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お答えいただけましたら幸いです。
①「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 その他人のほとんどを見る」 ②「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 その他人のほとんどが見える」 などのように書く(言う)場合、 「見る」、「見える」 はそれぞれどういう意味になるでしょうか。
①「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 その他人のほとんどを見る」 ②「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 その他人のほとんどが見える」 などのように書く(言う)場合、 「見る」、「見える」 はそれぞれどういう意味になるでしょうか。
補足
お答えいただきありがとうございます。 今までの質問とお答えに関連しますが(すると思いますが)、もうひとつ、質問させていただきます。 以前、 「どんな風にであれ、ほとんど(あまり)見ていないか、ほとんど(あまり)見えていない」というお答えですが、 これでは、 「ほとんど(あまり)見ていないし、見えてもいないことさえある、」 というのは、 原則的には、「どんな風にであれ、ほとんど(あまり)見ていないが見えてはいる(かもしれない)(頻度や程度はそのときによって違うだろうが)」であるが、例外というかで、「ほとんど(あまり)見ていないと同時にほとんど(あまり)見えていないとき(こと)もある」がある、という意味を踏襲されていないと思います。 つまり、上記の意味を変えず、「どんな風にであれ」が「ほとんど(あまり)見ていないが見えてはいる(かもしれない)(頻度や程度はそのときによって違うだろうが)」の「(ほとんど(あまり))見てはいない」とその後の 「(ほとんど(あまり))見ていないと同時に(ほとんど(あまり))見えてもいない」のそれぞれ三つに「どんな風にであれ」がかかる場合に、どう記せば(言えば)よいのか教えていただけましたら幸いです。 という質問に、 「どんな風にであれ」が、お尋ねの三つのすべてにかかるような意味を表す表現は、一つの文ではできませんので、二つの文に分けて言うことになります。すなわち、こんな感じです。「どんな風にであれ、ほとんど(あまり)見ていないし、ほとんど(あまり)見えていない。あるいはそのどちらか一方である。」 とお答えいただいたと思いますが、 「大抵の人は、本人だけではなく、他人もいる場所や状況で、その他人のほとんどを、どんな風にであれ、ほとんど(あまり)見ていない。あるいは、どんな風にであれ、ほとんど(あまり)見ていないし、ほとんど(あまり)見えていない。」 などのように書い(言っ)ても、 頂いたお答えと意味は同じでしょうか(とお考えになりますか)?