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お答えいただけましたら幸いです。

①「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 その他人のほとんどを見る」 ②「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 その他人のほとんどが見える」 などのように書く(言う)場合、 「見る」、「見える」 はそれぞれどういう意味になるでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Nakay702
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回答No.14

>「他人もいる、街中や電車内などの場所や状況」 「他人もいる、街中や電車内などといった(いう)場所や状況」 などのように書く(言う)場合、 それぞれお互いにどういう意味の違いがあるでしょうか? ⇒新しいスレでお答えしておきましたので、そちらをご覧ください。 (このスレは、できれば、そろそろ締めてくださるとうれしいです。)

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その他の回答 (13)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10082/12630)
回答No.3

再度、質問者からの補足を拝見しました。 >お礼の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 二つ目の質問ですが、 「他人が見ることができる」だけで、「目に映る」や「見る」というところまでは及ばないでしょうか(とお考えになりますか)? という部分の 「他人が見ることができる」 としてしまいましたが、 「他人を見ることができる」とすべきであったと思うのですが、 どちらであっても(どちらでも)、 二つ目の質問へのお答えは変わらない(変わらなかった)でしょうか(とお考えになりますか)? ⇒はい、《他人を見ることができる」だけで、「目に映る」や「見る」というところまでは及ばないでしょうか(とお考えになりますか)?》とのお尋ねに訂正しても、お答えは変わりません。つまり、「目に映る」や「見る」というところまでは及ばない、と言えます。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 今までの質問とお答えに関連しますが(すると思いますが)、もうひとつ、質問させていただきます。 以前、 「どんな風にであれ、ほとんど(あまり)見ていないか、ほとんど(あまり)見えていない」というお答えですが、 これでは、 「ほとんど(あまり)見ていないし、見えてもいないことさえある、」 というのは、 原則的には、「どんな風にであれ、ほとんど(あまり)見ていないが見えてはいる(かもしれない)(頻度や程度はそのときによって違うだろうが)」であるが、例外というかで、「ほとんど(あまり)見ていないと同時にほとんど(あまり)見えていないとき(こと)もある」がある、という意味を踏襲されていないと思います。 つまり、上記の意味を変えず、「どんな風にであれ」が「ほとんど(あまり)見ていないが見えてはいる(かもしれない)(頻度や程度はそのときによって違うだろうが)」の「(ほとんど(あまり))見てはいない」とその後の 「(ほとんど(あまり))見ていないと同時に(ほとんど(あまり))見えてもいない」のそれぞれ三つに「どんな風にであれ」がかかる場合に、どう記せば(言えば)よいのか教えていただけましたら幸いです。 という質問に、 「どんな風にであれ」が、お尋ねの三つのすべてにかかるような意味を表す表現は、一つの文ではできませんので、二つの文に分けて言うことになります。すなわち、こんな感じです。「どんな風にであれ、ほとんど(あまり)見ていないし、ほとんど(あまり)見えていない。あるいはそのどちらか一方である。」 とお答えいただいたと思いますが、 「大抵の人は、本人だけではなく、他人もいる場所や状況で、その他人のほとんどを、どんな風にであれ、ほとんど(あまり)見ていない。あるいは、どんな風にであれ、ほとんど(あまり)見ていないし、ほとんど(あまり)見えていない。」 などのように書い(言っ)ても、 頂いたお答えと意味は同じでしょうか(とお考えになりますか)?

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10082/12630)
回答No.2

質問者からの補足を拝見しました。 >一つ目: 「見えている」は、②の「見える」の進行形になるだけで、意味は、進行形になるだけで変わらないでしょうか(とお考えになりますか)? ⇒はい、変わらないと考えます。 >二つ目:②の「見える」の解釈で「見ることができる」と関知しえないとのことですが、仮に関知するというか、そういう意味としても取ったとして、「他人が見ることができる」だけで、「目に映る」や「見る」というところまでは及ばないでしょうか(と お考えになりますか)? ⇒はい、「目に映る」や「見る」というところまでは及ばないでしょうか >三つ目: 上の二つへのお答えを踏まえたうえで、 「大抵の人は、本人だけではなく、他人もいる場所や状況で、その他人のほとんどを(が)(、どんな風にであれ、)(ほとんど)見る/見える/見えている(、と○○さんはお考えに(おおもいに)なりますか)(、。)」 のように書く(言う)場合に 前回の質問と、上の二つの質問をしたとしても(しても)、 それら全てのお答えと変わりはないでしょうか(とお考えになりますか)? ⇒はい、変わりはありません。

shinleo1918
質問者

補足

お礼の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 二つ目の質問ですが、 「他人が見ることができる」だけで、「目に映る」や「見る」というところまでは及ばないでしょうか(とお考えになりますか)? という部分の 「他人が見ることができる」 としてしまいましたが、 「他人を見ることができる」とすべきであったと思うのですが、 どちらであっても(どちらでも)、 二つ目の質問へのお答えは変わらない(変わらなかった)でしょうか(とお考えになりますか)?

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10082/12630)
回答No.1

以下のとおりお答えします。 >①「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 その他人のほとんどを見る」 ②「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 その他人のほとんどが見える」 などのように書く(言う)場合、 「見る」、「見える」 はそれぞれどういう意味になるでしょうか。 ⇒それぞれが、次のような意味になると思います。 ①「見る」の意味:「目を凝らして、あるいは凝らすまでいかないまでも意識的に対象(他人)に目を向けて、《視覚的に捉える》」といった意味合いです。構文上の主語は、「ほとんどの人」。 ②「見える」の意味:「意識して見ようとするわけではないが、対象(他人)が《目に映る》」といった意味内容を表しています。構文上の主語は、「他人のほとんど」。 注:この②の「見える」について、辞書的には「見ることができる」という意味だと説明することもあるようですが、実用に際してそう見なすことは差支えないと思います。しかしこの文は、直接そのことを意味する表現構文ではありません。そうではなくて、「ほとんどの人にとっては、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、その他人のほとんどが《目に映る》」という意味内容を表しています。たいていの人がその他人のほとんどを見ることが《できる》とか、《できない》とかについては、この構文の関知することではないからです。

shinleo1918
質問者

お礼

お答えいただきありがとうございます。 二つ目の質問ですが、 「他人が見ることができる」だけで、「目に映る」や「見る」というところまでは及ばないでしょうか(とお考えになりますか)? という部分の 「他人が見ることができる」としてしまいましたが、 「他人を見ることができる」とすべきであったと思うのですが、 どちらであっても(どちらでも)、 二つ目の質問へのお答えは変わらないでしょうか(とお考えになりますか)?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 今までの質問とお答えに関連しますが、また二つほど質問させていただきます。 一つ目: 「見えている」は、②の「見える」の進行形になるだけで、意味は、進行形になるだけで変わらないでしょうか(とお考えになりますか)? 二つ目:②の「見える」の解釈で「見ることができる」と関知しえないとのことですが、仮に関知するというか、そういう意味としても取ったとして、「他人が見ることができる」だけで、「目に映る」や「見る」というところまでは及ばないでしょうか(と お考えになりますか)? 三つ目: 上の二つへのお答えを踏まえたうえで、 「大抵の人は、本人だけではなく、他人もいる場所や状況で、その他人のほとんどを(が)(、どんな風にであれ、)(ほとんど)見る/見える/見えている(、と○○さんはお考えに(おおもいに)なりますか)(、。)」 のように書く(言う)場合に 前回の質問と、上の二つの質問をしたとしても(しても)、 それら全てのお答えと変わりはないでしょうか(とお考えになりますか)?

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