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東南アジア人=勝ち組だった?

東南アジアは温暖で水、食料豊富で定着したヒトは勝ち組だったのですか?例えば、フィリピン人はマゼランが来たとき、裸だったということは、服を着なくても寒くなかったということですね? 日本の縄文人は東南アジアからきた説がありますが、戦いに敗れて、逃げてきたのでしょうか?

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回答No.1

東南アジアは熱帯・亜熱帯地域であり、気温が高く湿度が高いため、衣服を身に着けることが少なくても寒さを感じることは少ないとされています。ただし、東南アジアの気候は多様であり、海岸部や山岳地帯などによっても異なるため、必ずしも全域で同じとは言えません。 フィリピンの先住民であるタガログ族などは、スペイン人による植民地支配によって服装が変化したとされていますが、それ以前は、葉や樹皮、草などを利用して編んだ簡素な衣服を身に着けていました。 日本の縄文人については、諸説ありますが、東南アジアからの移住説も一つの説として考えられています。しかし、移住に関する具体的な証拠は見つかっておらず、詳細は不明です。また、戦いに敗れたという証拠もありません。縄文人は、自然環境や気候変動、または複数の要因が絡み合った結果として、独自の文化を発展させていったとされています。

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  • gunsin
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回答No.2

>東南アジア人=勝ち組だった? アフリカの方がもっと食糧事情は豊なのでは?でも、欧州人により 奴隷として商品になり売買されましたですよね。 簡単に食料が手に入いれば農耕をしなくても良い、裸でも過ごせる ので防寒の為の衣服を作らなくてもよいので、文明・文化が未発達 のままです、侵略されなければ誠に幸福な環境ですが、身を守る すべを知らないので、侵略されてしまいます、勝ち組とは何ぞや です。 日本の縄文人は、1946年(昭和21年)に、納豆行商をしていた、 素人の考古学者の相沢忠洋さんが岩宿遺跡を発見したので、 縄文時代は2万5千前の旧石器時代以前まで遡る事になり、定説が ひっくり返りました。 新石器時代に発掘された縄文土器から、名称を縄文時代としたの ですが、新たな区分分けの名称がが必要なのですが、日本の土壌は 酸性なので人骨が解けてしまうので、どこから来た人間なのかは 解らない状況で、新たな遺跡の発見待ちなのです。