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時間は止まることがないのか
「時間は流れ続ける」というのが、一般的な常識だと思いますが、物理学において、これは証明されているのでしょうか。 あるいは、「特定の条件を満たせば止まることもある」というものや、ゲーデルの不完全性定理のように「証明することはできない」というのでも構わないので、ご教示願います。
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これまでのスレッドは、 ところどころ脱線もあり、 ところどころ勉強にもなりっていう感じが私の感想です。 これまでは、スレッドでの対話を重視して回答を重ねてきましたが、 ここら辺で、一応、私も勉強させていただいた成果を踏まえて、 私の考えをまとめておきます。 (回答) 時間とは、変化を表現するためのパラメータである。 で、「時間が流れている」と知的観察者が認識するための条件は、 少なくともひとつの物理現象(観察対象)に関して変化が観測されることである。 (注意) 以上の回答における時間は、局所的な観測者の主観的経験の時間です。グローバルな宇宙でどうなっているか、他者にとってどうか?などは、とりあえずは無視しています。 (解説) と、以上のように解説すると簡単に見えるけど、 座標変換・変数変換などの効果を考えると、 「流れている・流れていない」 の感覚は、 白黒より、 どの程度流れているか?っていう定量的な感覚がしっくりくる気がします。 というのも、 非常に単純な定常的な宇宙であれば、 説明したい変化の種類も度合いも少なく、 流れる時間のパラメータとしてのご利益がほとんどありません。が、これまでのスレッドで分かるように、 まったく時間を存在させないのは、不可能です。知的遊びで時間というパラメータを導入できる。 こうした宇宙しか眺める対象がないような人は、よほど白昼夢(空想)がうまくない限りは、間違いなくぼけて、時間なんていう概念は忘れてしまうと思います。 他方で、変化が多様で激しく、熱力学第二法則によって、変化に方向性があるような、 今日のような宇宙に住んでいる人にとっては、 時間というパラメータをとるご利益が大きく、 まさしくリアルに時間が一方向に流れています。
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- bttf2003
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#6の文章に誤りがありましたので、訂正します。 誤:光速で運動する慣性系では、時間は止まっている 正:光速で運動する慣性系の時間は、止まっているように見えることもありえる
お礼
了解です。
- decidrophob
- ベストアンサー率38% (26/67)
一般相対論について補足しますが、 こちらのほうは、普通の素朴な感覚で、 重力の強く働くところの方が時計が遅く進みます。 特殊相対論においては、 互いに運動する慣性系から相手の時計を見ると、 どちらの慣性系にいる観測者から見ても 相手の時計が遅く見えるので、 第三者の目から見てどっちの時計が遅いっていうのとは違います。
お礼
>第三者の目から見てどっちの時計が遅いっていうのとは違います。 第三者まで出てくると頭がこんがらがってしまいますね。なんとなく、<「我思う故に我り」と思っているいる我あり>と思っている我あり、というのを思いだしてしまいました。 参考になりました。御回答ありがとうございます。
- bttf2003
- ベストアンサー率37% (230/614)
#6です。 論理的に回答しないとお気に召さない方もいらっしゃるので、補足しておきます。 #6の回答内容のうち、前半部分は質問者さんへの「補足要求」です。 中間部分は、最近「補足要求」しても返事がないことがあるので、仮に答えるとしたら、こんな回答も有り得ますよという内容です。(論理的に、おかしいところがあるのは、回答の一例を示したため、全体の論理が一貫しておりません。申し訳ありませんでした) 最後の一行は、私見です。 「あなたは、どんな人」の欄で「専門家」を選んでいるのは、あくまでも「自称」専門家で、公的な資格、証書等は持っておりません。
お礼
了解です。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
参考程度に 時間が止まればたとえ空間が存在しようとも静止写真画のように、一切の動きはありません。動き(時間経過や歴史)がないと相対論もブラックホールも論議するよすがもないのです。言い換えれば、時間の流れが存在する故に物理学という学問が存在しているのです。それゆえこの学問で時間の存在(流れの)意義を推察することはできないのです。時間の流れも直線的なのか渦巻き的なのか、あるいはそのほかなのかもわかっていません。しかし、時間は悠久の過去(おそらくビッグバンあたりを基点として)から悠久の未来に流れていることは間違いありません。
