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また質問させてください。お願いいたします。
つづく 「お稽古ごと」という以上、それは、なにか具体的・実用的な目的を前提とするものではない。たしかに、「お稽古ごと」でならいおぼえた知識や技術が実生活のうえで役にたつ場合がないではなかったが、それはあくまでも「芸が身をたすけるほどの不仕合」なのであって、「お稽古ごと」は「お稽古ごと」として完結するのが理想とかんがえられていた。 質問(1) 「お稽古ごと」という以上、それは このセンテンスの意味がちょっと分かりません。 質問(2)「芸が身をたすけるほどの不仕合」というセンテンスの意味は何でしょうか。よろしくお願いいたします。
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(1)「お稽古ごと」は趣味であって、具体的・実用的な目的=今でいう資格…のように、習得するだけで稼ぐことができるわけではない。 ここで言っているお稽古って、いわゆる昔のお嬢様のステータスであったお花とか茶道とかでは? (2)芸が身をたすくほどの不仕合(=不幸) 例>この前まで夜中にやってた、昔のドラマの中のシーン 母娘が父親に家を追い出され、母親が生活の為に、子供の頃に日本舞踊を習っていたので(母親の実家は昔裕福だった)それを活かして芸者になってお金を稼いだ。 芸があったからこそ何とか生活できたわけだけど、ちょっと不幸でしょう。 わかりますか。 (ちなみにこのドラマは、百恵ちゃんの「赤い衝撃」でした!)
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「○○という以上」、という表現については、「○○というからには」という表現に置き換えることができると思います。 意味はそれを使う状況で微妙に違う気がします。ここでの意味は、皆さんがすでに説明されているとおりです。 「○○という以上……である」という表現は、とか、「○○と表現するぐらいであるから当然○○は……である」というニュアンスであるように思います。
お礼
御説明を見てすっかり分かりましたよ。nekochariさんは先生という仕事をしているかたですか。ご解釈は外国人にとってほんとういいですよ。言葉で表すことができないぐらいの感謝です。ほんとうにありがとうございました。
- prashanthi
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aifen さん こんにちは。 .> 質問(1) 「お稽古ごと」という以上、それは 遊び気分の 趣味なのに それは .> 質問(2)「芸が身をたすけるほどの不仕合」 仕事以外の収入で食べなくてはならない状況は 不幸である。 遊び気分の趣味は 趣味として 終わらすのが 理想とかんがえられていた。 判らなければ また 聞いてください ^ ^ ... 。
お礼
教えていただきましてどうもありがとうございました。 ほんとうに助かりましたよ。とても感激です。また教えてくださいね。ほんとうにありがとうございました。
- void2000
- ベストアンサー率17% (41/229)
すこし前の筆問も拝見しました。 「お稽古ごと」はリッチな人たちが、純粋にホビーとして知識や技術を習得しようとすることです。 それで収入を得ようとはしていません。 だからそれはお稽古「ゴッコ」です。ゴッコというのは「お遊びで」ということです。 だから、からかいの気持ちを込めて「お」という敬称が付いています。 しかしそのようにして身につけた技術などが役に立つことがあります。それはなにかの原因でリッチでなくなったときです。身につけた技術などでお金儲けができます。 つまりお稽古ごとが役に立つときは、身に不仕合わせが降りかかってきたときで、それはお稽古ごとがお遊びでなくなったときです。 しかしそれは「お稽古ごと」の理想に反するわけですね
お礼
御説明を聞いてすっかり分かりましたよ。ほんとうにありがとうございました。いい参考になりましてどうもありがとうございました。
- marlborough
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(1)は、「『お稽古ごと』という表現をする場合、実用的な目的ではなく、つまりそのお稽古で学ぶ技術を職業とするといった目的ではなく、お稽古をすること自体が自己目的なので・・・」 というぐらいの意味です。 (2)は、(1)の前提で「お稽古ごと」をやっていたのに、不測の事態でやむなく習得した「お稽古ごと」のskillを実用目的で使わざるを得ない状況に 直面するのは、かえって不幸である。という意味でしょう。
お礼
早いご回答ありがとうございました。おかけで分からない問題が解決することができました。ほんとうにありがとうございました。
お礼
分かりやすいご説明ですね。みてすぐ分かりましたよ。おかげで分からない問題が解決できるようになりましてどうもありがとうございました。感謝の気持ちがいっぱいです。