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終戦の反乱軍

終戦直後には、にほんでも敗戦を受け入れない反乱軍がたくさんいました。マッカーサーがきた厚木基地が反乱軍の拠点でした。 質問その一。厚木にいた反乱軍は戦闘機でにげたのですが、どこに行ったのですか? 質問そのニ。マッカーサーに特攻するなどの攻撃をしなかったのはなぜですか? 質問その三。反乱軍が大人しくなったのは、いつ頃ですか? 平成にはもう反乱軍も敗戦に納得してましたか?

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  • eroero4649
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回答No.1

1 「厚木航空隊事件」ですね。第302海軍航空隊の司令官だった小園安名大佐が玉音放送を拒否して徹底抗戦を呼びかけた事件です。 小園大佐が持病のマラリアが発症して指揮不能の状態になり、そのまま海軍病院の精神科に入れられてしまいました。小園大佐だけがやる気になっていただけのようで、他にお付き合いする人は誰もいなかったのです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9A%E6%9C%A8%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6 2 玉音放送が流れた後に、宇垣纏中将が自ら特攻に出撃したので、これが「玉音放送後に天皇の命令に反して行われた最後の攻撃」になるかなと思います。なお、アメリカ軍に空襲の記録が残っていますが、全機対空砲火によって撃墜されたようで、アメリカ軍は損害なしと記録しています。 3 8月15日正午に玉音放送が行われた後ですね。宮城事件のように玉音放送をなんとか阻止しようとする動きはありましたし、放送盤をNHKに持ち込んだときも警備の海軍士官が暴れて放送を阻止しようとした騒動がありました。 しかし玉音放送が行われると、そういった動きは(厚木の302空を除けば)一切なくなりました。宮城事件を起こした椎崎二郎中佐と畑中健二少佐は玉音放送が行われたことを知って自決しました。 なので反乱が大人しくなったのは、8月15日午後となるかなと思います。

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