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仏教徒であれば葬式のときに?
仏教徒であれば葬式のときに、写真に向かって拝むのではなく、寺院の本堂中央に安置されている本尊をこそ、拝まないといけないんでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
>仏教徒であれば葬式のときに、(中略)本尊をこそ拝まないといけないんでしょうか? その通りです。 仏教の教えは、(創価学会を除く)各宗派共に「故人は仏になる」のです。 従って、故人でなく本尊を崇拝対象にします。 故人の写真は、どの宗派でも仏壇に飾る物ではありません。 TV番組では、意図的に故人役の役者の顔写真を仏壇に飾っていますがね。 仏壇に飾らないので、仏壇とは別に(仏壇がある部屋の)鴨居の上に故人の写真を飾るのが一般的です。 葬儀の場合も、同様なんです。 故人の写真は「懐かしむ」事が主眼です。 葬儀でも、あくまで本尊を崇拝対象にするのが一般的です。 親族・友人知人が順番で焼香をする時も、本尊に向かって行います。 「故人が、仏の世界に行けますように」お祈りします。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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その通りです。 細かいことは宗派で違うでしょうが、しきたりは共通しています。 供養という概念から派生したことで、故人の供養や慰霊を本尊に懇願する体裁です。 自分で故人を供養できるとしたら霊能力者ですから、凡人は本尊に懇願するのですよ。
- shibucin
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仏教徒が葬式の際に写真に向かって拝むこともあるかもしれませんが、本来的には寺院の本堂に安置されている本尊に向かって拝むことが望ましいとされています。 仏教では、人間は死後も輪廻転生を繰り返し、その過程で苦しみを経験すると考えられています。葬儀や法要は、故人を助けて苦しみから解放するための行いであり、故人の成仏を願うものです。このため、仏教の葬式においては、寺院の本堂中央に安置されている本尊に向かって拝むことが重要とされています。 ただし、仏教には多様な流派があり、地域や宗派によって葬儀の形式や儀式が異なる場合があります。また、現代の社会では、写真や遺影を用いた葬儀も一般的です。しかし、仏教徒が葬儀で写真に向かって拝む場合でも、その意味合いは、故人の成仏を願うことに変わりはありません。
- nihonsumire
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仏教に宗派に依って多少違うでしょうが、故人が仏になりますように、あるいは阿弥陀如来の功徳によって仏になったことへ敬う気持ちなどなど考えられます。本尊を拝むことも問題ありません。
- kurinal2
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小生は、およそ「仏教」であれば、全て自由である、と考えて居ります。
- qwe2010
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葬式は、故人に対してのお別れ会。 故人に向かって、拝みます。
- shinotel
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通常はお寺であれ葬儀会館であれ、ご自宅であれ、故人を祀る「祭壇」に向かって手を合わせるのが普通でしょう。 祭壇の遺影に向かうのが自然です。 お寺でお葬式がなされた場合でも、ご本尊の前に祭壇が設置されるでしょうから、遺影とご本尊を同時に拝む形になります。 まったくご本尊と遺影が異なる場所にあったとした場合、遺影はそっちのけでご本尊に向かう人は(多分)居ないでしょうね。 故人のご冥福をお祈りする形として仏教徒が仏式を採用している訳ですから、この場合やはり遺影に向かうのが自然だと思います。
- ji1ij
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日本の仏教は決まりごとが少ないおおらかな宗教です 本尊を拝んでも良いし、故人(遺体でも写真でも思い出でも)を拝んでも良い 初七日は亡くなった日から7日目ですが、葬儀の日に「繰り上げ初七日」として法要することもあります
- Sakura2568
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いけないってことはないでしょう。 故人を思えば手を合わせるのさ自然な気持ちかと思います。 故人を思えばこそ本尊も拝みたくなることでしょう。 人の想いをなぞるのに「〜すべき」は必要ないと思います。
お礼
詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!