お礼
物理学では、「時間が流れる」という前提から思考を始めるので、「時間の存在」については問わないのですね(一般的には)。 >時間の流れも直線的なのか渦巻き的なのか、あるいはそのほかなのかもわかっていません。 時間については、まだわからないことが多いようですね。何がわからないのか、問いを立てること自体が難しい感じがします。 >時間は悠久の過去(おそらくビッグバンあたりを基点として)から悠久の未来に流れていることは間違いありません。 宇宙に存在するもの全てが、その動きで示しているのだろうと思います。物理学は「時間」から「動き」を、「動き」から「時間」を導いているのだと思います。おそらく、人間にとっては、「動き」があることの方がより身近で、より自明で、その「動き」から感じられる時間はそれに従属して得られるもののような気がします。いずれにしても、自然的な態度から、どちらも自明だとは思いますが。 参考になりました。御回答ありがとうございます。
- decidrophob
- ベストアンサー率38% (26/67)
ブラックホールのシュヴァルツシルト半径の内側の物理学っていうのは、実はそれほどはっきりしたことがわかっていないので、とまるともとまらないともいえず、仮説の段階です。光速以上の物体も発見されていません。これも、仮説の域を出ない。 特殊相対論に関して、数多くのひとがとんでもない誤解をされているようなので補足しておきますが、 光速に近づいて時計が遅くなるのは、 「外から」その時計の動きを見た場合ですよ。 その運動している慣性系に乗っかっている本人にとっては、 まったく同様に時計は動きます。 逆にこれを仮定しないと、ローレンツ変換は導けません。 で、確かに、「外から」すごく速い放射性原子の運動を観察すると、崩壊時間が静止している原子の崩壊時間に比べて長くなっているようにみえます。この現象を、「崩壊時間が延びた」のではなくて、時計の進みが遅いと解釈したほうが、きれいに解釈できるんですね。 まあ、確かに、そういった意味では、従来の素朴な 「どんな運動をしているどの点にいる人にとっても同じように時計が進む」 っていう感覚は、 より物理学的に有効である光速度不変の原理を採用することにより、 特殊相対論においては、すでに放棄されています。
お礼
>その運動している慣性系に乗っかっている本人にとっては、 まったく同様に時計は動きます。 自分以外の「もの」の時間は止まる可能性があるが、自分の時間は、変わらず流れつづけるということですね。それにしても、他人の時間の流れが、自分と違うというのは、以外というか、実感がないですね。その差異がごく微量なため、感じる必要がないのだろうけど。 何かに集中していると、あっという間に時間が過ぎてしまうことがよくありますが、ある意味、自分の時間の流れが変化したような感じがします。こちらは、物理的な時間ではないですが、意識と時間にも相対性がありますね。 参考になりました。御回答ありがとうございます。
- d-kanai
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他の方も言ってますが、光速と同じ速度で動けば時間は止まるはずです。また、重力の非常に大きな場所も時間の流れが遅いのです。 最も簡単な例を言うと、ブラックホールの事象の水平線がそれに該当します。 詳しくは参考URLを。
お礼
多忙な上、ものを考えていると、あっという間に時間が過ぎてしまうので、お礼が遅れがちになっております、すいません。 光以外で、光速で動くものはまだ観測されていないので、上記のものは、「仮定を満たせば、可能となるもの」と理解しておきます。 参考URL拝見しました。 その中で、以下の記述にびっくりしてしまいました。 >事象の地平面を超えたとき、彼らは時間を超越した存在になるのである。すなわち、事象の地平面内部では、時間と空間がその役割を入れ替える。通常の空間では、空間を自由に行き来できても、時間を操ることが出来ないが、事象の地平面内では空間を行き来することが出来ないかわりに、時間を制御できるようになるのである。 これも、理論から導かれるもので、観測はされていないと思われまが、それにしても、どんな感じになるのか想像もできません。いずれにせよ、事象の地平面内部では、人間として存在していないだろうから、感じることもできませんね。まさに、未知の世界だと思います。 参考になりました。御回答ありがとうございます。
- decidrophob
- ベストアンサー率38% (26/67)
