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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本語の主体について)

日本語の主体に関する古文と現代文の疑問

このQ&Aのポイント
  • 古文の学習中に現代文の日本語の主体について疑問が生じました。特に「聞し召しつけぬにやあらむ」の主体を解釈する問題で、解答は帝が主体とされています。
  • 問題の解答として、現代文に直すと「私は『帝は聞き取りなさらないのであろうか』と思って」となるが、帝の主体がかかる部分は「聞き取りなさらない」のみと考えられるかという疑問が浮かびます。
  • 「私は帝は聞き取りなさらないのであろうか」と思っているのか、または「私が聞き取りなさらないのであろうか」と思っているのか現代文的に解釈の違和感について悩んでいます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1057/1649)
回答No.2

たしかに「~にやあらむ」(~であろうか)と推量し疑問している主体は、帝ではなく私です。 ただし「主体を明示して解釈せよ」という出題の意図は、推量・疑問の主体まで明示しろというものではなく、ただ単に省略されている主語(帝)を明示しろと言いたかっただけだと思います。 古文でも現代文でも、さらに言えば日本語だけでなく英語でも、推量・疑問の主体と主語は、必ずしも一致しません。 Will he come back?(彼は戻ってくるだろうか?) この文で「~だろうか」と推量・疑問しているのは、彼ではなく私です。だからといって推量・疑問の主体が私であると明示して解釈する必要があるかというと、そんなことはありません。わざわざ明示するまでもない当たり前のことだからです。 「聞し召しつけぬにやあらむ」の主体を明示して解釈せよ、という問題も同様に、わざわざ「にやあらむ」の主体まで明示して解釈することを求めてはいないはずです。

Crepes1
質問者

お礼

回答ありがとうございます! わざわざ英語の例まで出していただいて分かりやすかったです。そうですよね。ちょっと疑問に思ったので、確認できてよかったです!

その他の回答 (1)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.1

以下のとおりお答えします。 >少し違和感を感じたのですが、 日本語の現代文的にはどうなのでしょうか。 ⇒一部お説のとおりで、一部間違いかも知れません。 つまり、こうです。 1.《①の疑問文のところまで帝が主体の文である》のくだりはこれでいいと思います。 2.しかし、《私は「聞き取りなさらないのであろうか」と思って》の部分は間違いかも知れません。なぜなら、「思った」のは、鷹に逃げられたことを帝に報告した大納言でしょう。ですから、この部分の現代語訳は、《「帝は聞き取りなさらないのであろうか」と、大納言は思って》とするのがよいと思います。

Crepes1
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 確かに、下の訳では古文上よろしくありませんでした。訂正ありがとうございます!

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