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2004年の日露戦争での旅順戦の問題です。総攻撃の
総攻撃の体制が整った8月の時点で、日本の最左翼第11師団は白銀山やその南の海岸線を攻めるという考えは一切なかったようですが、なぜなのでしょうか?
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- gunsin
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回答No.2
海軍から、ロシア艦隊の無力化の要請で旅順攻撃が決定しました。 海軍は203高地が防御が手薄で、頂上から旅順港が見渡せるのでと、 その旨の具申をしてます。 陸軍は、ロシア艦隊を殲滅さた上に、旅順要塞を攻略する計画 でした。 海岸辺には、旅順港を見渡せる高い山が無いのです。 その上、海岸から上陸して攻める機材を持っていなかったのです。 敵陣の本格的な要塞を攻める事は、日本史上初めての事なので、 全て、無い無い尽くしから、始まった事なのです。 旅順要塞の攻略から203高地の攻略に切り替え、203高地を 占領しました、そこに、28サンチ砲を据えて、ロシア艦隊 を沈めた後、旅順要塞の防壁を破壊して、ロシアの守備隊の 降伏に至りました。 海軍のもたらした情報が正確だったのです、近年、解った事ですが ロシア側も203高地の重要性を解っていたが、予算が足りず 防御線に組み入れる事が出来ず、本格的な防御を構築しなかった。 司馬遼太郎の「坂の上の雲」での旅順攻防の記述が誠しやかに、 巷間に伝わっていますが、あくまでも小説で在り、事実とは 違うのです。
質問者
お礼
旅順攻略というのは、陸海軍の思惑が交錯してました。この辺の理解がなかなか難しい。陸軍としては、孤立した要塞を徐々に力攻めする以外には方法はないわけです。
- hashedbutter
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回答No.1
2004年の日露戦争というのはありません。
質問者
お礼
なんだか疑いもなく書いていました!(^-^;
お礼
はい。でも南は海で敵はいません。