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高級住宅地の成り立ちについて教えてください
この間、個人的な街歩きで、高級住宅地である松涛地区を散策してみました。私にとってかなり場違いな所だと思いましたが、興味がわいて少し調べてみると、昭和初期に鍋島家によって作られた街だとわかったのですが、もう少し詳しく知りたいので、知っている人がいたら教えてください。また、明治末から昭和初期にかけて東京において市街化が進み、多くの住宅地が造られましたが、これらが高級住宅地となるか、普通の住宅地となるかの境目はなんだったのでしょうか?
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少ないサンプルから考えたので参考にもならなさそうですが、あくまで僕が思ったことということでお願いします。。。 建物の敷地は道路以外の場所にあるわけですが、昔の道路は自然の地形に沿って作られたものでした。 松涛は鍋島家の前は紀州徳川家が所有していた場所で、それぞれの宅地はかなり大きなものだったようです。 その後の明治から昭和にかけて道路の敷設などを行っているのですが、まだその当時も自然地形に沿って作れるところに作っていただけで、わざわざ地形を変えて作るということはほとんどありませんでした。 そのため松涛に移り住む人は大きな土地を購入できる富裕層で、後の地価高騰のあとには高騰してしまった相続税を払うことができる人が住み続けられるとなってしまったのではないでしょうか。 宅地整備を行う技術が進歩した頃には地価が上がって道路を作るのも難しかったと思いますし。 あと高級住宅地としては田園調布を調べてみたのですが、 東京は東側が発展していて西側は未開拓の土地でした。 荒川は船の行き来に適していたのですが、多摩川は不適な川で、それも原因のひとつだったようです。 そのため東側で人口が増えてしまい、増えた人口をどこに住まわせるかということで西側の土地を住宅地として開発したのですが、そのひとつとして今の田園調布を田園都市計画という計画にのっとって開発をはじめました。 蛇足ですが田園都市というのは、「豊かな田園の中で働き、生活しよう」という意味合いで、今の田園調布はただの住宅地なので本来の計画とはずれてしまっているのですが元々はそのような考えでした。 田園調布はある程度豊かな労働者のために造られたもので、当時は今のような高級住宅地として造った訳ではなかったのですが、後の地価高騰のため初期の住人でも相続税が払えずに出て行かざるを得ず、現在のようになってしまいました。 高級住宅地になるかそうではないかというのは、 ・元々の地形と宅地の大きさによってある程度方向性が分かれる ・最初は違っても地価高騰によって高級住宅地になってしまう(この場合はなぜその土地が高騰するのかが問題ですが) ということが考えられるのではないでしょうか。
お礼
丁寧なお返事ありがとうございます。自分でこれからこの問題を考えるに当たって、大変参考になりました。本当にありがとうございました。