なるほど。
現代では、茶屋といえば喫茶店か、ごく限られた場所でのみ、芸者が接客のためにやってくる店か、ですからね。
たいていの方は飲食店だと思うのかもしれません。
出会い茶屋とは基本的に、江戸時代の貸座敷です。飲食店ではありません。
基本的に、出会い茶屋=休憩所=現代ならラブホ、と理解して差し支えありません。
昔なので建物が完全に和の建物だというだけです。二階に小さな部屋がいくつも並んだ建物を想像なさればだいたい合っているでしょう。
現代のラブホはまず本格的な飲食物を提供しませんよね。飲食店ではないから。
それと同様、出会い茶屋も、店で調理して提供することはしていない、で共通しています。
茶屋はさまざまな機能を持ったいろんな形態がありましたが、基本的な意味は休憩所というのが近いでしょう。
待合茶屋のように、武士階級が集まる会合場だったり、芸者を呼んでその芸を楽しむ遊興のための場である茶屋もあります。
本格的な料理を提供した茶屋(後に料亭へと発展していった)や、風俗店といえる茶屋もあります。
中には格が高く、豪華な建物で、利用するにも一見さんお断りの茶屋などもありました。
その中で出会い茶屋と言えば、男女が情事のために会う茶屋を指します。
何か飲食する場合(たとえば数時間滞在していたので小腹が空いたなどのとき)も多かったようですが、どの店も、料理店から料理を運ばせていました。
地域によってはお茶ぐらいなら用意していた店も多かったようですが、甘味まで用意されていたとはとうてい思えません。
食べるなら、他の料理同様、これらを売る店から取り寄せていたことでしょう。
特に、ご質問で仰るような「甘味」とは、砂糖を使ったデザートを想定していらっしゃいませんか?
砂糖は明治時代の半ばごろに庶民に普及するまでは、かなりの高級品です。江戸時代初期には病人にのみ与えられる薬として薬屋に売られていました。
江戸の中期ごろから砂糖を使わないまでも甘味も庶民の口にもゆきわたる時代が来ます。(といっても度重なる飢饉の時代でもあり、いつでも日本人なら誰でも甘味を楽しめたわけではありませんが)
しかし、これらの時代に庶民が食べられる甘みとは主には干し柿やサツマイモ、栗、ハチミツや水あめが採れる地域ならこれらを使った何かぐらいです。
江戸後期の江戸では武士階級の男性も蒸かし芋を好んだと言いますから、出会い茶屋でもこれらの芋を持ち込んだ人がいたかもしれません。
ただ、ご質問に立ち返って、「出会い茶屋が甘味を出す」ということは到底ありえません。
お礼