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広告の現代的意味
私、CMやちらしなどの広告にとても興味があります。 なので、色々しらべたのですが、調べれば調べるほど、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまい、広告の現代的意味がみいだせなくなってしまいます。 ぜひ、広告について語ってください。お願いします☆
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>広告の仕事とは「めぐり合い」の手伝いをする >仕事だと思っています。しかし、これだと >何かしっくりこないんだすよね; そのように抽象的に「ひと言」でまとめてみたい気持ちはよく分かりますが 私には無理なことであるように思う。 多分、意味は人それぞれだから。 ひとつのイデオロギーに集約しようとすることが 多分に現代的でないと感じるから。 例えば。 現代においては民放はCMなしには経営出来ません。 その他の多くの媒体が広告を頼りに経営を続けています。 彼にとって広告の仕事は、「めぐり合い」の手伝いをする以前に 資金稼ぎ的な意味合いが大きいのではないでしょうか? かくいう私にとっても、広告の仕事は 生計の糧としての意味合いが大きかったりします。 でも、そんな私にとっても 毎日の生活に侵入してくる広告のほとんどは 単なる不快なノイズでしかなかったりします。 でも、まあ、minnietan さんが求めているのは そのような視点からのでものではないのだろう、とは 思います。 これまでの回答では >文字通り「広く告げる」こと と定義されることが多いようです。 本来的には私もそういうことだと思います。 ただし >広告の現代的意味 というとき、「現代」にこだわると 広く告げるは「マス広告」時代の、過去の定義です。 90年以降は「ONE to ONE マーケティング」といった言葉に代表される 「非マス広告」的な考え方も重要視されています。 あるいは、もっと実践的な、テクニカルなことに言及すれば #3にあるような危機管理的な広告から 例えば問屋から小売店への配下促進など流通対策的な広告 社内のモチベーションUPなどインナー対策的な広告など 非常にピンポイントに宛てた広告も沢山あるわけです。 などと沢山言い訳をした上で 最後に、参考までに以下を。 60年代は「NEEDSの時代」などと言われました。 広告も「必要性を説くこと」が重視されました。 70年代は「WANTSの時代」などと言われました。 広告は「欲しがらせること」が重視されました。 トヨタの「いつかはクラウン」なんて広告が注目を浴びました。 80年代は「DOの時代/BEの時代」などと言われました。 広告は「生活提案/生き方提案」が重視されました。 西武デパートの「おいしい生活」なんて広告が注目を浴びました。 90年代は「CREATEの時代」などと言われました。 消費者の価値観が多様化し、企業の一方的な価値の「押し付け」広告は 嫌われるようになりました。 現代は、何でしょうね? 私は「リアリティに飢えている時代」なのかなぁ? 広告には「共感によってつながっていくこと」 -「ウチらとオソロ」みたいなターゲットとの同質化と結束力の証みたいなモノが 求められているのかなぁ? などといった問題意識を持ちながら 日々の仕事に勤しんでおります。
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- gumby1964
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広告とは、まさに文字通り「広く告げる」ことを言います。 で、広く告げたいのは、自社や製品であることがほとんどすべてです。売りたいものがある。ここが、こう素晴らしいので、それを広く告げてレジスターを数多く鳴らしたい。 しかし、質問者様の「現代」という部分を、クリエイティブに携わっている者の自省の念を込めて解きほぐしますと、製品なり企業なりの素晴らしさが「きちんと広く告げられている」広告は、ほとんど見ることができなくなりました。 理由の1は、情報過多で、いくら素晴らしいことでも、そのまま「素晴らしい」と広く告げられただけでは、なかなか届かなくなったこと。とくに現代は嗜好が多様化しています。企業側はできるだけ多くの人に伝えたいが、受け手(消費者)は、自分の興味があるもの以外は反応できません。ハラが減っている人が街を歩いているとすると、その人には銀行や病院の看板はほぼ目に入りません。それと似たようなものです。 