• ベストアンサー

「思わしめる」「思わせしめる」

「Aさんに、こう思わせる」 という文章の「思わせる(使役)」を尊敬調に書こうとしたのですが、 「思わしめる」「思わせしめる」などの表現がぱっと浮かびつつも これらの意味や違いがいまいちはっきりしないし、 適当なのかどうかも自信がありません。 これら2つの文の中での適切な使い方などを教えていただけませんか? また、「思わせる」の尊敬として他にどんな単語が考えられますか? どうぞよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

>使役+尊敬ならありえそうな気もしてしまいます。 なるほど説明が足りませんでしたね。 専門的になりすぎるかと思い省略していたのですが、古語の「しむ」が尊敬を表すには条件があるのです。 A 動詞+「しむ」は基本的に使役    「思はしむ」(=思わせる) B 動詞+「しめ給ふ」のように「給ふ」などの尊敬語と組み合わせた場合は尊敬(主に天皇などに対する特別に高い敬意を表します。)    「造らしめ給ふ」(=お造りになる) おおむね上記のような原則です。 以下補足的説明です。 1 なぜ使役を表す「しむ」が「給ふ」などの尊敬語とともに用いられると尊敬を重ねて強める役割を果たすか?  たとえば天皇が新しく寺を設立するとしましょう。  天皇自身は実際には作業を行いません。臣下に寺院設立を命じるだけです。すなわち……   「帝が臣下に寺を造らせる。」   古語では「帝、臣をして寺を造らしむ。」 この場合の「しむ」は使役です。(原則A) このままでは天皇に対する敬意が表現されないので、   「帝が臣下に寺を造らせなさる。」   古語では「帝、臣をして寺を造らしめ給ふ。」 この場合も「臣をして」と命令する相手が明示されているので「しむ」は使役です。(原則Bの例外) しかし、臣下に命じて行うことは当然で、表現する必要はないので、「臣下に」を省略して、   「帝が寺を造らせなさる。」   古語では「帝、寺を造らしめ給ふ。」 という言い方が普通になり、だんだん使役が意識されなくなって、   「帝が寺をお造りになる。」 という意味として理解されるようになりました。 これが原則Bです。 ところで質問者はフォーマルな文章でなく、少しもってまわって(気取って?)表現してみたいとのとですから、「尊敬」という言葉に振り回されず現実的な表現効果を追求されたらどうでしょうか。  「このようにして俺は自分をAに味方と思わしめることにまんまと成功した。」 たとえばこんな感じでいいと思いますよ。

contigomivida
質問者

お礼

お礼が遅くなってしまってすみません。 詳しい解説ありがとうございます。 回答者さまのおっしゃるとおり、 私のやりたかったことはまさに「ちょっと気取った」 というか、「もってまわった」表現です。 「思わしめ給ふ」を使ってしまってもいいくらいですね(笑) 具体的な例文も参考になりました。 余談ですが、インターネットで検索してみると 「俺はAをして味方と思わしめた」 という形の文章もよくあります。これもいいかも。 回答どうもありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • shangyan
  • ベストアンサー率41% (117/284)
回答No.5

「思わせる」は尊敬語になりません。確かに思うのはAさんですが、思わせる主語は、私だからです。 それに普通に考えて、使役は命令したり、許可したりするのものであるから、目下か同等にする表現です。目上に対して使いたいならなら、それをしれもらうという表現になるでしょう。「そう思っていただいた」といった謙譲語を使うことになるでしょう。「部長によく思っていただけるよう努力している」など。 「思わしめる」は古語ですね。古語では「思わしむ」で、使役の意味の場合は、現代語なら「思わせる」、尊敬の意味の場合は、現代語では「思われる」「お思いになる」です。使役の意味と尊敬の意味を一緒に使うわけではありません。状況によって使い分けます。 「思わせしめる」という表現はありません。

contigomivida
質問者

お礼

>「思わせる」は尊敬語になりません。 そうですね、私も#3のかたのご回答を読んでいて 自分が間違った質問の仕方をしていたことに気づきました。 「思わしめる」ですが、使役か尊敬かが文脈で使い分けられるんですね。 でも、その両方を同時に含ませるために「思わせしめる」という表現 (思わせ(使役)しめる(尊敬))をしてもいい気がするのですが、 そうできない理由は何かあるのでしょうか? #4のかたのご回答では、使役の表現がだぶるから・・・ということで納得しましたが、 使役+尊敬ならありえそうな気もしてしまいます。 よろしければまた教えてください。 わかりやすいご回答どうもありがとうございました。

