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徳川氏と源氏の末裔について

徳川氏が、源氏の子孫というのは本当ですか?新田源氏ですか?それとも官位官職が欲しくて捏造しただけですか?

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  • oska2
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回答No.7

>徳川氏が、源氏の子孫というのは本当ですか? 本当では、ありません。 徳川家の祖先は、「住所不定の貧乏坊主」でした。 全国各地を放浪していた時に、松平郷の豪族の娘と「ねんごろ」になり「松平」を名乗ったのです。 >新田源氏ですか?それとも官位官職が欲しくて捏造しただけですか? 家系は、捏造です。 将軍になる条件の一つは、「源氏の出」である事が必須でしたよね。 信長は、平家の出である事を誇りにしていたので将軍職には関心が無かった。 秀吉は、将軍になりたいので「足利義昭の養子」になる事を望んだが拒否されたので関白になった。 家康は、将軍になる為に「子孫が絶えている源氏の子孫の家系図」を探して自らの出生を「源氏の子孫」と名乗った次第。 ただ・・・。 これは悪い事でなく、「誰でも、努力次第で成果を得る」という実例でとらえると面白いですよね。 余談ですが、家康は「名門家に憧れ(コンプレックス)」を持っていたので有名です。 名門家だと、直系を滅ぼした後でも傍系で「家名存続」を許しています。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

その他の回答 (7)

  • dedypraja
  • ベストアンサー率40% (88/219)
回答No.8

徳川家は、源氏の末裔とされています。具体的には、平安時代の武将・源頼朝の妻・北条政子の方から、源氏の血を引いているとされています。 ただし、徳川家が実際にどのような源氏の血を引いているのかについては、諸説あります。一般的には、徳川家が源頼朝の後裔ではなく、別の源氏流から出た新田氏の末裔であるとする説が有力です。また、徳川家が源氏の末裔であることを官位官職を得るために捏造したという説もありますが、真偽は不明です。 徳川家が源氏の末裔とされるようになったのは、江戸時代初期のことであり、当時は歴史的な事実よりも、家名の格式を高めるための手段として、源氏の末裔であることが重要視されました。それにより、徳川家は公家や武家からの信望を集め、江戸幕府を支配する家として発展していきました。

回答No.6

こんにちは😊✨!徳川氏についてのご質問ですね📚🌟!実際に徳川氏は源氏の子孫で、新田源氏に由来しています🌸🎋! 徳川氏は、鎌倉時代後期の名将・新田義貞の子孫であり、新田源氏の流れを汲んでいます🏯🎌。新田源氏は、源頼朝の弟・源義光の子孫で、源氏の一族です🌸🌟。 なお、徳川家康が初代征夷大将軍になる際、朝廷からの認可を得るために、新田源氏の流れを正統化し、家康自身が新田義貞の子孫であることを強調しました🏯✨。これにより、徳川氏は源氏の子孫としての名声を確立し、徳川幕府を開くことができました🎊🎉! 徳川氏が源氏の子孫であることは、歴史的にも確かなものであり、捏造ではないと考えられます📚🌟

