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NHKリスニング入門「マジソンスクエアの雀」の落ちについて
NHKリスニング入門9月最終週「マジソンスクエアの雀」の落ちがわかりませんでした。 最後の部分。ベンチに眠りに行った。誰かがポケットの15ドルを触った???(あーあ、この部分の読解もできていないのかも) 結局、この浮浪者のような男は15ドルを手にしたけどおちぶれったって言うこと?それともこの男が未来のヘンリー自身ってことですか? どなたか教えてください。
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- matchboxtwenty
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またお邪魔します。 この話には現実的な登場人物が2人しか出てきません。主人公と浮浪者です。 ですから、15ドルをくすねようとしたのは当然主人公ということになります。 ということは、作家志望だった主人公が本来の目的とそのための手段を本末転倒させていた、ということが最後の文章で印象深く語られています。この最後の浮浪者の意味深な台詞が最も読者に印象付けられると思うのです。 また、私が「安心して」と訳した in the sun は「サン新聞社」の the Sun とかけられていて、目先の利益だけに躍起になっている主人公よりも「太陽の下(もと)で」のんびりと雀たちのさえずりや美しい草木に囲まれながら生きている浮浪者の方が心の中では幸福である、ということを作者は言いたかったのではないか、と思いました。
- matchboxtwenty
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こんばんは。 全体を読んでいなかったので、結構間違っているところがありました。全体を理解するために全文を読み、知らない単語は全てチェックしました。 訂正も含めて、先ほどの回答より少し前のところから訳してみました。 私:主人公、俺:薄汚い男 “「なあ」と野宿してる奴が言った。「腹が減ってるときはこいつも悪くないな。ニューヨークに来たときのことを思い出すぜ---15年ぐらい前だったな。俺は新聞で職にありつけるんじゃないかと思って西部から来たんだ。俺はマディソン・スクエア・パークに着いたあとで、ベンチに座ってのんびり暮らしていたんだ。俺は雀がさえずっているのに気付いた、そして俺が再び田舎に戻ったかのように思い抱かせる草木や心地よい緑の風景にもね。そのとき、ポケットの中から何枚かの紙を取り出して、そして…」 「わかったぞ」私は彼の言葉を遮って言った。「君はそれをサン新聞社に送って15ドルを手に入れたんだろ」 「おい」と友達が疑わしげに言った。「よく知っているようじゃないか。お前はどこにいたんだ?俺は安心してそこのベンチに眠りに行ったんだ。そして誰かが俺の持っている全ての1セントコイン、つまり15ドルをくすねようとして俺に触ったんだ」” 《私的解説》 その薄汚い男は、「そして…」と言ったあと、「その紙にこの公園の雀がいかに素晴らしいかということを書いてサン新聞に送ったんだ。」と言おうとしたのだと思います。 つまり、主人公が送って15ドルを得ようとしていた原稿と同じような原稿を、この浮浪者が15年も前にニューヨークのマディソン・スクエア・パークに着いたときに既にサン新聞に送って15ドルを稼いでいたのです。 だから、サン新聞は前に同じような内容の原稿を採用していたため、この主人公の原稿をボツにせざるを得なかったのです。 と共に、もしかしたら自分もこの浮浪者のように公園で暮らすような身分になっていたかもしれないと、自分と浮浪者をダブらせたイメージを読者に与えるという不思議で意外な結末になっているのだと思います。 15年前と15ドルという数字も偶然ではなく、何かの因縁を感じさせます。 また、著者はたった15ドルが得られなかっただけでやけになり、雀を憎んだ主人公と、雀や草木を見て田舎を思い出し素直な気持ちで原稿を書いた浮浪者を比較して、読者に何が大切かを示唆しているのかもしれません。そして15ドルをくすねようとしていたのが誰かということも想像できると思います。 こんな解釈でいかがでしょうか?
お礼
2回にわたって丁寧なご回答をいただき本当にありがとうございます。 一応英文解釈としては私の理解がそれほど間違っていなかったとわかりました。 でも解釈は「うーむ」という感じですね。 おっしゃるとおり「自分もこの浮浪者のように公園で暮らすような身分になっていたかもしれないと、自分と浮浪者をダブらせたイメージを読者に与えるという不思議で意外な結末」というあたりが正解かもしれませんが、Oヘンリーならではの人をうならせるようなわかりやすい結論ではないですね。 ところで、15ドルをくすねようとしていたのは誰なのでしょう?
- matchboxtwenty
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こんばんは。 私はサボっていてまだ9月号を全部終えていない上にCDもろくに聴いていないので、私なりの日本語訳を書いてみました。 “「俺は雀がさえずっているのに気付いた、そして私が再び田舎に戻ったかのように思い描かせる草木や心地よい緑の風景にも。そのとき、ポケットの中から何枚かの紙が出てきた、そして…」 「知ってる」と俺はさえぎった。「お前はそれを太陽に送り、15ドルを手に入れたんだ」 「なあ」と俺の友達が胡散臭げに言った。「よく知っているようじゃないか」 (以下は友達の台詞)お前はどこにいたんだ?俺は安心してそこのベンチに眠りに行ったんだ。そして誰かが俺の持っている全ての1セントコイン、つまり15ドルを取ろうとして俺に触ったんだ。” 以上の訳がヒントになればいいですし、明日もう一度ちゃんとCDを聴いてみますね。 その間にほかの人の良回答が入ればいいですね。
お礼
三度もご意見ありがとうございました。 浮浪者がベンチに昼寝をしに行って、誰かが、浮浪者のポケットを探ったのは、15年前の話ではないのでしょうか?(過去形になっています)であれば探ったのは主人公ではないでしょうね。近現在の話しであれば、この浮浪者は15年間もかの15ドルを持っていたことになりますよね。 いずれにしろ、最後のエピソードはわかりにくいです。 それと、作家を目指す若者がマジソンスクエアの印象を書き綴ってサン新聞社に送ると言うのは「お決まりの」パターンであることが前半に強調してあります。だから、彼が目的と手段を転倒させていたというのも少し納得が行かない気がします。 むしろ、彼の感じたことと、浮浪者が15年前感じたことが(文中の表現としても)瓜二つだったというところにポイントがあるような気がしますが、結局良くわかりません。 いずれにしろ、ありがとうございました。