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続・日本人の英会話の内容の空疎さについて

英人の友の「日本人の英会話は、一般に流暢であるほど内容が空疎だ」との発言について多くの意見をお寄せいただきましてありがとうございます。 この件について、同じ友人や仲間の踏み込んだ発言をまた載せてみます。ご意見をお聞かせください。 (1)たとえば算数で、教師が26×37を筆算してみせる場合、教師が子供に分かってもらいたいのはこの答ではなくて筆算の方法である。そして、方法を飲み込めた子供は、次に全く見たことのない掛け算を眼にしても、同様の方法を用いて思考し、答を出すことが求められる。 (2)ところが英会話教室などで、例えば「どしゃぶり=cats and dogs」と習った場合、ここに方法も何もなく、求められるのは「どしゃぶりをcats and dogsという」と記憶することにすぎず、これを覚えたところで次に全く見たことのないものを見たときに「同様の方法を用いて思考する」ことは全く不可能である。 (3)化学にしろ、歴史にしろ、あるいは野球の変化球にしろ、「類似のものをまとめ(例えばハロゲン・中世・カーブ)、そこに共通性を見出す」ものである。つまり、教養は(1)に近い方法で求められる。そして、(1)と(2)は正反対の動作といえる。 (4)自分が言いたいことは、多くの場合、今までに全くなかったことである。例えば、今質問者が書いていることは質問者の仲間が思ったことで、これは今までにないことである。これは、(2)では表現のしようがないのではないか。

みんなの回答

noname#27172
noname#27172
回答No.4

ご質問の趣旨がいまいち掴めないのですが、思ったままに。 算数の問題は人生とも似ています。賢い人は過去の失敗を教訓として生かせますが、そうでない人は 同じ過ちを何度も繰り返します。つまり、26×37の答えしか分からず 26×38は解けないんですよね。要するに全く同じものを認識したり模倣するだけで、根本原理を理解できないわけです。英会話に例えれば、九官鳥や鸚鵡と大差ないわけです。

vanvanus
質問者

補足

なぜ根本原理を理解できないのか。これはいろいろあるでしょうが、根本原理に眼を向けさせないというのもあるでしょうね。 例えば、大和時代からの古代史の根本原理は「中央集権国家への道程」でしょう。こういうとき、「大化の改新で蘇我倉山田石川麻呂は殺されなかった」という事実は、根本原理からすれば枝葉末節もいいところです。 ところが石川麻呂が殺されたことを知っていることで点が上がったり、あるいはその知識を自慢して、「そんなことも知らないの?」なんて馬鹿にされたりとかしているうちに、根本原理から離れていってしまう。

  • hakkoichiu
  • ベストアンサー率21% (250/1139)
回答No.3

1)算数の解き方は仰るとおりです。   中学で習う初等文法を知っていれば、あまり難しい細かいことに拘らずにどんどん見聞きを経験するのが優先順位ではないでしょうか。  このようにとにかく進めて、おかしい表現だと思った時に初めて文法にもどる、この方が熟達に役立つように感じます。   原則はよく分かりますが、例外もあるので一つの規則で縛ると理解が狭く窮屈になるような気がして仕方がありません。 2)経験不足の無知で”cats and dogs"は印刷物以外では見たことが無いので、代わりに例を”sitting duck"にします。  この意味は「射当てやすい的」と教わってからなるほど池等にいるあひるは射るのにかっこうの的になると思ったものです。  誰かに意味を教わらなければ一生「池で遊んでいるあひる。」以外の絵は頭に浮かんで来なかったでしょう。  こう言う言葉は、単純に意味を覚える方法しかありません。 すみません。  ここまで書いてきて、2)、3)、と4)について質問者さんは何がおっしゃりたいのか理解できなくなりました。 ご面倒ですが、もう少し誰にでも分かるように説明して戴けないでしょうか。  よろしくお願いします。

vanvanus
質問者

補足

例えば「矛盾」という言葉があります。これの意味は覚えるしかないでしょう。しかし、「矛盾」を覚えたところでそれこそ「矛盾」しているときにしか使えないですね。 筆算は普遍性がありました。 この結果、二つのことが考えられます。 A 「矛盾」を覚えても、新たな言葉「隔靴掻痒」が出てきたときは役に立たない。「隔靴掻痒」を覚えても「洛陽の紙価を高める」のときには役に立たない。1000個覚えても、実は1000個のことしか言えない。一方、筆算は一度できるようになれば、たとえ今まで見たこともないようなものであっても、今までのやり方を応用して解くことが出来る。1個わかれば無限個のことができる。 B 知識というものはたいてい筆算のように「一つわかれば他に応用が利く」ようにできている。ネオンが安定でほとんど化学反応しないことが分かれば、一般に希ガスは安定であること、単体で安定な未知の物質があれば希ガスではないかと推測できること、安定な化合物は希ガスと同じような状態(価電子がゼロ)なのではないかと考えられること、このようにどんどん拡がっていく。 知識が拡がっていく楽しさを知れば、一個のことにしか通用しない英熟語や故事成語のやみくもな記憶はいやになるだろうし、その逆もそうだろう。 すると、教養のある人は英熟語の暗記を嫌うことになり、その逆もそうだということになりはしないか。 そして、普通に考えれば、会話の内容は話者が考え付いたことを喋るのが普通で、決まり文句を1000覚えたところでどうにもなるものではない。1000以外のことを考え付くのが普通ではなかろうか。 以上から、熟語や決まり文句を大量に覚えて英会話を使用としている人(残念ながら一般的には英会話好きの大半はこれであろう)の会話の内容は空疎になる傾向が強いということなのではないか。

回答No.2

#1の補足です。 キレイにまとめたつもりで、大切なことを書き忘れていました。 数学は苦手とし、大嫌いではあったけれども、成績自体は決して悪くなかったです。

vanvanus
質問者

補足

「できる」と「わかる」は違うものですね。例えば、中学生くらいだと、二次方程式の解の公式を間違えている人が多い。これは、あの複雑な式に入れれば答が出てくるわけですが、なぜあんな妙な式なのか、なぜあの式に入れれば答が出るのかを分かっていないからでしょう。そして、あの式の証明はかなり難しいので、中学校ではまず教わらない。すると、「わからない」けれど「できる」という状態になります。 ○はくるでしょう。しかし、わかっていないからすぐに忘れます。 そういう積み重ねではやはり悲しいのではないでしょうか。身に付いていないのですから。

回答No.1

vanvanusさんのお話しの趣旨とは少しズレてしまうかもしれませんが・・26×37の筆算というのは下記のような感じですよね。  26 X37 ___ 182 78 ___ 962 この解き方自体は当然知っていましたが、何故これで答えが出るのか、今の今まで考えたことがありませんでした。 (下段の一の位×上段)+(下段の十の位×上段)=答え だったんですね。 解法は知っていたし、答えも出せる。ただ、そこに僕の「思考」が介在していたかと言えば、ちと疑問ですね。まぁ「思考、思考・・」言っているのも、それはそれでアレですけど。 とりあえず事実としてあるのは、僕が数学を苦手としていたということです。

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