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34537)
回答No.5

質問者さんの家も私の家も、日本の家はどこも遡れば平氏か源氏か藤原氏であるという体にあります(稀に橘氏とかあるかもしれませんが)。そうしないと官位がもらえないからです。 しかし質問者さんの家にしても私の家にしてもどこに所属するんだかはサッパリ分かりません。なので系図を辿っていけば、どこかに割と出自がしっかりしているご先祖が見つかると思うので、そこから引用して「ご先祖に平氏がいるからウチは平氏だ」とか名乗るわけです。 そんなもんなんですよ。だから織田信長は元々藤原氏の流れだったのに途中から平氏に変更しています。変更がアリなんです・笑。 徳川家康は征夷大将軍になっています。征夷大将軍は源氏の末裔じゃないとなれませんので、征夷大将軍になりたければ源氏を名乗るしかないのです。 高い官位としては征夷大将軍の他に太政大臣、関白、摂政がありますが、このうち摂政は聖徳太子以降に就任した人がいないのでほぼ存在しない官位です。 そして関白は藤原氏じゃないとなれなくて、太政大臣は本来公家じゃないとなれません。とはいえ太政大臣は名誉職の意味合いもありまして、家康や秀忠は太政大臣になっています。でも家光以降の徳川将軍は誰も太政大臣になっていません。 というか、武家が公家に代わって政権を持つとなったら現実問題として幕府を開くしかなく、そしたら征夷大将軍の一択なんですよね。そして征夷大将軍の官位が欲しいなら、源氏を名乗るしかないのです。 じゃあなんで信長は平氏を名乗っていたのか、源氏にして征夷大将軍に就任するつもりはなかったのかって話になりますが、おそらく信長は征夷大将軍になるつもりは毛頭なかったと思います。 晩年、信長は突如官位を返上して無官になります。無官だと天皇に会えないので公家は相当慌てたのですが、それでも信長は「天皇に用事があるときは官位がある俺の部下が会うから俺は官位はもういらない」と官位を返上してしまいました。この一件が本能寺の変の原因の一つになったという説があり、私もそれを支持しています。 戦国大名のほとんどは下剋上で成り上がった人たちなので出自が怪しい人たちばかりです。でも甲斐の武田家は主だった戦国大名には珍しい「出自が源氏とはっきり分かっている人」になります。大河の前作「鎌倉殿の13人」に八嶋智人さんが演じた武田信義という人が登場します。頼朝に対抗心を燃やしているというか、アイツと俺とでは俺のほうが源氏として格上だみたいなことをいっている人で、この信義が信玄のご先祖になります。ドラマでもその信義が頼朝への謀反を義時(小栗旬)に問い詰められたときに「謀反というのは家臣が主人にやることで、俺は頼朝を主人と思ったことは一度もないから謀反じゃない!」と叫ぶ場面がありました。 つまり甲斐の武田家の家の格というのは源頼朝と同格レベルなのです。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8477/18147)
回答No.4

源氏の子孫ということになっていますが,本当のところはよくわかっていません。推測では賀茂氏の一族ではないかと言われています。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (417/1292)
回答No.3

信長の織田弾正家は分家の中では最下位でししたが武力で尾張国 を統一しました。 家康は武力を使わず三河国を統一するために権威が欲しかったのだと思います。 八幡太郎源義家は武家の棟梁としては特別な存在なのです、義家の 流れの新田家の世良田から松平家に養子に来ているのを見つけたので 松平から徳川に変え、金を積んで官位を朝廷から貰い、二つの権威 を得て対立する分家の松平や豪族を平穏理に従わせました。 所領を安堵すれば豪族は従いますが分家は理由がないと従わないの です、駿河の今川は足利氏の出、甲斐の武田は別流の源氏です。 徳川になったので対等な家柄になったのです。

回答No.2

徳川家は、歴史的に源氏の末裔であるとされています。具体的には、平安時代に活躍した源頼朝を祖とする源氏の流れをくむとされています。 ただし、徳川家が源氏の子孫であるという主張には、議論の余地があります。一部の研究者は、徳川家が源氏とは別の氏族から出たとする説も提唱しています。 また、徳川家が源氏の末裔であるとする主張は、官位や官職を得るために捏造されたという見方もあります。具体的には、江戸時代に徳川幕府が国書や系図を改竄して自らの出自を神格化したとする説があります。 徳川家が源氏の末裔であるかどうかは、明確にはわかっていません。ただし、徳川家が日本の歴史に大きな影響を与えたことは事実であり、その出自についての議論は続いています。

  • BABA4912
  • ベストアンサー率35% (395/1127)
回答No.1

https://www.rekishijin.com/21007 わかりませんが・・・・

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