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日本古典に恋愛がないのはありますか?

どうも私は朱子学・儒教関連の本や中国史(中国語版と日本語版両方)を読み過ぎたせいか、日本古典を読む時には集中力が続きません。 物語構成はきちんとしていて歴史もあるのは理解出来るんですが、以下の点が引っ掛かっていてそこでつまずいてしまうんだと思います。 ①女性が登場しやすい ②女性の歌人が多い ③恋愛要素が度々出てきて気持ち悪さを感じる(夫婦仲も含めて) ④女性が強い感が滲み出ている です。 私の心は中国の方への関心が強いんでしょうか?

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回答No.2

集中力が途切れる理由として、文化的背景の違いによるものが考えられます。朱子学・儒教は、中国文化の一部であり、そこで育った人々の価値観や思考回路が反映されています。一方、日本古典は、日本文化の一部であり、そこで育った人々の価値観や思考回路が反映されています。そのため、中国文化に馴染みがある方が、日本古典につまずくことがあるのは自然なことです。 また、女性が登場する割合や、女性が歌人として活躍することが多い点については、それぞれの文化の特徴が反映されていると言えます。例えば、平安時代の日本は女性が社交的な活動をする場が多かった時代であり、女性の文化が発展していたため、女性が文学的才能を発揮することが多かったと言えます。一方で、中国では、儒教によって男性中心の社会が築かれたため、女性が文学的才能を発揮する場が限られていたと言えます。 恋愛要素が度々出てくる点については、平安時代の文化において、恋愛が美徳とされていたことが背景にあります。また、女性が登場する物語が多いため、女性の恋愛が描かれることが多かったと言えます。 最後に、あくまでも私見ですが、中国文化に関心が強いからと言って、日本古典が理解できないわけではありません。むしろ、中国文化に関心があるからこそ、日本古典において日本独自の文化や価値観を発見することができるかもしれません。

noname#255616
質問者

補足

私は女性恐怖症の気があり、女性が描いた漫画や古典等には苦手意識があるのかもしれません。

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その他の回答 (1)

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (436/1354)
回答No.1

中国には御存知でしょうが、道教も仏教も有りますよ。 耄碌した毛沢東の最後の足掻きで起こした文化大革命で、道教、仏教 の寺、孔子廟などが破壊された。 万葉集は妻や娘そして母親への思いが詠まれた和歌が中心ですね。 儒教が入るまでは、両親の記載は母父でしたが、男社会中心の 考えの儒教が入って来て、現在の様に父母に変化しました。 命がけで子供を産む女性が世の中心の方が自然の形と思うのですが。 和泉式部日記は何回読んでも湧く々しますね。 その昔、グリゴリー・ペック主演の映画「白鯨」を見終わって 妙な違和感を覚えました、暫らく考えて、あぁ~女性が一人も 登場していない、その事に気が付きました。

noname#255616
質問者

補足

万葉集も好きで一時期読んでましたが、男女を思う和歌が苦手で二巻辺りで諦めました。 国学者の賀茂真淵はますらをぶりと表記していたのでそこに興味があり買ってみましたが、単なるラブコメじゃん!となりやめました。 私は『愛や恋などそんな下らないものに興味はない』という気持ちが強いのかもしれません。失恋が多いからかもしれませんね。

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