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戦国時代に寡兵で野戦に攻めで勝つ方法(奇襲以外)
戦国武将のWikipediaを見ていると、戦況の詳細が分かっていないのか、味方の兵は少なかったが猛攻により勝利した、といったふうにあやふやな感じで書いてある箇所をたまに見かけます。 例えば、総大将が必死に命令したからといって、ゲームのように士気が上がって攻めの勢いが増すわけではないでしょう。 そこで思ったのですが、相手より寡兵の時、奇襲以外の方法で野戦で攻めて勝つ方法はあるのでしょうか?
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- southdakota
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いろいろありますが、武将もしくはそれに近しい臣下が書き記した軍記などでは、端的に言えば「自分はこんなに凄いんだぞ!」という内容を後世に知らしめたいという欲から、細かい表現の仕方が個々人に委ねられる描写ではやたらと史実が改竄されています。 竹崎季長がいい例です。元寇襲来の際、季長は「自分は単騎で現行の軍に立ち向かった!」と見てとれる絵巻を描かせています。実際はそんなことなく、季長程度ならせいぜい石垣の後ろで待機していた程度だろう、と推測しています。 戦いの描写も例外ではなく、今回の例では実際は圧倒的兵力で敵を轢き殺したにも関わらず、「それじゃあ勝って当たり前じゃんか」と後世で笑われないようにするためか、少ない兵力で勝ったという描写に書き換えた、と考えます。 実際は運(風の流れ、川の流れ、敵の攻撃が偶然外れた、偶然敵の大将首を獲れた、など)の要素も関係してくるので一概に嘘とは言えないという面もあります。
- usaginounagiya
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だから、それが兵法なのですよ。 皆さん、関係のない事ばかりを無駄回答されていますが、 例えば調略です。 内応工作で寝返りの約束を取り付け、孫子でいうところの 戦わずして勝つ!のが上策というのが、そこです。 では、逆に相手を上回る兵力がありながら、作戦が0で大負 けして、家が潰れてしまった大友氏の耳川の戦いもあります。 軍師の角隈石宗の進言を聞き入れず、配下武将が固めの杯を 交わし勝手に突撃し、渡河中の無防備な所を鉄砲で射かけら れ潰走し、大友家滅亡の原因になりました。 他には島津が肥前の龍造寺を滅亡させた沖田畷の戦いもそう です。両横が湿地帯の狭い隘路に誘い出し、前後から攻め立 てて退路を断ち、潰走させています。 士気が上がって勝てるのはゲームの中だけ。 寡兵でよく戦い勝てるのは全て作戦があり、寄せ手がその作 戦の中で予定通り踊ってくれるから勝てるのですよ。 総大将が必死に命令を出すのは、その時点で壊滅を意味します。 上田城の戦いの様に、巧妙で戦上手の将が居れば、兵数など最 低限でも良いのです。 野戦で....との限定ですので、城攻めは関係ないですね。 居城も失った宇喜田直家なんかも、備中兵乱でライバルを騙し て呼び出し暗殺しまくって勢力を伸ばしています。 ですので、デキる武将というのは、戦わずして勝つことが良い のであり、逆に戦闘をして勝つと言うのは下策も下策なのです よ。 ま、コーエーという会社は出来なかったでしょうけどね。
- head1192
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全くないわけではないけど、大軍の側がよっぽど間抜けか寡軍の側がよっぽど運が良かったかで、そういう戦法は邪道。 桶狭間は俗にいう奇襲でなく正面衝突。 前哨戦(鷲津、丸根)も行われたし、両軍の動向は両軍とも知っていた。 なぜあのような結果になったか、実はあまりよく分かっていない。 俗に広まっている桶狭間は「信長記(信長公記ではない)」という江戸時代の歴史小説が元になっている。 小説だから多分にフィクションが含まれているが、今日それが定説となってしまっている。 こういう例は多く、赤穂浪士の討ち入りも「忠臣蔵」という美談になってしまっている。 「寡軍をもって大軍に当たれ」と言われたら、忠臣と言えども反逆する。 家臣は自分の領土を安堵してくれるから主家に従うのである。 もしそれができないなら、家臣はさっさと敵に寝返るか主家に取って代わるか、どちらかの行動をとる。 儒学に縛られた江戸期の武士と功名が原動力だった戦国武士とは違うのである。 大軍に当たらなければならない場合、君主の取る道は2つだけ。 籠城か降伏。 籠城は援軍の当てがなければできない。 ほとんどは降伏だった。 敵の軍門に降りその有力家臣として生きながらえるのである。 真田家も、領土を守るため武田家に仕え、徳川家に降り、上杉家に寝返り、豊臣家に臣従し、その斡旋でまた徳川家に帰参した。
- jkpawapuro
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奇襲の定義がよくわからないですが、捨て奸とか沖田畷の戦いとかはまあ野戦で寡兵が勝つ戦いですよね。 基本は相手を手前に引き込み迂回や伏兵で包囲することです。 兵は後ろから攻められたら動揺し多くの場合逃げ出します。 隘路でやるとなおのこと効果的です。 隘路をふさいで突破を防ぎ上から矢だの木石だの投げるというのも王道なのですが、王道のはずですが案外日本でこれで勝ったと伝わる戦は少ないです。たぶん名もなき小競り合いでこれでたくさん撃退してるとは思うのですが。 あとは中国の官渡の戦いなどが例でこれも日本では例が思い浮かびませんが、相手の兵糧の貯蔵庫を焼くというのがありますね。まあこれは多くの場合奇襲にふくまれるから除外なのかな。強襲できる場所には通常置かないですよねえ。 他にあるのは渡河の最中襲う、兵が半分水に入れば相手の戦闘力は半分です。ついでにもし上流を抑えて堰を切れば丸ごと水の底です。
