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【日本史・ぜんざいや事件】慶応元年1月8日(186

【日本史・ぜんざいや事件】慶応元年1月8日(1865年2月3日)に京都の新選組が大阪城に籠城して大阪城を乗っとろうと謀反を働いたって本当ですか? 当日の大阪城には誰が住んでいたのですか?もぬけの殻だったので京都から逃げ出した新選組の残党が大阪に流れて来て大阪城に立て籠もったのでしょうか?立て籠もった大阪城の城主というか人質は誰で結末はどうなったのですか? 新選組のぜんざいや事件の歴史の流れを教えてください。

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  • Reynella
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回答No.1

まったく違います。 ぜんざい屋事件とは、「土佐勤王党」という今の高知県の人達の過激派組織が企てた大坂城乗っ取り未遂事件です。土佐勤王党が「大坂の市街地に火を放ち、その混乱に乗じて大坂城を乗っ取る」計画をたてたのを察知した新選組が「石蔵屋」というぜんざいも出す甘味処を襲撃しましたが、主要メンバーは外出中で店主と大利鼎吉しかおらず、この大利鼎吉が殺されました。襲撃したのが新選組ですが、それもたった4人だったようです。 そもそも、慶応元年に「京都から逃げ出した新選組の残党」など存在しませんし。新選組はちゃんとありましたから。 ちなみに、当時の大坂城には、常陸笠間藩主の牧野貞直が城代として赴任中でした。大番という組織2組が駐屯していて、200~400人の兵力が駐屯していた(資料により違う)といいますね。 というわけで、「ぜんざい屋事件」というものはありましたが、大坂城に立てこもった者なんていないし、当然人質もいません。

その他の回答 (1)

  • gunsin
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回答No.2

かなり誤った認識ですね、こちらで再認識を・・・ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9C%E3%82%93%E3%81%96%E3%81%84%E5%B1%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6 ネットで調べられる良い時代になりました、ネット情報で百科事典が 不要になりそうです。

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