のおまけがつきます。 英語の学習でもっとも難しいものの一つは単語や文法を覚えるよりも「英語→和訳→理解」から「英語→理解→和訳」のプロセスに移行することです。すると、 和訳する必要のない場合は" →和訳"の部分は不要になりますし、和訳するにも 自然に訳せるようになります。 私の今の方法ですと、まだ英検2級レベルの人だったら 「中国語→英訳→和訳→理解」となってしまい、非常に能率が悪くなりますが、「中国語→英訳→理解」で大丈夫なら「中国語→理解→英訳」に移行するのは 案外ラクです。これが 私の言うプラスαです。 >平安時代の貴族が漢文がいくら出来ても、返り点が無くても送り仮名が無くても読めるほどに熟達していても、唐の人と会話できない。 そういう意味で日本人と対照的だったのは蒙古人ですね。漢文を読める人は日本人よりもずっと少なかったですが、唐人と会話できる人は比較的多かったと思われます。
補足
「英語→理解」の段階で必要な事項が何かというのが問題ですが、それをどう考えておられるかをお聞かせ願います。もし私の考えを示すのであれば、もとになる書物名を挙げれば十分でしょう。「英文解釈教室」です。世代が私と同じかそれ以上で、志を一流においていればその名は必ずご存知かと思います。 なぜ昔の日本人が漢文を読むことに終始し、会話をしなかったのか、またなぜ蒙古人が―私の専門分野ですからよくわかっていますが、彼らの中で漢文を読めた人はまずいない、そして会話も非常におぼつかないもので、交易に使う定型文句程度であった―を考えると非常に示唆に富みます。 換言すれば、蒙古人は、中国からほとんど何も学ばなかった。
>中国語で中国語を勉強したほうがいいと思います。 これについては No.1068733の質問で vanvanusさんご自身が回答されております。私も犯罪者にはなりたくありませんから。(笑) 既習の外国語で新しい外国語を学習するというやり方は、既習の外国語にも磨きをかけたいが、新しい外国語にもチャレンジしたいと思い、いかに両方を合理的に こなしたらいいかと考えて発見した方法ですが、プラスアルファの効果を感じました。説明するのが難しいんですが、簡単に言えばメタラングの習得ですね。 つまり、日本語とか英語という枠を超えた言語としても普遍的なモノです。 >また、日本語での中国語の学習環境は悪くないですから。 日本では中国語は第2外国語としてはフランス語と人気を2分していて、巷の大型書店では中国語の教材も多数並んでいますが、どれも漢字をしっかり使っています。中国語の学習において 初歩の段階では 漢字は むしろ邪魔になります。その点、英米人向けの教材は 漢字は後回しで ピンインから入りますから、これは 日本人特有の漢字に頼って 音のトレーニングが疎かになりやすいという落とし穴を回避することにも繋がりました。中国語の漢字なんて 英米人に比べたら 朝飯前に近いですから。
補足
私の「ダイレクト・メソッド」に対する批判ですね。それはその通りだと思います。自分の意見なのですから当たり前ですが。 まあ、もし「中→日」を否定するのなら、同様の意味で「中→英」も否定すべきだと思うのです。これはどちらか一方が否定されるべきものではない。 メタラングですな。「英→メタラング→日」というのができた場合、これはずいぶん楽ですね。日本語で書かれた中国語の書物ならば「中→メタラング→日」ということになりますかね。この場合、「中→メタラング」の部分が重要であって、その後はどうでもいいですね。であれば、「→日」の部分は何語でもいい。そんな気がします。ここにおいて「→日」を否定する必要は別段無く、「→英」であることに利点があるとも思えないですね。 私は第二外国語が中国語だったのですが、そうですね、日本語で書かれた教材は比較的初歩の段階から漢字を使用しますね。すると、漢字に頼って音のトレーニングを疎かにする。それはそうでしょうね。 しかし、逆も考えられます。早期に漢字を出すことによって、文意はつかみやすくなります。「オーアイター」では何がなにやら分からないが、「我愛他」ならば、それぞれの品詞と語順により格が決まることを知っていれば、意味はつかめる。 もし、意味が重要で音はどうでもいいとしたら、それき極論でしょうが、最初から漢字を出すべきでしょう。 その極みが漢文ですね。あれは音を完全に無視している。平安時代の貴族が漢文がいくら出来ても、返り点が無くても送り仮名が無くても読めるほどに熟達していても、唐の人と会話できない。そして、漢文が出来る人はごく少数に限られていた。 だからこそ、文化が進んだのだと思います。
これは 英国人全体を代表した意見ではなく、偏見も含んだ あくまで個人の一つの意見に過ぎないと思います。しかしながら その人の言ったことも確かに一理はあると思います。というのは、日本人は英語を読むのは得意で難しい単語を沢山知っている人も 英会話が苦手な人って少なくないですよね。一方、英会話が得意な人は学校とか大学ではなく、英会話学校で日常会話をメインで習得した人が多いですね。ですから 裏返して言えば「日本人って 難しい英語も沢山知っているのに、会話は下手だな。」とも考えられます。むしろ こっちの方が多いでしょうけどね。
お礼
別件です。あなたは中国語を英語で勉強しているそうですが、これはどうしてでしょうか。母国語が邪魔になるとしたら英語だって邪魔でしょう。中国語で中国語を勉強したほうがいいと思います。また、日本語での中国語の学習環境は悪くないですから。
補足