まずは、物理学の立場からお答えしましょう。 まず、基本中の基本ですが、 「証明」っていうのは、 特定の公理系の中のみでできます。 で、公理っていうのは、 恣意的に設定するか、 もしくは観察事実をまとめることによってのみ得られる。 まあ、公理自体を証明することは無理なんですね。 ということで、通常、なにか物理的な命題が「証明されるか?」という問いは、もっと他の物理法則を前提としているような学者同士の会話などの場合以外は使いません。少なくとも、哲学者が素朴に考えるような意味での「証明」は、物理学においてはあまり意味がないと思う。 なので、もう少しソフトにタイトル部分をそのまま素朴に質問して、答え方をオープンにするほうが、より適切になると思います。 以下、現状の宇宙論の認識では、もしくは将来的には、時間という量が「本質的でなくなる」かもしれないということが言われていることを説明します。 物理学的な時間というのは、 本当に一言で言うと、 「変化」をもっとも美しく物理法則で表現するためのパラメータです。 「時計」という物理メディアで定量的に定義されます。 なので、 時間が流れていないっていう風に考える場合はいくつかあって、 1)No5. にも関連した議論がありますが、将来の宇宙のひとつの姿として想定されているのが、すべてが燃え尽き、混沌とした宇宙です。こうした宇宙では、一応諸粒子は運動しているといえなくもないですが、すべてが定常状態。すべての物理量に関して、時間を変数とする微分方程式を立てても、本質的には定数にしかなりません。つまり、世界の表現から時間というパラメータをはずせるんですね。 2)別の意味で混沌。つまり、現在と同じ方向に時間が流れていると思うような物理法則では説明ができないようなビッグクランチみたいな事象が起こるシナリオ。時間の一方向での流れっていうのは、因果関係とエントロピーの法則によって特徴付けられます。これらが満たされないような宇宙においては、これまた、従来の世界と同じ時間パラメータが機能しているとも言いがたい。簡単に言うと、たとえば、意識はそのまま動いているのに、タイムトラベルなんていうでしょ?これは、従来型の因果関係の範囲外の出来事に主体が巻き込まれた場合のことをいっていると思います。 っていったところでしょうか。すぐには、他の場合も思い浮かびませんが。 ま、当面の間は、これまでの物理法則も有効だし、しかも完全に定常状態になってしまうなんてこともないだろうっていうことから、暫定的にこれまでどおりの時間というパラメータを使って宇宙を表現しているんですね。でも、何億年というスパンでは、今の知識が安定だと思っていると思う。私も、ほとんどの超常現象的な話は、心理的に即却下するほど、物理学は信頼度が高いんでね。 まあ、でも、哲学で「永久」などを論じるようなニュアンスからすると、自然科学なんて、そんなにめちゃくちゃたいそうなものではないですよ。高々数億年先まで物理法則が安定であれば二十分。 現実問題としては、常識的に考えれば、 認識主体としての人間の寿命のほうがはるかに宇宙の寿命より短そうですね。 っていうか、結構、このこと(人間の寿命)っていうのは、根源的に時間の存在と絡んでそうです。というのも、意識を完全に物理法則などの外側におけば別ですが、人体も頭脳も一応宇宙の一部なんでね。これが、従来どおり、論じたい宇宙の中で機能しているっていうことを前提とした上で、時間の流れを議論するんだったら、それこそ常識的には時間は流れ続けますね。
お礼
>まあ、公理自体を証明することは無理なんですね。 「時間が流れること」が、物理学の公理だというのは知りませんでした。公理だから、証明できない。おそらく、ゲーデルの不完全性定理と同じですね。 1)について すべてのものが定常状態になってしまえば、時間があろうと、なかろうと意味がない、ということですね。ビッグバンが起きる前の状態がこれに近いような気がします。もっとも、この場合は、何も存在していないゆえの定常状態ですが。 2)について >従来の世界と同じ時間パラメータが機能しているとも言いがたい。 宇宙が収束に向かうと、時間の流れも逆になって、人も若返ったりする。なんてことはないですね。そのころには、きっと人類はないだろうし。流れが逆になるからといって、過去の事象を逆になぞるとは限らないし、なんらかの不確定性(ランダム)もあるかもしれないから。 >哲学で「永久」などを論じるようなニュアンスからすると、自然科学なんて、そんなにめちゃくちゃたいそうなものではないですよ。高々数億年先まで物理法則が安定であれば二十分。 学問をする上で、こういう態度は重要だと思います。今、「正しい」と思われるものが、絶えず更新される可能性を持っている。新しい発見によって、いつかこの問いに答えが出ることもありえると思います。 >人体も頭脳も一応宇宙の一部なんでね。これが、従来どおり、論じたい宇宙の中で機能しているっていうことを前提とした上で、時間の流れを議論するんだったら、それこそ常識的には時間は流れ続けますね。 そうですね、人が存在していること自体が、時間が流れていることを証明していると思います。未来については謎ですが。あくまで空想ですが、私たちが生きているこの時間とは違う流れの時間があって、その時間を感じられるものだけが、その世界に生きている、というのもありえそうな気がします。まあ、とりあえずは、自分の時間を感じて生きるのが最善ですね。 何かとお世話になります。御回答ありがとうございます。