- eroero4649
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基本的に戦争は兵力に勝るほうが勝ちます。寡兵よく敵を撃つの代表例として桶狭間の合戦がありますが、織田信長もあんな危険な賭けに出たのはああ見えて一生一度のあのときだけで、他の戦いでは「敵より多くの兵力を用意する」という基本に忠実に戦っています。 ただし大兵力がかえって足かせになってしまうことも時にあります。 戦国時代の軍勢というのは、近代軍のような国家に忠誠を誓う軍隊ではありません。それぞれの武将が自前で兵を集める、今でいうなら親分の下に子分が集まる暴力団と全く同じなんですね。 そしてそれぞれの武将は「この戦国大名についていたら勝てる。あるいは恩賞が貰える」という期待があるから味方になるわけで、コイツに味方しても旨味はないと判断されると容赦なく鞍替えされます。だから「仁義なき戦いシリーズ」と同じなんですよ。 というのも、当時の武将たちって軍役の参加って全部自腹だったのです。だから戦国大名から恩賞を貰わないと、うっかり負け戦についてしまうと大赤字もいいところになってしまいます。 戦国の三大奇襲のひとつ、川越の合戦では、上杉連合軍は何万もの兵を集めたといいます。けれどそこに集まった連中は「なんかみんな上杉につくといってるし、それなら勝ち馬に乗っておくか」という程度で恩賞目当てで集まっていたに過ぎませんでした。 当然、命をかけて戦おうなんて気持ちがあるのは北条とバチバチでやっている連中だけです。「今回みんな集まるって聞いたので、やって来ました」なんて連中は「こんなところで死んだら割に合わない」と本気で合戦する気はないわけです。「こんなに沢山いるんだ。俺がサボってもなんとかなるべ」と「皆な」が考えていたらいわゆる烏合の衆になりますよね。 一方の北条軍は「ここで負けたらみんな終わり」となりますから、そりゃ必死になります。片方は「ここで負けたら俺たちは殺されるだけ」と必死で、もう一方は「戦わずに勝ち馬にだけ乗ろう」となったら、そりゃ夜襲で大混乱になったら「なんかヤバいらしいから、とりあえず逃げよう」となりますよね。 こういうのって不思議なもので、ある点を突破したら文字通りのなし崩しになってしまうのですよ。スポーツの試合でも、それまで緊張した戦いをしていたのに終盤で1点が入ったら、負けてる側の緊張の糸が切れてたて続けに何点も入って終わってみたら大量点差になっていたなんてのがしばしばありますよね。 私はサバゲーをやるんですけど、サバゲーでもずーっと膠着状態で戦っていたのに、ある一点が突破されるとそこから本当に堤防が決壊するかのように戦線が崩壊するっていうのが時々あるんですよ。 あとそうそう、そのサバゲーで思い出しましたが、寡兵でもその寡兵の軍勢が敵軍より圧倒的に練度が優れていたらそれで突破してしまうってこともありますね。1941年の独ソ戦におけるナチスドイツ軍の電撃戦なんてのはそうです。戦国時代だと、長久手の合戦における羽柴連合軍と徳川軍との戦いなんかがそうです。農民出身で大軍の指揮に慣れない秀吉と、歴戦の野戦指揮官である家康との軍事的才能の違いって感じですね。「野戦で勝てない」と悟ると戦術的勝利を捨てて、自分が得意とする外交戦で戦略的勝利に持っていく秀吉はさすが天下人になるだけはあるのですけれど。
- takochann2
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大将を討ち取る。敵兵の士気をそぐ。敵に作戦外の行動をとらせるように仕向ける。わなを仕掛ける。有利な地形を取るなどいろいろあるでしょう。
- webuser
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相手より寡兵でも装備や個々の能力差によって勝つことは可能です。 要するに総戦力で上回れば普通に勝てます。 そこらへんのオッサンを30人ぐらい集めて 日本代表の6人とラグビーやっても 日本代表が圧勝するでしょう。 そしたら5倍の兵を打ち破ったって事実ができます。
- gunsin
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狭い場所に誘い込む事ですね。 家康の上杉討伐で上杉軍は白川の関を要塞化して、貯めた黒川の 水を放水して泥田にする計画だったそうです。 土方歳三は函館戦争で丘陵地の狭い道の両側に150の鉄砲隊 を配置して官軍を撃退したと、NHN-TV歴史探偵で放映してました。 この手の作戦で才を見せたのが諸葛亮孔明で三国志演義には 度々描かれていますね、有名なのは、魏軍10万を1万の兵で 撃退した長坂坡の戦い。 三国志演義は少ない軍勢で大軍を破る話の宝庫です。 ベトナムの水軍はフビライの水軍を河川に誘い込み、火責めで 多くの軍船を沈めた。 これに依りフビライは、3回目の日本攻めを断念したそうです。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10007/12518)
以下のとおりお答えします。 >相手より寡兵の時、奇襲以外の方法で野戦で攻めて勝つ方法はあるのでしょうか? ⇒難しいですが、工夫次第で戦勝を見込める作戦を立てることは全く不可能というわけではないと思います。例えば次のような作戦があり得ると思います。 ①高台に陣取る、②陽動作戦を多用する、③複雑な地形などを利用して敵勢力の分断を画策する、④隘路で最小人数だけが直接対面する一騎打ち形式的な肉弾戦に持ち込む、などです。