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イザナギの頭の蔓の輪=縄文人アイヌ?

イザナギもアイヌが被るサパンペという蔓の輪のようなものをかぶっていたそうですが、やはり弥生人ではなく、アイヌとおなじ縄文人だったのですか?黄泉醜女に追われたときに投げ捨てたとあります。 2. その後の服飾文化からこの蔓の輪が消えたのは弥生の影響でしょうか?

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  • ベストアンサー
  • aeromakki
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回答No.3

蔓草の飾りの話は置いておいて、 アイヌ人=縄文人ではないですよ。 多分だいたい、毛人(エミシ)=縄文人です。 で、アイヌは13世紀頃南下して来た北方民族とエミシの北方の人々が混血した人々です。 縄文人は、弥生人が持ってきた疫病で大半が死に絶え、残った縄文人は弥生人と混血して、今の東北の人々になったようです。 こういう話はだいたいDNAから分かってる話なので、そんなに間違ってないはず。 アイヌが縄文人と無関係と主張する人もいるけど、それも多分全然違うし、 同時に、アイヌ=縄文人でもないし、 縄文人=エミシだと思うんですよね。 で、九州南部には、隼人(ハヤト)がいたわけで、 より正確には、縄文人にはエミシとハヤトが含まれていた、そんな感じだと思うんですね。

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  • staratras
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回答No.2

植物を輪にしたものには魔除けや祝福など特別な力があるという考え方は、アイヌ民族だけでなく古今東西、世界中にあります。古代オリンピックの勝者に月桂冠が贈られたのもそうですし、現在世界中で見られるクリスマスリースや日本の正月の輪飾りや玉飾りもその末裔です。 イザナギの黒御縵もこのひとつの表れだと考えれば、別段出自を推察する手がかりにはならないでしょう。この黒御縵は黄泉の国から逃げる途中で投げ捨てると葡萄になって実がなり、追い手の気をそらす「時間稼ぎ」をしてくれますので、不思議な霊力があることは確かです。 その後、黒御縵のような蔓草を輪にしたものを頭につけて長寿を願う習俗は廃れてしまったかもしれませんが、蔓草は生命力が強くどこまでもつるを伸ばすことから長寿・繁栄につながる縁起が良いものとされ、唐草模様などとして今も象徴的に使われています。 また古代から現代まで日本の成人男子の伝統的な正装では頭に冠や烏帽子を着用することになっています。天皇の即位の礼でも冠(立纓の冠)が着用されています。 平安時代から鎌倉時代にかけてはとりわけこの考え方が強く、当時の絵巻物に登場する博打うちは勝負に負けて身ぐるみ剥がされていますが、烏帽子だけはかぶっています。博打に負けた者から衣服をすべて奪ってもよいが、烏帽子だけは残しておくべきだという社会通念があったと考えられます。 ところで万葉集に登場する「肥人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結へる染木綿(しめゆふ)の染(し)みにし心我れ忘れめや」(巻十一 2496)という歌の「額髪結へる染木綿」も単なる髪飾りとしてだけではなく、魔除けの意味を込めて染色されていたと考えられます。蔓草の輪は形を変えて生き続けていったのではないでしょうか。

  • gunsin
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回答No.1

>イザナギもアイヌが被るサパンペという蔓の輪のようなものをかぶっていたそうですが 知りませんね、何処からの情報でしょうか? >アイヌとおなじ縄文人だったのですか ミドコンドリアのゲノム解析で、アイヌ人は北方の民族系で 縄文人とは違う事が解って来ました。 https://www.brh.co.jp/publication/journal/087/research/1