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終戦日以降も戦闘があったのはなぜか?
こんにちは。 一般的には第二次世界大戦の終戦日は昭和20年8月15日とになっていますが、その15日をすぎても、日本本土上空で連合軍と日本軍の戦闘機の空戦が何日か続いたと記録にはあります。 遠い外国の地ならまだしも、本土の基地において、連絡がいってなかったとは思わないのですが、、、これは「まだ負けてない」という一部の人間が行った戦闘なのでしょうか?それともほかに理由があったのでしょうか?
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知人のもと日本軍パイロットの方から実際にお話を伺ったことがあります。 その方は玉音放送の後、上官から武装解除の命令があったそうですが、どうにも我慢がならず、東北地方の軍港の軽空母?から戦闘機を発進させたそうです。 でも、結局は飛び立ってすぐに上官や仲間からの説得にあい、引き返してきたそうです。ちなみにその方は今もご存命です。 思うに、戦争末期のあの頃は、国内といえども一部の部隊では士気の低下や諸々の事情で軍の統制がくずれていたのではないかと思います。 そんな折に強硬な戦闘継続派が暴挙に出ても、それを止めたりするようなことは出来なかったのではないか、とも思います。
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- aminouchi
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戦争はスポーツではありません。何を当たり前のことを書いているかと思われるでしょうが、戦争というものは試合の時間が決められていてその時間だけ敵味方に別れているというのではありません。 相手を殺すか殺されるかという極限状態の中で、恐怖に怯えながらも戦い続けるためには、精神の異常な興奮状態が必要です。というか、自分の心をそのように持っていかなくては戦場で戦うことはできません。そして、そのような状態になって居るときに「終戦」(正確に言うとそれは「休戦」です)だと言われてもすぐに興奮状態が醒めて冷静になれるものではありません。逆に、いつ戦闘状態が再開されるかもしれないのですから、本当に休戦が成立したと双方が納得するまでは興奮状態を継続させる方が普通なのです(古来から、休戦をもちかけて相手を油断させておいて奇襲をかけるという戦法は使われておりますし、それを知っていればなおさらです)。また、休戦が成立したからといって、のんびりするようでは困ります。そのような時こそ何が起こるか判らないとして警戒を強めるのが普通です。 そうした中で、第二次大戦終了後の日本軍は本当に早く冷静さを取り戻した方だと思います。日本を占領しにやってきた連合軍に対してもゲリラ戦は挑まれておりませんし、ある意味で、この負けっぷりの良さは驚嘆すべきものです(第二次大戦中だけを考えてみても、ドイツに降伏したフランスでのレジスタンス活動、日本に占領された中国のゲリラ戦など抵抗はしつこく続いているわけです)。 もう一度、繰り返しますと戦争はスポーツではありません。休戦が成立してもその後、何日間か戦闘が続くのは当たり前であり、特別なことではありません。お互いに発砲するのを控えていき、散発的な発砲事件も治まっていくことでお互いが終戦ということについて納得していくのです。中東でのイスラエルをめぐる紛争、アフガンでの問題など現在進行形のものを見てもこのことは理解できるはずです。 なお、蛇足ですが、私もkawakawaさんと同様に9月2日が終戦日であると理解しており、8月15日をもって戦争が終わったと考えるのは認識の誤りだと思っております。もちろん、大部分の日本国民にとってこの日から空襲も止み、戦闘状態が終わったと実感できたからこその終戦記念日なのでしょうけれど。
お礼
なるほど。そう説明されて考えると納得がいきますね。 「本当に終わったのか!?」という気持ちは絶対にあったでしょうしね。そして「ああ、終わった終わった」とかなり早い時期に気持ちを切り替えた日本もすごいなと思います。ありがとうございました。
- takomaru
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「まだ、負けていない」と言うより、 「日本は、欧米諸国に負けてはならない」といった方が正しいと私は思っています。 オランダやイギリス、フランス、アメリカといった欧米諸国がアジアの諸国で行ってきた植民地政策を日本は、見てきたはずです。 中国のアヘン中毒(新しい教科書をつくる会作成の中学の社会科教科書参照)、オランダのインドネシア植民地政策(映画ムルデカ参照)など。 そして、天皇をお守りするため、国を後世に受け渡すため、といった愛国心が行動を起こさせたものと思っています。 "戦争を起こした一部の人間が悪である"とは、我々現世で生きる我々に言う資格などないのです。 私たちは、戦争があって、当時に生きる先祖に感謝せねばならないと思うのです。 その辺をToshiJPさんに、理解をお願いしたいと思います。
お礼
いきなり終わり、と言われても当時の人たちの状況を考えるとやはり心が動いたのでしょうね。 私は大戦で散華された英霊の方達には哀悼、感謝、さまざまな感情を持っています。知覧や鹿屋、靖国神社などを巡り、その思いは非常に強いものです。
- kawakawa
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軍部の中には徹底抗戦を訴える者も多くいました。 当時,大きく混乱していたことも確かです。 しかし,正式な歴史として考えるとき; 8月15日はポツダム宣言を受け入れることを決定し,玉音放送があった日ですネ。 私は正式には9月2日,つまり,ミズリー号の上で降伏調印が行なわれた日が本当の終戦日だと解釈していますが。 以上kawakawaでした
お礼
そういわれればそうですね。半月ほどのタイムラグがでてるんですよね。そのあたりも気になるところです。今度調べてみたいと思います。ありがとうございました。
お礼
貴重な情報を感謝します。 たしかに我慢できない人たちがいたのも納得がいけます。 そしてかなりゴタゴタした時期でもあったですからね。 しかし連合軍の戦闘機はさぞびっくりしたでしょうね。戦争終わったのに襲われるとは。