- 締切済み
(歴史) 韓国と福岡の距離
地図を見て、長崎、福岡、山口あたりってすごく近いなと思って 例えば1250年ぐらい前、あるいは879年前、あるいは655年前、あるいは200年前に韓国から船で福岡あたりに来て住み着いた人もたくさんいたのではと勝手に思ったりします。 (仮にそういう人たちがいたとしても確認のしようがないというか) 海上警備っていつ頃から始まったのでしょうか? 実際、いま日本人という人でも500年前の先祖は韓国から来た人とか、ぶっちゃけわからないですよね
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- oska2
- ベストアンサー率44% (2301/5116)
>海上警備っていつ頃から始まったのでしょうか? 白村江の戦での、敗北後ですかね。 外交関係を担っていた蘇我氏を滅ぼしてまで、百済救援を行いましたからね。 蘇我氏は、全方位外交で百済・新羅・高句麗と等関係を考えていました。 ところが、百済の王子・豊璋(中臣鎌足)の策にはまった中大兄皇子は「俺が大王(天智天皇)になる」と夢をみて蘇我氏を滅ぼします。 結果は惨敗。 対馬から瀬戸内海沿いに朝鮮山城を造り防衛を行います。 天皇に即位した功績で、鎌足には藤原姓を与えます。 が、多くの国民は労働奉仕・重税に苦しみます。 >日本人という人でも500年前の先祖は韓国から来た人とか、ぶっちゃけわからないですよね 最近のDNA調査では、日本人と朝鮮半島住民とのDNAは共通点がありません。 もちろん、混血がある場合は別ですがね。 チベット・ネパール・ブータン・インド北部の住民と、DNAは共通点があるとの事。 ただ・・・。 仲哀天皇の后である神功皇后は、朝鮮半島出身ですよね。 自分の子供を次期天皇にするために、仲哀天皇の前妻の子供二人を虐殺しています。 まぁ、宮内庁も「天皇家には、古代朝鮮の血が流れている」と認めています。 ※日本書紀・古事記を絶対視しているのが、宮内庁。 確かに、朝鮮半島から多くの人たち日本に来ています。 兵庫県北部・岡山吉備地方は、古代朝鮮人が占拠していますしね。 奈良・京都は、帰化人を祭神とする神社仏閣が多いのも事実です。 そうそう、本来の日本人は「アイヌ人」という説もありますよね。 全国各地の地名は、アイヌ語が起源のものが少なくありません。 神武東征でヤマトで戦った相手のナガスネヒコ王は、アイヌ人でしたしね。 結局は、ぶっちゃ分からない。^^;
- Reynella
- ベストアンサー率51% (550/1068)
1.1250年前どころではありません。考古学では、縄文・弥生の時代にすでに朝鮮半島から渡って来た人がいただろうと言われています。なお、「韓国」という国は、第二次世界大戦後に出来たとても新しい国です。 2.4~7世紀になると特に多くの朝鮮の人達が日本に来ています。仏教、漢字、機織り、造船などの技術も伝えました。「百済」という朝鮮半島にあった国が滅んだあとは、王族が亡命したりもしています。朝鮮半島から一族をあげて移住してきた人達も多く、「秦」という姓を名乗った人達が住んだのが関西にいくつかある「太秦」という地域です。(京都の映画村がある太秦が一番有名) 3.日本は660年に友好関係にあった百済が、唐・新羅に滅ぼされたあと、その王族や家臣を支援して戦い、惨敗しました。663年10月のことですが、その後、天智天皇は唐・新羅の侵攻を警戒して防衛を固めたので、このときから、海上警備が本格的に始まったと考えられています。 渡来人が日本に沢山来るようになったのが4世紀ですからね。815年の記録によれば、大和朝廷に仕えていた一族のうちおよそ3割は朝鮮半島から来た一族です。当然、与えられた領地に住んでいた日本人との間にも子孫を残してますよね。戦争の被害などにあっていない地域だと今でも家系図をお持ちの家もありますが、そうでなけれもうわかりません。ただ、渡来人がもらった「姓」があるのでそれで見当がつくことはあります。でもそれにしたって、女系なら判らない。