まず、この意見はわが友人のものであり、何かを代表したものではありません。 そうすると、日本人は英語を読むのが得意で(個人的にはまともに読める人はごくごく少数だと思います)、一方「会話派」は日常のなんでもない会話程度しか出来ないわけですね。そうなると、「読解派」は会話するときは黙っているしかなく、「会話派」はその会話の内容で外国人に軽蔑される。これはどうもいかんですな。 だとすれば、「会話派」はむしろ黙るべきで、「読解派」は普段読解している程度の内容を発言するのがベストですかね。
- connie212D
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私は一般的に「日本人」だからとは思いません。 まずしゃべっている相手によっても内容が空疎になってしまうかどうかが決まってくると思います。日本人同士でも、深い話が出来るひとと出来ないひとっていると思います。得に仲のいいひとの場合は、深い内容の話が出来るので、話の内容をより深くして話す傾向はあると思いますけど、得にまだそんなに長くつきあってなくて、どうでもいいひとだと、得に深い話をすることで会話を重たくさせないようにするため、内容も浅い内容とかになってしまいますよね。 私はアメリカに10年住んでいますが、これはアメリカ人同士でもありえることです。けど、アメリカ人の場合、確かに日本人に比べると、自己主張が強い為に、日本人ではいえない物を軽くいえる傾向はあります。例えば、いきなり一番最初の授業の自己紹介で、自分が家庭内暴力環境で生まれ育ったっていえるアメリカ人がいたのにはびっくりです。でも、そういった自己紹介はやっぱり適当ではないようですから、周りのひとも一歩下がった態度で相手をみます。けど、とにかくそういう点では確かに日本人のほうが、初対面から自己主張が強くない傾向はあります。 それから、ひとの性格によって、深い話が出来るひとと出来ないひとがいますよね?ひとの中には、話を深く掘り下げて会話が出来ないひともいます。それは日本人であろうが、アメリカ人であろうが関係ありません。性格上、話をしてても論理的に考えることの出来ないひとは確かにいますので、性格のせいで内容が空疎になってしまうことはあると思います。 私の場合、内容が空疎だといわれたことは一度もありません。逆に詳しく説明しすぎて相手のほうがまいってしまうこともあります。私の場合、話を深く考えこんでしまう傾向もありますし、ちょっとしたところで突っ込み、相手に言葉が出ないようなことをいってしまうことも多いため、得に夫(アメリカ人)にはアメリカナイズされすぎだといわれる位ですが、私は元々日本にいるときから、こういう性格だったんですけど、でもアメリカに来てからは、自分の考えをかなり口にすることが多くなったみたいで、アメリカナイズされたと間違われるみたいです。 英会話が流暢だと内容が空疎だなんて、私は聞いたことありません。それは、基本的には英語力ではなく話の内容を深く掘り下げることが出来ないからだと思いますよ。また、上記でもいったように、話相手がまだ仲が良くない為に、遠慮して深い話をしないようにしていたりすることからもあると思います。 とにかく「日本人だから」とくくるのはどうかな?って思います。
補足
彼が言うのは、「英会話が流暢であればあるほどその会話の内容が空疎であることが日本人の場合多い」そうです。おそらく両者は本来無関係であるはずですが、彼にはそういう因果関係が感じられるのだそうです。無論例外はいますがね。岡倉天心とか。 話の内容を掘り下げる力、まあ掘り下げるに値するときのみに必要なのでしょうが、それと英会話能力は無関係でしょうが、しかし私も「流暢で中身の無い英会話」に接することが多いです。 「掘り下げ力」は思考力の一部でしょう。もし英会話が思考力を阻害するものであるとしたら、両者に因果関係が出てくるでしょうか。
- hakkoichiu
- ベストアンサー率21% (250/1139)
未だ勉強中の身で偉そうなことを言って気に障ったらごめんなさい。 1)日本語での知識は豊富にあっても、英語で蓄えた知識が絶対的に少量だからではないでしょうか。 言い換えれば英語で見聞きする絶対量の不足と考えられます。 2)自分の考えを持つことも大事なことに感じられます。 説明が難しいですが、自分の考えを押し付けたり何時も主張することではありません。 たとえ総理大臣が一つのことを言っても、それとは違う意見があれば自分自身は「こう思う」と言えるのが一つの道ではないでしょうか。 誤解しないで下さい。 天邪鬼(あまのじゃく)になれと言っているのではありません。 3)私事で恐縮ですが、私は最近つくづく文化の違いの認識不足を痛感しています。 失礼な奴と思われたら、ここで謝っておきます。 思ったことを言ったまでで他意はありません。 こんなことでもご参考になれば幸です。
お礼
早速ありがとうございます。 まず、この友人がかなりハイレベルであるということもあるとは思いますが、「言いたいこと」のレベルと「英語力」のレベルで前者に比べて後者が低いと発言できないですね。この場合、前者を下げるとこの英人のような不満が出る。どうしても後者を上げないといけませんね。
お礼
(1)私もまだまだです。例えば鈴木大拙の英文なんぞを読むと相当な文です。彼の辿った道を探るのも一つの手かもしれません。 (2)言語のもつイメージは確かに難しいですね。英英を引くのが楽しいのもその理由の一つだと思います。 (3)類似の言語に対しては容易でも全く異なる言語に対しては困難であるとしたら、それはいわゆるメタラングが出来ていないわけで、これは私もまだできていません。 (4)承知しております。 私はある意味質問者としては「異色」だと思います。質問と言うよりもむしろ対話して、認識を深めたいと思っています。そういう使い方が正しいかどうかは大いに疑問ですが。 またどうぞお書き込みください。