理由の2は、それなりの広告が打てるところは大きな企業であり、そこには当然企業内の力関係や思惑、人間関係などなど、さまざまな要因があります。また広告代理店や制作会社も同様です。出された広告プランが斬新でも、いくつものチェックを経ているうちに、角が取れて丸くなる(つまらなくなる)ケースは、一般の方には想像できないほど多くあります。あまり斬新な広告をつくってしまうと、それが元で担当者のクビが飛ぶ。クレームが寄せられたら大変だ。だから穏便に済まそうとする。最初からそれを見越してほどほどにつくっておく、ということも、実際には多々あります。これも「現代的」な弊害。 理由の3は、上記の1や2にも多少関係してきますが、制作者たちが、商品や企業が広く告げて「売れる」ことに興味を示さなくなってきた。単に「面白い表現をして賞など獲って有名になりたい」という思惑でつくられた広告がはびこっています。 原因は2つ。 1つは、そもそも広告の作り手は、商売に手を貸したくて業界に入ったわけではなく、表現がしたいのです。絵が好き。文章が好き。映画が好き。だけど、純粋な絵描きや小説家はハードルが高いし、喰っていきにくい。将来はそこを目指したいんだ…という人、たくさんいます。 もう1つ。広告がヒットしてモノが売れても、特殊な契約をするケースを除いて、制作者には還元されません(次の仕事が来やすいというのはありますが)。けれど、広告賞のパーティーは、一流ホテルで開かれ、とてもエラくなった気分にしてくれます。芸能人は来る。閣僚なんかもACC(CMの賞)の場合は顔を出します。 加えて、その企業なり商品なりが、本当に世の中のため人のためになるのか、というジレンマもあります。M自動車やY乳業の広告制作を担当していた人。かわいそうです。いや、もしかしたら、ほとんどの商品や企業が、厳密に言えばグレーかもしれません。携帯電話は便利だけど、問題も起こしている。車は排ガスを撒き散らす。などなど、と。 その意味では、広く告げることの「現代的意味」は見い出しにくくて当然です。 けれど、やはり、広告は商品や企業の魅力を広く告げることに存在理由があるわけで、たしかにいろんな矛盾やストレスを孕んでいますが、自分なりの良心で作り手はつくり、受け手も同様に良心で見るしかない。 観念的な話でしたが、そう結論づけさせてください。
お礼
どうもありがとうございました(><) 難しいですが、勉強になりました!!
- cyokokichi
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広告とは、 より広く不特定多数の人に何かを告げる事ではないのでしょうか。 その広告を読んでもらったり見てもらわなければなりませんのでいろいろとやることも多いのでしょう。 しかし、現代も過去も未来も使い方は変わっても、そんなに広告の意味は変わらないのでは?
お礼
そうですよねー!それを、一言で言うとなんでしょうか?なかなか難しいこといってすいません;
- dragonteeth
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NO1さんも言われているように現実的に利益のリターンが目的のものや、企業イメージを良くする為のものやら、定期的に広告料を出して広告会社の大口顧客になって、何かあったときにマスコミに激しくたたかれない様にする為ものなど、情報戦術的な要素を帯びたものが多いかと思われます。
お礼
あ~広告といっても、そういった裏の??仕事もあるんですねー;;忘れてました。。
現代的意味、って抽象的すぎて 何を答えればいいか?あるいは どんな視点で答えればいいか?が わからないのですね。 もうすこしminnietanさんの関心事項を 詳しく具体的に書いてもらえませんか?
お礼
遅れてすいません;; 私は、広告の仕事とは「めぐり合い」の手伝いをする仕事だと思っています。しかし、これだと何かしっくりこないんだすよね;
- hilo
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minnietan さん、こんばんは。とても抽象的な質問に感じてこたえが難しいのですが、自分が考えています「広告を打つ意味」という観点から申しますと、まず何よりも企業なりなんなり、商売をしている人、団体が自分達のしている事を広く知らしめないことには事が始まらない、という所が原点だと思っております。 簡単ではありますが、ご不満であれば補足をお願いいたします。 失礼しました。
お礼
ありがとうございました☆ 難しいですよねぇ;
お礼
どうもありがとうございました(>0<) なんか、すごぃですねー!!参考になりました!