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日本はいつまで零戦や隼なんかを誇ろうおつもりか?
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そうじゃないでしょう。 人間は 「出来た事にしか目を向けず、 出来なかった事は無視する」 からですよ。 以外かもしれませんが 日本でも宇宙ロケットの 計画や実行などは行ってますが 失敗ばっかりですよ。↓ https://www.jaxa.jp/hq-disclosure/h3-tf1/index_j.html もう一つは 日本人は脳内完結すると 「出来た」と思い込むのです。
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- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11072/34514)
「上司の滅茶苦茶な要求を、現場の創意工夫で実現させてしまう」という点では非常に日本的なのではないでしょうか。「そのため特に安全性が真っ先に削られる」ってのも含めてね。 美しさ、という点でいえば零戦はレシプロ戦闘機の中でもトップクラスに美しい飛行機だと思います。 零戦は過大評価されていて、一式戦闘機(隼)は過小評価されていると思います。零戦の過大評価は、「ゼロ戦といえばこの人」でおなじみの坂井三郎さんが「ゼロ戦ブーム」を作ったのが大きいみたいですね。その後に「零戦燃ゆ」が大ヒットしたというのもあります。 まあね、Fw190が優れているっていうことに異論は全くないですが、なにせ積んでるエンジンがBMW801ですからね。BMWですよ、BMW。 馬力が初期型でも1500馬力。最終的には2000馬力までに達しました。 飛行機はエンジンの馬力が絶対優位ですよ。頑丈な機体も、様々な安全性能も、エンジンの馬力に余裕があるからできたことです。 それに比べるとこっちの栄エンジンはせいぜい1000馬力です。スピットファイアのマーリンエンジンも当初は1000馬力級ですが、最終型はハイオク燃料を使えば2000馬力になりました。 出力比で67%しかないエンジンで戦えっていわれたら、もうあとは軽くするしかないですよね。 元々日本は昭和時代になるまで、繊維業を中心とした軽工業の国でした。それが第一次世界大戦の勃発で、戦争というのは「火薬を詰め込んだ鋼鉄の塊を相手により多く投げたほうが勝つゲーム」になりました。 実はロシアって冶金技術は優れていて(チタンを発明したのはソ連)鉱物資源も豊富ですから「やたらとデカくて重いけど、力業ですごい(スターリン重戦車みたいなやつ)のを作る」ということができて、ロシアからソ連になった後に五か年計画で重工業国家になることができましたが、日本はそういう国家としての基礎体力がありません。 なので軍が主導する形で重工業国へのシフトチェンジをしたのですが、元々の国家としての基礎体力を考えたら、かなり頑張ったほうじゃないかなと思います。ただ、やはりインフラ面や市場という面から基礎がなかったので限界はありましたね。 戦後は「工業国になるためには電力などのインフラが不可欠」ということでインフラ整備に力を入れて国家復興を目指しました。それが戦後の繫栄になり、戦後のODAで「日本はアジア諸国に環境を破壊してダムや発電所ばっかり作ってる」と批判されましたが、そのインフラがあったからタイやベトナムやインドネシアも発展することができましたから、間違っていなかったと思います。 「貧乏人が金持ちと戦うにはどうしたらいいか」の結晶だったと思いますよ。誇りにしていいのではないでしょうか。
- NOMED
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- staratras
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零戦や隼は第二次世界大戦(太平洋戦争)が始まったころの日本の工業技術の水準を示す歴史的な技術遺産であって、それ以上でも以下でもありません。零戦の格闘戦における性能の高さは日本の技術水準を軽視していた連合国側に衝撃を与え、年配者を中心に「過去の栄光」的に今でも言及する人もいますが、若者世代にはピンと来ません。 若い世代が誇りに感じるとすれば、同じ「はやぶさ」でも旧陸軍の戦闘機ではなく、むしろ小惑星から資料を持ち帰ったJAXAの2つの探査機の方かもしれません。 中江兆民が100年以上昔に警鐘を鳴らした通り、昔から日本にはむやみに外国を恐れる「恐外病」と逆に根拠もなく外国を軽蔑する「侮外病」という両極端の国民感情が存在します。現在の中国に関しても然りです。 年配世代の中には訳もなく中国を軽視・蔑視している人がいる一方で、若い世代には「どうしてもかないっこない」と諦めているひともいますが、「恐中病」にも「侮中病」にも罹患することなく冷静に中国を観察・評価する必要があります。これは現在の中国の対外政策や国内の人権状況に対する評価とは分けて考えるべき問題です。 余談ですが世界史を振り返っても、自前の(オリジナルの)技術を開発して経済発展を遂げたのは、世界初の産業革命を成就したイギリスなど少数の事例にとどまります。 日本も含めてその他多くの国は、経済発展の初期の段階では外国の技術の助けを借りています。大事なのはそのあとで、海外の技術や資本だけに頼らず自力で経済を成長・発展させる軌道にうまく乗れるかどうかですが、中国は、鄧小平の「改革開放路線」によりこれに成功しました。教条的な社会主義計画経済をやめて、現実に即した社会主義市場経済という名称の事実上の資本主義経済の採用に踏み切ったのです。共産党の一党支配を継続させるためとはいえ、この現実主義は評価すべきでしょう。 当の中国には「士別れて三日なれば、即ち当に刮目して相待つべし」という日本でも有名な言葉があります。(呉の武将・呂蒙が同じく呉の武将・魯粛に言った言葉とされ、「十八史略」などに登場します)「有為の人物は別れて三日後に会ったときには、目をこすって見直さなければならない。必ず進歩しているものだ」という意味ですが、中国自身、とりわけ中国経済にも当てはまるのでしょう。
- nagata2017
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ゼロ戦を作った中島飛行機は 戦後はスバル自動車で軽自動車を作っていました。連合軍から軍備品を製造することを禁じられたからです。 アメリカはそうした状況を作り出して アメリカの航空機を売りつけることで莫大な利益を上げようとしていたのです。 田中角栄の ピーナツの話は有名です。 中島飛行機が航空機製造会社として残っていれば 国産の航空機も作れるようになったでしょう。
- gokukame
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零戦や隼は第二次世界大戦の話で話の趣旨が矛盾していますね。
補足
ところが今の日本人は、零戦を作った過去があるからジェットも簡単に開発出来る!なんて言ってる輩が結構いらっしゃるのです。
お礼
日本人は口だけは達者ですよね。 後知恵ばかりです。