明治時代に旗本等大名家以外の封建領主がいなくなった時期・経緯について
本サイトでは回答者の皆様にお世話になっております。
明治初期に大名家が封建領主はなくなった過程は、教科書等でも説明があり、よく知られています(明治2年版籍奉還 明治4年廃藩置県)。ただ、江戸時代には、大名以外にも領地は狭いながら、旗本・御家人・朝廷・公家・寺社等の封建領主が存在していたはずです。彼らが封建領主としての地位を失う過程その他について教示いただきたく、下の質問をいたします。ご存知の方がいらっしゃいましたら、教示願います。公刊されている参考文献・サイト等がありましたら、示していただけますと幸いです。また、領主としての性格(旗本と寺社等)による違い・地域別の違い 等違いがありましたら、それぞれについて教示いただけると幸いです(一つの例について詳しく書き、後の例はそれとの違いを書く 等で結構です)。
1.旗本・御家人・公家・寺社等はどのような過程で封建領主としての地位を失ったのでしょうか?またその時期は?
2.大名は東京移住を強制されましたが、旗本・御家人・公家・寺社(住職等支配していた方)は、旧領土にとどまれたのでしょうか?とどまれた場合、旧領地・旧領民との関係は?
3.2とも関連しますが、旗本・御家人・公家・寺社(住職等支配していた方)は、封建領主としての地位を喪失後も、近代的な土地所有権者になる等で、実質的に旧領土を持ち続けた例はあるのでしょうか?ある場合は例を示していただけると幸いです。
お礼
「余宇」で一語と勘違いして辞典に無いのが謎だったのですが、「余」+「宇」なのですね!勉強になりました! 読み方と意味も、とても分かりやすくご説明いただきまして、ありがとうございました!