- ベストアンサー
陶淵明の詩
陶淵明は地主だったわけだし、 自分の詩に書いたような貧乏とか、 経験してないと思うんですが、 そうすると彼の詩は全て誇張、 ウソだったんでしょうか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
それは文学の本質から遠い議論でしょう。 たとえば万葉集にある「貧窮問答歌」の作者である山上憶良は官人であり貴族でもありました。決して貧しい農民ではありませんでしたが、貧窮問答歌を「全て誇張、ウソだった」と考える人はいません。むしろ高級官僚でありながら貧しい農民の境遇に思いをはせ、あのような他に類を見ない歌を詠むことができた点に多くの人は作者の優れた感受性や豊かな文学性を感じるのです。 陶淵明も決して「貧しい農民」ではなかったかもしれませんが、官吏としての栄達を目指したり富裕を喜んだりするようなタイプの世俗的な人物ではありませんでした。日常の中から自然の中で晴耕雨読の生活を送る喜びを見出したところに陶淵明の作品の意義があると考えます。実生活でどの程度の経済状態であったかという点は彼の文学を読む上で参考情報になるとしても、さほど重要ではなかろうと考えます。
その他の回答 (3)
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10068/12612)
その筋の文献などを参照しつつ、以下のとおりお答えします。 >陶淵明は地主だったわけだし、自分の詩に書いたような貧乏とか、経験してないと思うんですが、そうすると彼の詩は全て誇張、ウソだったんでしょうか? ⇒確かに、陶淵明は役人の家系で、自身も一度は出仕しましたが、職務に耐えられず短期間で辞任しましたね。その後、東晋らが建国した南朝宋の朝廷からも招かれましたが、応じなかったといいます。結局、彼は官吏としての生活を嫌って隠遁生活をしますが、詩の作風もそれに沿っていきます。 つまり、陶淵明は郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、晴耕雨読の生活を主題とする一連の作品を詠んで、同時代および後世の人々から理想の隠遁生活の体現として高い評価を得ました。自宅が火事にあって屋敷を丸々失い、船で暮らしたこともありました。ですから、詩に書いたような貧乏を一時期味わったことは必ずしもウソではなさそうです。しかも、詩は文学であり、芸術です。芸術は(自分史などと違って)必ずしも事実である必要はありませんよね。 このように、作品の多くで詠われる内容は、隠者の生活に影響を受けつつ、自らの日常生活の体験に根ざした具体的な内容が描かれており、詩としての豊かな抒情性を歌い込むことが彼の信条でした。修辞の面でも、魏晋南北朝時代の貴族文学に見られるきらびやかな表現を追求する傾向を嫌い、飾り気のない表現を心がけた点に特徴があると言えます。 かくして、陶淵明は世俗から遠のいて暮らし、身の回りの自然や田園を歌う詩作の先駆者としてその地位を確立したのであって、お言葉に逆らってすみませんが、その作品は《誇張もウソない等身大の詩であった》と言えるのではないかと思います。
お礼
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11203/34801)
石川啄木は「はたらけどはたらけど猶(なお)わが暮らし楽にならざり。ぢつと手を見る」と詩にして歴史に名を残しましたが、実際の彼は友人知人から金を借りてはその金で芸者や芸妓と高級な飲食店で高いメシ食ってどんちゃん騒ぎしてたのです。そんな「楽にならざり」とかいわれてもな。26歳で夭折したから借金も踏み倒しできました。そのノリで40過ぎまで生きられたら周囲はたまったものではないですな。 宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」を始めとして名作を数多く残しましたが、実際の彼は真面目に働こうとしない社会不適合者で自分を溺愛する父を信仰の違いから罵倒しまくり、そのくせ生活は全部その父ちゃんに面倒見てもらっていたというクズっぷり。このへんは「銀河鉄道の父」で映画にもなりました。こっちも37歳で亡くなったから悲劇の天才扱いです。破滅型天才は夭折するのが義務ですね。 なにがいいたいのかというと、詩人と音楽家は純粋にその作品と才能だけを見るべきで、その他の面は見ないほうがいいということです。 たぶん、詩人は自分に酔わないといい詩が書けないのではないかなと思うのです。文才ある人ってだいたいみんなナルシストだし。
お礼