- bttf2003
- ベストアンサー率37% (230/614)
>「時間は流れ続ける」というのが、一般的な常識だと思いますが とおっしゃっていますが、あなたの「常識」とは何を意味していますか? 哲学的にお答えください。(質問者さんは、哲学的な回答が出来そうな方だから) それによって、回答内容が、がらりと変わってきます。 「時間は止まることがないのか」という質問に答えるには、「時間は、物理学的に存在する」のか「時間は、物理学的に存在しない」とするのか「時間は、物理学的に存在するとも存在しないともいえる」のどの立場に立つかによって、何とでも答えられます。 例えば、唯物論の立場に立って「時間は、物理学的に存在する」と考えるなら、 ニュートン力学の範囲では、「運動が無ければ時間の流れもない、したがって運動する物質が存在するならば、時間は流れ続ける」と答えるし、 特殊相対性理論の範囲内であれば、「すべての慣性系は相対的であるから、ある慣性系では時間は止まっている場合もある」といえる。(例えば、「光速で運動する慣性系では、時間は止まっている」) また、量子力学(非相対性理論的な)では、瞬間的(Δt=0)に情報が空間的に移動可能とみなせる。この場合は「時間は止まるとも言えるし、止まらないとも言える」 (何故なら、瞬間的な情報の移動は「時間が止まった」ために発生したとも言えるし、「時間は流れているが、文字通り『瞬間的』に情報の移動が発生した」とも言えるから) 結論的には、「よく分からない」という答えが現時点のこの質問に対する、正解らしい。
お礼
「常識」というのは少し大袈裟だったと思います。 人々が生活する上で、「時間は流れ続ける」と考える方が、そう考えないことよりも有用なので、そういう前提で、考え行動する。その前提という程度ですね。 どうやら、物理学の中でも、それぞれがとるスタンスによって答えが変わるようですね。特に量子力学の見解は、一般的な前提と違いが見られますね。非常に興味深いです。 個人的に、哲学的に答えると、「時間を感じる主体がいなくなれば時間もなくなる」と思います。しかし、これは時間が止まるとは別のことですね。時間を川に例えると、川が存在するには、背景となる地平、岸が必要になります。しかし、人はこれを認識することはできないと思うので、時間が止まったとしても、それを知ることはできない。つまり、「わからない」が回答です。 参考になりました。御回答ありがとうございます。
- nabla
- ベストアンサー率35% (72/204)
これは結構難しい問題です。 いまだに物理学者の中でも統一的な見解は出ていません。 個人的には時間は止まった瞬間に消滅するのではないかと思います。時間というのは流れているから意味があるのであって、例えば全宇宙の物体が止まってしまったら(実際にはありえませんが)その宇宙で時間を考えることは意味があるのでしょうか?それどころか時間は存在すらしないのではないでしょうか?
お礼
>いまだに物理学者の中でも統一的な見解は出ていません。 これは知りませんでした。哲学と同じで、本質に近いものほど自明で、それについて知るのは難しいのだと思います。 >時間というのは流れているから意味があるのであって、例えば全宇宙の物体が止まってしまったら(実際にはありえませんが)その宇宙で時間を考えることは意味があるのでしょうか? おそらく、意味はないですね。ある意味、野暮な質問だと思います。 参考になりました。御回答ありがとうございます。
- michina
- ベストアンサー率37% (68/179)
「特定の条件を満たせば止まっているのと等しい状態になる」というのが正解です。ただ、止まっているか止まっていないかというのは、それを観察する対象が必要です。 自分自身で自分の時間が止まっているかそうでないかを確認することはできないからです。 自分が観察している物体( ロケットとする )の速度が、光速度に近づけば近づくほど、そのロケット内の時間の流れは緩やかになっていく( 遅くなっていく )というのは、理論的にも実験でも確認されていることです。 ただ、現実の問題として、物質は光速度に達することはできないので、時間が完全に止まるということはこの方法ではあり得ません。限りなく緩やかになるだけです。
お礼
時間の流れは、観察する対象に限って、光速に達するにつれて緩やかになる、しかし、止まることはない、という意見ですね。 参考になりました。御回答ありがとうございます。
お礼
私もこの回答がしっくりします。 とりあえず、「時間は流れ続けるか」という疑問には、「少なくとも、人類(または知的生物)が存在しているうちは、流れ続ける」として、未来については沈黙するしかないですね。 また、対話を経て、「物理的時間」と「主観に対する時間」の違いもぼんやりと見えてきました。初めに意図したものではないのですが、自分にとって新たな視点と問いを得ることができました。とても有意義な「時間」でした。感謝します。