>ヒューム哲学の特徴や評価が非常に高い理由、すごさについて教えていただけないでしょうか? どうしてこの人の哲学が歴史に名を刻み現在でも研究されたり本が出版され続けているのかといった理由が知りたいです
⇒文献を拝借したりしながら、以下のとおり(何とか)お答えします。
ヒューム(1711—1776)は、ギリシャのストア派哲学に学び、また批判して、人間はその「自然本性」に基づいて生活すべしと自覚し、ここに彼の人生観・世界観の基礎が定まったといいます。彼の哲学的意図は、ニュートンの自然哲学の「経験的方法」を人間問題に応用して「人間学」すなわち、人文哲学・精神哲学を確立することにあった。それは、従来、神学的形而上学の見地から捉えられた人間学を解放して、経験的・世俗的・地上的人間学を形成しようとしたことを意味するとされます。
時すでに、ロック(1632—1704)がギリシャ・ローマのヒューマニズムを導入して市民的人間観を唱えていましたが、ヒュームはそれを受け入れ、同調し、さらに充実させました。こうして、もはや神学ではない宗教学、すなわち、経験科学としての宗教学への第1歩がヒュームによって画されたのですね。ここでは、神が問題であるよりはむしろ神についての人間の観念・情熱・行動が問題になります。17世紀の神学的形而上学は、こうして世俗的・地上的な自然本性に基づく人間学へと解体し、還元されるに至りました。
ところで、ヒュームは『人性論』のほかに大著『英国史』を著わしていますが、この中に凝縮している思想の歴史的意義は、名誉革命ののち、産業革命の前夜にあたって「近代市民社会のための人間学を基礎的にかつ大規模に設定した」ところにあるといいます。絶対主義が闊歩した近世が終焉を迎え、自由主義・国民主義の近代が始まりかける時期に当たります。
時あたかも、宗教とは無関係の分野でも、宗教学や哲学と同じような人間解放への動きが始まっていました。例えば、経済学の分野がその一つです。それは、営利を求める経済活動を抑圧していた中世のキリスト教的経済倫理に大きな転換を迫るものでした。その一例がマンデヴィル(1670-1733)という人の経済思想で、彼は、いわば「後期ルネサンス人」として、近世的経済観を脱却し、近代への道筋を開いたとも言える人でした。巨視的に見れば、絶対主義から自由主義・国民主義への移行の一端を担った、と言うことができるかも知れません。経済学のもう一人の、いやもっと有名な巨人はアダム・スミス(1723-1790)でした。この両者に通底する共通性の暗示することは、おそらく「その分析と所説が、部分的たりとも人間の本質を抉り出していること」である、と見ることもできるでしょう。
ともあれ、こういう人たちが新しい時代への動きを促進する働きを成したことは間違いない事実です。そして、くだんのヒュームもまた、その動きとその移行に拍車をかけた一員でありました。すなわち、彼は「近世を脱却して近代への扉を開いた第一人者たちの一人であった」と言えます。まさにこのことが、世界じゅうにおける一大評価の源ではないか、と考える次第です。