回答No.4

たしかに「思わしめる」「思わせしめる」のどちらも不適当ですね。敬意を表現するというより不敬の表現になりそうです。 どう表現するかは、もうすこし具体的な文脈がわかるほうがいいのですが、たとえば……  「がんばったと認めていただけるように努力いたします。」 などと表現してみてはどうでしょうか。 ちなみに「思わしめる」は古風ですが文法としては正しい表現で、「思わせしめる」は「思わせる」という使役の表現にさらに使役を表す「しめる」を重ねているので間違った表現です。蛇足ながら。  

contigomivida
質問者

お礼

「思わしめる」でも不敬の表現になりますか? どう表現するかの具体的なアドバイスもありがとうございます。 シンプルな文章ですね。 でも、今回はフォーマルな文章を書いているのではなく、 わざわざちょっと持って回った(?)言い方をしてみようかなと思ったんですね。 「思わせしめる」でも検索してみたら結構ヒットしましたが、 「しめる」ですでに使役の意味があるので 「思わせしめる」では間違いなのですね。 とりあえず自分で挙げた二つの違いがすっきりとわかりました。 現代語の「サ入れ」のようですね。(笑) わかりやすいご回答どうもありがとうございました。

  • UKY
  • ベストアンサー率50% (604/1207)
回答No.3

> 田中社長が思わせた、という文章ではなく、田中社長「に」何かを思わせた それは尊敬じゃなくて謙譲ですよ。 「社長が私に言った」→「社長が私におっしゃった」(尊敬) 「私が社長に言った」→「私が社長に申し上げた」(謙譲) 謙譲語に関しては、どんな動詞でも「~致す」や「~申し上げる」を付ければ形式上はとりあえず謙譲語になります。 「思わせる」を無理やり謙譲語にするなら、「思わせ致す」とか「思わせ申し上げる」といった風になりますが、明らかに不自然ですね。 ちなみに、「しめる」が尊敬や謙譲の意味になるのは古文での話で、現代語では使役の意味しかありません。

contigomivida
質問者

お礼

あぁ。そうですね!謙譲調にしたかったのです。(^-^; わかりにく質問になってしまい、すみません。 UKYさまのご回答で、辞書に書いてあったこともすっと頭に入ってきました。 別に純粋現代語でなくてはならない文章を書いているわけではないので、 古文ちっくでも別段かまわないのです。 わかりやすい回答どうもありがとうございました。

  • puruton
  • ベストアンサー率20% (55/264)
回答No.2

●田中社長は取引業者に、「このプロジェクトはもうかる」と思わせた。  例文を書いてみましたが、要するに、主体(田中社長)に対する尊敬ですよね?それなら、「思わせられた」でいいのでは?  パーツに分けて解説すると、古文の助動詞「らる」(受け身、尊敬、可能、自発)の「尊敬」と考えればいいのでは?あまりつかわなそうな気がしますが。  

contigomivida
質問者

お礼

うーん。 田中社長が思わせた、という文章ではなく、 田中社長「に」何かを思わせた (そう思わせるように誘導するのに成功した、 というような意味ですね)、という文章の 「思わせた」を尊敬調にしたいのです。 なお、あまりお堅い文章や公式な文章を書いているわけではなく、 むしろちょっと言葉遊び的な感覚でそうしてみたいなと思ったんですけどね。 回答ありがとうございました。

  • qKAZp
  • ベストアンサー率47% (71/148)
回答No.1

「しめる」「せしめる」はどう転んでも敬語にはなり得ません。本来、上位のものが下位に対して「させる」ために使うようです。 敬語・尊敬語の場合は単純に単語で表現するとムリがある場合が多いようです。この場合も、「思って頂く」とかのソフトな表現がいいのではないかと思います。

contigomivida
質問者

お礼

うむ、そうですか・・・ 一応辞書を引いたのですが、 「使役の助動詞」の下に「敬意を表す」との説明がありました。 尊敬を表す語の上に付いて尊敬の意を強めたり、 謙譲を表す語とともに用いて謙譲の意を強めたりするそうなのですが それを読んでもすっきりとわからなかったので質問しました。 アドバイスどうもありがとうございました。

関連するQ&A