• ベストアンサー

江戸時代の国学者について

国学者の荷田春満や賀茂真淵、大国隆正は神主の家系ですよね? 当時、神主で学者だとすると庶民より立場上かなり裕福な暮らしやそこそこの権力があったと思われますがいかかですか? 国学者って皆暇な読書人か裕福な人達で、食うに困らないからゆとりがあった人達が多かったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Reynella
  • ベストアンサー率51% (550/1068)
回答No.2

「国学者って皆暇な読書人か裕福な人達」 もちろんそういう人も多かったでしょう。そこそこの禄を食む武士の家に生まれたり、上位の神官の家に生まれたり、あるいは豪農で小作人を抱えている、大きな商家の次男坊以下、など。もともと書を読み、学問をするのが本分とされるような家もあれば、武家に養子に出したいと思った親が学問をさせたという例もあります。 しかし、そうではない人達もいました。本居宣長のように早く父親を亡くし、商家奉公のような暮らしをしていた人もいます。平田篤胤に至っては、25歳までは下層階級の生活ぶりだったようです。平田ほどではなくても、足軽の家、ごく小さな商家などに生まれ、他家へ奉公したところその才幹をその家の主に見いだされ、というパターンの人達もかなりいます。江戸時代は身分が固定していたものの、優れた若者を見つけると無償で支援をするという人達も多くいて、貧しい生まれでも運に恵まれた秀才は学者になったり医師になれたりした時代だったようです。

noname#261049
質問者

お礼

ありがとう

その他の回答 (1)

  • takochann2
  • ベストアンサー率36% (2420/6678)
回答No.1

 古今東西、学問をなす人は裕福である人が多いです。食うに困るようでは勉強どころではないし、毎日朝から晩まで労働をしなければなりません。研究をするにも時間が必要です。外国で教科書に名前の出てくるような学者はたいてい貴族です。有名な例外はジャン・アンリ・ファーブルです。ただし、日本は何百年も前でも、農民や労働者でさえ文字の読み書きができるという世界屈指の教養大国ですから、西欧と違って庶民のエリートも多かったです。  すみません、回答がずれてますね。国学者のことは知りません。

noname#261049
質問者

お礼

ありがとう

関連するQ&A