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紫式部日記の質問です。
丹波の守の北の方をば、宮・殿などのわたりには、匡衡衛門とぞ言ひはべる。 ことにやむごとなきほどならねど、、あことにゆゑゆゑしく… ↑この段にある殿とはだれでしょうか?? ちなみに、宮は中宮彰子です。殿は藤原の誰かだった気がします。 週明けのテストに出るのかもなのですが、今日は台風で塾に行けないので… また、ここは重要!!とかありましたら教えて下さい。宜しくお願い致します(><;) テスト範囲は 和泉式部という人こそ、おもしろう書き交はしける。 されど、和泉はけしからぬかたこそあれ… 丹波の守の北の方をば…聞こえたる限りは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきにはべれ。 までです。
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- tote81jp
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回答No.1
回答が寄せられないようなので簡単に。 歴史の問題として考えればすぐ分かると思いますが 「殿」とは中宮「彰子」の父、太政大臣「道長」の事でしょうね。 ちなみに「匡衝衛門」は今は「赤染衛門」が普通の呼び名です。 「衛門」の夫が丹波守「大江匡衝」だったからでしょう。 資料集で系図等を見ていれば見当が付くことだと思いますよ。 教科毎の縦割り勉強の弊害ですね。
お礼
ありがとうございます!! こういうのは系図を見れば良かったのですねっ♪ これで、道長は絶対答えられます☆☆